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日本に帰ってきて。

祖国にいてヨーロッパのことを想ってみる。

noteには海外在住の方が多い。
日本に里帰り中の今、初めての方の記事を読んでいて、パリのことが取り止めもなく浮かんできた。

私は、父が修行でパリにいた時に母のお腹に宿った。妊娠中期に日本に戻って出産したので、生まれたのは日本だけどこの世に発生し、有るか無きかの姿になったのはパリだ。

だから心の中で自分は「メイド・イン・パリ」だと思っている。

1994年の高校を卒業した春、母と二人で初めてフランスを旅した。
その時に、かつて両親が住んでいたというパリ17区にあるアパルトマンを訪ねた。
そこは凱旋門にほど近い所にあったはずだが、外観を見ただけで特にコレといった印象は残っていない。
ただ「ここで自分という存在が発生した」ということを突き詰めて考えると、何とも微妙でかつ生々しくもあり、気恥ずかしい気持ちになった。

早春の雨で濡れて、何処か寒々しかった風景は、今もほんのときたま思い出しては不思議な気持ちになる。



ある小さな事件以外は、この旅のことはもうあまりハッキリとは覚えていない。

パリの前に、二人が住んでいたリヨンを訪ねるために列車に乗っていた時のこと。満員電車に揺られていた時に、危うく母がスリに遭いかけた。
まさにポシェットから財布を抜こうとしたのを、私服の男性警察官が取り押さえてくれ事なきを得た。
30年近く経った今でもその時の私服警察官の惚れ惚れするような姿ははっきり思い出すことが出来る。
緊張感に満ちた凛々しい表情で、母に大丈夫か?と確認する仕草は映画の一場面のようだった。
母がポォーっとウットリと見惚れていたことも、そりゃそうやよねぇ...と18の小娘にもよく理解できた。

パリジャンのエスプリが有るとしたら、ああいうのをいうのだろう、きっと。

父は芸術家肌の一分野に突出した才能がある人だった。
そのような人と“家庭を共にする”というのは、口で説明するのが難しいことが、たくさんたくさんあるんだ...と、声を大にして言いたくなることがある。

私自身にはそんな才能は無いが、そういうモノの重さやしんどさに家族として関わってきた。「光と影」「表と裏」というものに強く惹かれ興味を掻き立てられたし、同時に激しく複雑で混沌とした思いを抱いてきた。

noteに自分の親子関係の片鱗を書き出すのは随分と覚悟が必要で、この記事を書く時は凄く怖かった。何とか禍々しいものを祓って机に向かったのだった。
自分の親について書くのは恐ろしいことだったし、同時に自分の深部を見つめていかないと書くことは出来なかった。

自分の中にいる“小さな女の子”を抱き取りながら、涙と一緒に文章を綴った。
だからnoteに書けて良かったと思っている。


両親は、特に父は、私にとって「壁」だった。
越えたい壁。

負けてはならない大きなものだった。

父の変わった性質は、現代ならアスペルガー症候群とかに近い、何か名前が付くだろうと思う。
私もそういう父の性質を若干受け継いる。
特に選んだ職業が看護師だったこともあって、その部分を矯正...というか隠して目立たなくさせるために、若い頃はなかなかの苦労をした。
その血は娘にも確実に受け継がれており、彼女が一番育てにくく、今でも誰よりも手を焼く存在だ。

よく下二人が年の近い男の子だと言うと、
「まぁ大変でしょう?」
と言われたが、男子二人よりも長女一人の方が何倍も大変だった。
男子達は長女を経験した私にとっては、単純でおバカでなんて扱い易い!といつも感じる。

娘は気分屋で、空気を読むということがなく超マイペース。あり得ない様な失敗を何度もしたり、ごく基本的なことが出来なかったりする。
片付けられない症候群にはずっと罹患中だ。

そうかと思えば、円周率を100まで日本語でもドイツ語でもスラスラと言ったりする。
なんでも、覚えるためのアプリがあって、
「何か面白そうだったからやってみた」そう。

“そんなことやる時間があるんやったら、部屋でも片付けたら....” と内心で怒涛のツッコミを入れた(し、実際そう言ってしまった)。



親になってずいぶん経つが自分が “人の親” だという自覚が、私はとても薄い気がする。
そんな自分の状態に焦った頃もあったが、このまま子育てが終わるまであまり変わらないのかもしれない、と近頃は一歩引いて思うようになった。

“パリジャンにポォーっとなっていた母”は今の自分よりも若かった、という事実に驚かされる。
ずっと親という存在は大きく苦しかったが、自分の現在の未熟ぶりというか発展途上ぶりを思い知るたびに、自分の中に鎮座する“親”もそうだったのだなぁと思う。

そんな親からかけられた呪いは、大きいのも小さいのも有るが、きっと「今の自分が解いていくことが出来る」と感じている。


親であろうとも人間がかけた呪いは、自分自身の手で解くことが出来るはずなのだから。

私は「誰かの娘」や「誰かの親」の前に
ひとりの人間で在りたいと思っている
罪悪感を覚えることもなく
“それが私の普通なんだ”
って肩肘張らずにいれればいい


パリが浮かんできたLurihaさんの記事です。

芸術や感性について、瑞々しく鋭い文章で綴られていて、幾つになろうが個人としての感性を守る気概を忘れたくないなぁ...と拝読して思いました。


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