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人類は、「PKをはずす人」と、「PKをはずさない人」に分かれるのかもしれない。(前編)

 去年の話だから、すでに古い話題なのかもしれないが、あれから、ずっと気になっている。

 2022年W杯は、日本代表は、スペインとドイツという、優勝経験国に対して、1次リーグで先行されながら逆転という「奇跡」を演じ、決勝トーナメントに進出。目標のベスト8まであと1勝まで迫りながら、クロアチア相手にPK戦で敗れた。

 PKは、運である。

 そんな言い方もされていたのだけど、その時から、PKってなんだろう。そんな抽象的な言い方が変だったら、PKをはずす人と、はずさない人は、どう違うのだろう、ということは、時々、考えるようになった。

スペイン代表のPK戦

 同じく、決勝トーナメントに進んだスペイン代表監督は、PK戦に関して、独特の理論があったのが明らかになった。

ルイスエンリケ監督は試合前の会見で「W杯までにクラブで少なくとも1000回はPKの練習をしてきてくれ」と“宿題”を出していたことを明かした。その上で「PKは宝くじじゃない。練習すればするほど、PKのやり方は向上する。プレッシャーや緊張をほぐすことはできないが、それに対処することができる」と、PKが運ではないことを強調していた。

 だが、結果は、ある意味で残酷だった。

試合を通じて主導権を握るも、最後まで得点を奪えないままPK戦に突入し、1本も決められずに敗退した。

スペインはこれまでW杯でPK戦を5回経験しているが、そのうち4回で負けている。3敗のイングランドとイタリアを上回って、W杯でのPK戦敗数が最多のチームとなった。

 つまり、これまでPK戦で負けてきたからこそ、「1000回」の“宿題”を出していたのだろうし、詳細は不明だけど、こうしたトレーニングをしてきたチームが他に存在しないとすれば、このPKのトレーニングは無駄だったのだろうか。それとも、この“宿題”を、本当に全員がしてきたどうかを再検討した上で、PK対策を考え直すべきなのかもしれない。

 ただ、その同じ記事の中で、こうした指摘もあった。

5回中4回に勝っているアルゼンチンがW杯でのPK戦勝利数が最も多いチームである。

 その後、W杯期間中、アルゼンチンは2回のPK戦を経験している。

アルゼンチン代表のPK戦

 2022年のW杯決勝は、PK戦となり、アルゼンチンが優勝した。

 PK戦の結果は、4対2。アルゼンチンGKの強さも際立っていたが、PKのキッカーとして、凄みを放っていたのが、フランスのエムバペと、アルゼンチンのメッシだった。

 最初は、エムバペ。
 走り込んで、迷いなく、強いシュートを左に決める。
 この日は、延長までを含めると、3回目のPKになるけれど、おそらく、どれもほぼ同じコースに蹴り込んだ。

 それは、優れたGKが、コースを読んだ上で跳んでも、人間である以上、決して止められないようなスピードで、いつも同じシュートを打つ、というスタイルに見えた。
 すごいプレーヤーであることが、PKからもわかった。

 アルゼンチンの最初のキッカーは、メッシ。

 ゆっくりした助走で、ゴールキーパーが動くのを待ってから、その逆をついた。それは、この試合でのPKと同じスタイルだった。サッカーは人間と人間の戦いである、ということを知り抜いているように見えるプレーだった。

 これもすごいことだった。

 エムバペは、圧倒的なプレーヤーとしての力で、メッシは、この日のアルゼンチンのプレーヤー全体から感じていたけれど、人の強さによって、どんな時でも、まずはずさないように思えた。

アルゼンチンのラストキッカーであるラウタロがペナルティースポットに向かっていた時だった。オランダの選手たち4人が25歳の若きストライカーを取り囲むようにして近づき、失敗を誘うように執拗にプレッシャーをかけていたのである。

 アルゼンチンは、準々決勝でのPK戦で、こうしたプレッシャーにも負けなかった。

 強いプレーヤー。強い人。
 どちらも、PKははずさない。
 そのことは、W杯という大舞台で、改めて分からせてくれたように思う。

 だけど、少しでも歴史を振り返れば、すごいプレーヤーであるのは間違いないのに、それでもPKをはずすことはある。

 だから、PK戦に関しては、分からなくなってくる。

1994年ワールドカップ決勝

 W杯の決勝がPK戦になったのは3回目だった。
 単純に考えれば、もっともプレッシャーのかかるPKではないだろうか。

 最初は、1994年。アメリカW杯。日本代表が、ドーハの悲劇で出場を逃した大会の決勝は、イタリアブラジルの戦いになり、延長まで戦って0対0でのPK戦だった。

 その最初のPKを蹴ったのは、イタリア代表のバレージだった。30代のベテランで、その頃すでにレジェンドと言われているような存在。この決勝でも、ブラジルのエース・ローマリオを、鋭い読みで抑え込んだ凄さを感じたのに、PKをはずした。

 視聴者として、こんなすごい人でも、PKが入らないことがあるんだ、と思っていた。

 PK戦は進み、イタリア代表の5人目のキッカーはエース・バッジョだった。
 ここではずせば、ブラジルの優勝が決まる場面。
 そのシュートは、はずれた。

 前年にバロンドール賞を受賞し、世界最高のプレーヤーと言われている人でも、はずすんだ、と遠い日本でテレビを見ている人間にとっても、意外だった。

 落胆するバッジョに、相手チームのGKが「それでもあなたは偉大な選手だ」と声をかけた、とも言われている。

 それが、事実かどうかもよく分からないのだけど、それが本当に思えることの理由の一つは、PKの成功率と、サッカーのプレーヤーの凄さは、決してイコールではない、という認識が共有されているせいではないだろうか。

「ゴールを確信していたし、もともと責任のある場面を引き受けるのは好きだった。これはサッカーの一部だが、PKに関しては別のルールがある。私は子供の頃からずっと、PKを蹴ってきた。あのタファレルとの対峙でも、恐怖を感じたことはなかった。子供の頃からプレーしてきたものだが、失敗しても良い。そこから別の映画が始まるんだ」

 この場面に関してバッジョは、こう語っているのだけど、これは、つまり失敗の本当の理由については、もしかしたら、本人でも完全に把握していない、ということなのかもしれない。

日本代表のPK戦

 日本代表は、2022年のW杯でPK戦で敗れたが、大きな国際大会では3回目になる。

 そのことで、改めて「PK戦」に関して、注目が集まった。

 日本は、過去にも大きな大会でPK負けを喫したことがある。
 ワールドカップでは2010年南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦、五輪では2000年シドニー大会準々決勝のアメリカ戦がそれだ。

 だが、いずれの時も、今回ほどPK戦に対する世間の関心(風当たり、と言ってもいいかもしれない)が高まることはなかった。それだけ今回のワールドカップは注目されていたのだとも言えるが、PK戦での"負け方"に違いがあったことも少なからず影響しているのかもしれない。

 というのも、過去2回のPK戦敗退例を振り返ると、どちらのケースでも日本のキッカーはひとりしか失敗していない。パラグアイ戦は駒野友一、そしてアメリカ戦は中田英寿だ。その失敗にしても難しいコースにボールを蹴り、それがゴールポストやバーに当たったものだった。

 ところが今回は、日本のキッカー4人のうち3人が甘いコースにボールを蹴り、相手GKにあっけなくセーブされての"惨敗"。大きなショックとともに、多くの人の印象に残ったのも無理はないのだろう。

 その後、PK戦に関して、半年ほど経った頃には、まだ継続した関心を集めているようには思えないのだけれど、それでも振り返るとすれば、2022年のW杯の時の相手のクロアチアは、日本代表がPK戦を戦ったパラグアイ、アメリカに比べると、タフという意味で、個々人が「強い」チームだったと思う。

 あまり環境だけを強調するのは失礼だしフェアでないかもしれないが、クロアチアの国自体が、大変な時期があって、W杯に出場しているプレーヤーたちにとっても無縁ではなかったはずだ。その上、2018年のロシアW杯では、延長を何度も勝ち上がって、決勝まで進んだ経験もあり、その時のメンバーが多く残っていた。さまざまな経験値が高いのが2022年W杯の、クロアチア代表というチームに見えた。

 その相手に対して、PK戦が始まった時、テレビで見ていた視聴者にすぎないけれど、すでに日本代表が勝てる気がしなかったのは、ペナルティキックへ向かう日本代表のプレーヤーたちは、蹴る前から、やや足元がふわふわしているように見えた。

 あの場所は、どれだけのプレッシャーがあるのだろうか。

 同時に、本当に「PK戦は運次第」と言っていいのだろうか、といった疑問は、ずっと続いているようにも思う。

中田英寿

 PKについて、わからなくなるのは、過去に「この人は、はずさなさそうだ」と思えるほど、実績もあり、技術も体力も精神力もあり、試合中にはタフで冷静なプレーヤーであっても、必ずしもPKに強いとは限らないことだ。

 例えば、前出の2000年のオリンピック準々決勝でのPK戦。

 この時は、中田英寿がPK戦で、それもポストにあてて、ゴールにならず、試合に負けた。これまでの中田のキャリアから考えても、サッカーの観客側としても、おそらくは、この時の日本代表でも、もっともPKを決めそうだったのが中田だった。

 だから、意外な出来事だった。

 トルシエ監督は言った。「過去にはプラティニも、ジーコもPKを外した。だれかが外さないとPK戦は終わらない。それがPK戦のつらい現実だ」。

 オーバーエージの三浦は言った。「PK戦は得てして、試合で活躍した選手が外すものだから」。エースが外して負けたのならやむを得ない。

 試合でのPKを知っているプレーヤーや、元プレーヤーほど、PKをはずした人間に対して、否定的な発言をしない印象がある。それは、かばっている、ということではなく、その場所に、どれだけ過酷な時間が流れているか。を知っているせいだろうか。

釜本邦茂

 さらに、ある年代以上の方にしか通じないかもしれず、申し訳ないのだけど、1968年に、本当はかなり綿密な準備をして臨んでいたという話も聞いたことがあるのだけど、その年のオリンピックで、突如として銅メダルを獲得したのが日本代表だった。

 その時のエースストライカーは釜本邦茂で、その後も、日本を代表するストライカーとして長く活躍し、Jリーグが開幕してからは監督も務めている。点をとることに、生活すらを集中させたようなストライカーで、タフなイメージがあったのだけど、意外なことにPKを苦手としていたことを知った。

 ある時を境に、私はPK(ペナルティーキック)を蹴らなくなった。いや、蹴れなくなってしまった。1試合で2度もPKを外してしまったからだ。

 「これからPKを蹴るのをやめよう…」
 1973年10月7日、国立競技場での日本リーグ、古河電工戦。雨で、ピッチはぬかるんでいた。遠藤保仁(元日本代表MF、G大阪)じゃないけど、ゴール左めがけてチョコンと蹴ってコロコロ転がしたら、ゴールライン上に水たまりができていて、せっかくGKの逆をとったのにボールが止まってしまった。

 試合終了間際にもう1度獲得したPKでは、足元が滑りやすかったからか、バーの上に外してしまった。その時に古河電工でGKを務めていたのが淀川隆博(元千葉社長。J1当時の2004年から4年間フロントのトップを務めた)だったのをよく覚えている。年齢は離れているが、早大の後輩だからだ。
 1試合に2度PKを蹴るのも珍しいが、どちらも外すのは前代未聞。ひどく落ち込んだ。

 「わしゃ、もうPKは蹴らん!!」と周囲に宣言。以降、PKは今村(博治。ヤンマーで釜本に多くのアシストを供給した)に任せることにした。

 なぜPKを蹴らないのか?と聞かれるたび、「GKの顔を見たらかわいそうになる」と答えていたが、本当は違う。「また失敗したら…」という気持ちに勝てなかった。

 もちろん、PKを蹴れば個人タイトルで有利になることは分かっている。それでも、二度と蹴ることはなかった。意地のようなものがあった。翌74年から75、76、78年と得点王を獲得した。

 77年まで代表でプレーして、引退を決意したのは40歳の時。年齢や2度のアキレス腱(けん)断裂の影響もあったが、一番大きかったのは、日常生活においての失態だった。
 83年、立ち上がる拍子に足を机にぶつけた。大切な商売道具にそんなことをしてしまうなんて考えられない。本来は飛び込んでくるDFの足をかわしてプレーしないといけないのに、動かないものにぶつけるなんて…。潮時だと思った。

 最後の、引退を考えるエピソードも含めて、本当にストライカーらしいと思えるのだけど、こうしたプレーヤーであっても、失敗体験によって、PKを蹴ることができなくなってしまう。とはいっても、その後、4年連続で日本リーグで得点王を獲得しているから、シュート自体ができなくなっているわけではない。

 試合の時の得点と、PKは、別のものと言えるかもしれない。単純に精神的な強さだけで語れるものでもなさそうだ。

PKの研究

 当然というか、すでに「PKの研究」をしている研究者も存在する。

サッカーにおける心理学研究の第一人者である、ゲイル・ヨルデット教授(@GeirJordet)。彼は主要大会のPK戦を分析し、結果を左右する心理的要因について研究しました。

サッカーのPK戦には「プレッシャーのかかる状況で、いかにして良いパフォーマンスを発揮するか?」という問いに対する答えのエッセンスが詰まっている。

 PK戦において、選手の「PK成功率に影響を与えると考えられる主な要因」としては以下のものが挙げられるだろう。
・「生理的要因」:試合による疲労など
・「技術的要因」:シュートスキルなど
・「経験的要因」:年齢など
・「心理的要素」:プレッシャーや勝利につながる度合いなど

「心理的要因」
 上記4つの要因の中で最も重要なのが、プレッシャーや勝利に直結するか否かといった「心理的要因」である。

心理的要因」がPK成功率に与える影響が最も如実に現れているのが、「外せばチームの敗北が決まる」あるいは「決めればチームの勝利が決まる」という重要な局面でのPKだ。

そして、チームの成績だけではなく「選手個人のステータス」もPK成功率に影響を与える。世界的なスーパースターは注目が集まる分、体感するプレッシャーも大きいのだ。
 極限状態のPK戦という舞台で、スーパースターにはさらなるプレッシャーがかかることになる。なんと、バロンドールなどの主要な国際サッカー賞の受賞歴がある選手は受賞前のPK平均成功率は約89%とかなり高いにもかかわらず、受賞後の成功率は約65%にまで下がってしまう。

 それほどサッカーに詳しくないとしても、PKの成功には、心理的要因が大きく関係するのは、予想されることだったと思う。

 ただ、この研究を知って、1994年のW杯決勝のPK戦でのバッジョは、W杯の決勝という、これ以上ないほど重要な試合で、「外せばチームの敗北が決まる場面」の上に、その前年に「バロンドールを受賞」しているから、もしかしたら、このときは、サッカー史上、もっともプレッシャーが大きかったPKかもしれない、と思った。

アルゼンチン代表の準備

 W杯で、もっともPK戦に強いチームといっていいアルゼンチン代表は、繰り返しになるが、2022年で、またPK戦での強さを見せたが、おそらく、どのチームよりも、PK戦は精神的な重圧がかかることを前提として、その準備をしたようだった。例えば、PK戦、4人目のキッカーを、モンティエルにしたこと。

後半の終盤から途中出場していたモンティエルは、右サイドバックを主戦場とする選手。にもかかわらず優勝が決まる可能性がある場面でPKキッカーを任されたのには、しっかりとした理由があった。

アルゼンチン『TyCスポーツ』によれば、モンティエルはこれまで公式戦でPKを外したことがないという。現所属クラブのセビージャではまだPKを蹴る機会がないものの、リーベル・プレート時代はたびたびキッカーを任されて貴重なゴールを記録してきた。

モンティエルは現在25歳。精神的に成熟し、30代のベテランのように振る舞える。ワールドカップ決勝の舞台で途中起用されたのは、右サイドバックに入っていたDFナウエル・モリーナの体力面を考慮したことだけが理由ではないだろう。

 もちろん、PK戦も見据えて、キッカーとしての素養を持つ選手を投入する意味合いもあったはずだ。

 アルゼンチン代表の優勝が決まる可能性が出た4人目として、モンティエルがペナルティスポットにボールを置いた。

『TyCスポーツ』は「アルゼンチンサッカー史上、過去36年間で最も難しいPK」と書いた。しかし、「勝利は足もとにある。4732万7407人のアルゼンチン人がプレッシャーを感じている。いや、実際には4732万7406人だ」とも。モンティエルは極限の重圧がのしかかる場面でも、平常心を保っていた。

 なんと、フランス代表GKウーゴ・ロリスを相手にいきなりPKの蹴り方を変えたのである。準々決勝のオランダ代表戦でもPK戦の3人目のキッカーとして成功させていたが、その時はしっかりとボールを見てインサイドキックで丁寧にシュートした。

 ところが決勝ではノールックでPKを蹴ったのである。ボールを置き、深呼吸をして、助走に入り、思い切り右足を振り抜く。そこまでの一連の動作に迷いは一切なく、いつもと違うことをする余裕すら見せたのである。

 これだけの強靭な精神力を持っているプレーヤーを、おそらくはPK戦を見据え、途中で出場させ、その上で、もっとも重圧のかかると思われる順番のキッカーに起用した。

 アルゼンチンは、PK戦は運次第と考えていないかもしれない。というよりは、運が左右するとはいえ、その運を最大限に引き寄せる準備をしている、と言えるのだろう。

PK戦という特殊状況

 サッカーが日本でメジャースポーツになったことで、PKといえば、何を指すのかは、ほぼ「常識」になってきた。それは、「サッカー冬の時代」に、平凡なサッカー部の平凡なプレーヤーだった人間にとってみれば、それだけで、ちょっとうれしい。

 PKとは、ペナルティー・キック。

 誰にとってペナルティなのかといえば、ゴールを守っている側にとってのペナルティになる。つまり、攻撃側が、ほぼ得点になる場面を、守備側が反則によって止めた、と判断された場合に、主審によってジャッジされる。

 そして、ゴール前のペナルティ・スポットにボールが置かれるが、そこからゴールラインまでは約11メートル(12ヤード)。

 ゴールは「規定の大きさはゴールポストの内側が7.32m、クロスバーの内側の高さが2.44mのものを使用します」とされている。

 こうした数字を並べても、実感としては分かりにくいはずだが、PKを経験した人なら誰でも分かってもらえるのだけど、この位置からシュートをするのは、ゴールキーパーがいたとしても、入って当たり前の距離だ。しかも、ゴールキーパーは、キッカーが蹴る前に動いてはいけない。

 何もない状況であれば、ゴールはとても大きく見える。

 どうして、ここまでキッカーに有利なのかといえば、繰り返しになるが、得点になるはずの機会を、守備側が反則によって防いだ、と審判が判断した、守備側にとっての「ペナルティ」だからだ。

 つまり、あらく言えば、入って当たり前のシュート。それがペナルティ・キックで、試合中であれば、得点できたはずなのに、その機会を奪われた、という必然性があるから、決めてやる、という集中力を発揮しやすいと思われる。

 だけど、PK戦は、これまでの、常に動き回って、チームのメンバーと一緒にゴールを目指しているサッカーというゲームとは違って、止まった状況で、たった一人でシュートを決めなくてはいけない。

 すべての責任は、自分にかかる。

 その上、大きな試合になればなるほど、そのキックの瞬間に至るまで、スタジアム中の注目が集中し、W杯のような舞台になれば、世界の何億人が見ている。ゲーム中であれば、そんなことを考える余裕はないはずだ。常に移り変わるゲームの局面に対応し、勝つために思考も動かせ続けなくてはいけないからだ。

 だけど、PK戦は、チームメイトと一緒にいる場所から、ボールを蹴るペナルティ・スポットまで歩いて行くとき、同じピッチの中なのに、誰も、その動きを邪魔をしない。だから、今の状況のこと、これからやるべきこと、そして、それがどうなるのか。はずしたら、どんな状況を招くのか。

 そんなことも、おそらくはイメージしてしまう。

PKの重圧感

 優れたプレーヤーほど、想像力も卓越しているはずだから、もっと具体的に頭に浮かんでいるかもしれない。入って当たり前の距離からのシュートだから、それで余計に、怖くなったり、緊張感が高まる可能性がある。

 どんなレベルであっても、PK戦を経験した人であれば、サッカーというゲームの中で、その行為が異質であり、そのレベルによって重さは違うにしても、重圧感があることは理解できるのだと思う。

 そして、その場面でモノを言うのは、やっぱり精神的な強さだということも、知っているはずだ。

 しかも、PK戦でボールを蹴る人というのは、チームにとっては選ばれた人でもあり、当然ながら、それほど頻繁にPK戦が行われるわけもない。だから、経験した人自体が多いとは言えない。いくら「1000本」ペナルティ・スポットからシュートの練習を繰り返したとしても、実際にPK戦に突入した時に、全く違うことだと分かるはずだ。

 しかも、決めたとしても、歓喜よりは、安堵が上回りそうだから、得点の喜びとも遠そうだ。

 誰にとっても、W杯のPK戦は、初めての体験に近い。だから、もしかしたら、その状況がよくわからないほどの重圧感に飲み込まれているうちに、気がついたら、ボールを蹴ってしまっているのかもしれない。

 他のどこでも経験できないようなプレッシャー。

 それがW杯でのPK戦であり、どんなレベルであってもPK戦を経験した人間にとっては、世界最高峰のプレーヤーたちが、普段だったら絶対に外すわけもないペナルティ・スポットからのシュートをはずし、呆然とする姿を、テレビ画面などで見て、あの場所がどれだけの重圧感のある場所なのかを想像する。。

 だから、PKの失敗に対して、それほどの非難が集まらないのではないだろうか。

 逆に、あの場面で PKを決めたプレーヤーたちが、どれだけの精神的な強さを持っているかと想像すると、素直に頭を下げたくなる思い、になる。

 それが、W杯のPK戦というものだと思う。




(※「後編」に続きます)。


(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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