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生きてりゃいい、ならクエチアピンと酸素をちょうだいよ。

あなたには
たった一つでも今この瞬間を生きる
理由があるだろうか。

使い古された疑問だ。
誰でも特に若い人だったら、
一度はふっと頭に思い浮かぶ。
何で生きているんだろう、って。

今日は月曜日だから
ゴミを出す。
グレーのパーカーをはおって、
ふくらんだ白いポリ袋を
投げ棄てる。
朝の七時はいつも空が
水色に晴れていて、
空気も透き通っていた。息がしやすい。
ちょっと腕を広げて伸びをしてみる。
この時間はまだ誰も外にいない。
大きな白いマンションがいくつも立ち並び、
しーんと静かで
わたししかいないようだ。
けれども
目の前の窓辺に柔らかなタオルや布団が
ぶら下がっているように、
この世界にはあらゆる人々の生活の匂いがしていて、
今この瞬間もどっかの女子高生が
リップを塗りながら電車に乗り込み、
主婦が鼻歌を歌いながら皿を洗い、
サラリーマンはくすんだ背広を着て歩いている。
人間の息吹きがリズムの輪になって
世界を廻していく。
しかし、
数少ない家庭内の役目を果たしたわたしは
その大きな輪から外れて
ドアの向こうへ戻り、スマホにかじりつくのだ。

定時制高校を辞退したあの日から、
どれ位が経っただろう。
半年かな。まだ半年か、でももう半年だよな。
公衆電話で
土色のコインを握りしめながら、
「わたしやっぱり高校行きません」と
怒鳴る訳でもなく
淡々と呟いたあの日。
やけに空が暗かった。
自分にもうちょっと余裕があると思っていた。
まさか、参考書をめくる事すら
気持ち悪くなる程駄目だとは思っていなかった。

一年前のわたしだったら、
こうやって朝晩関係なく寝起きして
無為に時間をやり過ごす
日々なんか、想像だにしていなかった。いや、そうなったら良いのかもしれない
とはちょっとは感じていたけれど、
本当にそうなるとは信じていなかった。
毎朝六時に起きて、
施設から学校へ行くため、
電車に揺られる朝。

苦しかった。
車窓に映るわたしの表情は
どの中学生よりもくすんでいて、
青ざめていて、可愛くなかった。
きっとまた学校に行けば
「何で家にいないの?」とか
好奇心丸出しの顔でズケズケ踏み込まれて、
施設に戻れば
食事や掃除の手伝いをして
寮の先輩や先生に嫌われないよう
どうでもいい話題にも
笑顔で相づちを打って
面白いっぽい返事をして、
夜中の三時まで勉強して
学校じゃ眠くてしょうがなくて。
いつまで続くんだろう。

よく「強いね」と言われた。
「しっかりしてるね」って。
でもそういうあなたは知らないでしょう、
わたしが授業中席を立つ度に、
トイレでひざまずきながら
過呼吸に喘いでいることを。
頓服薬飲んでも
ペンを握る手がぶるぶる震えることを。
気持ち悪くて仕方なくて、
朝公園のブランコに座り込んでしまったことを。
遅刻しちゃ駄目だと分かっていた。
家から出られて、
学校まで行かせて貰えているんだから、
ちゃんとしなくちゃいけなかった。
保護を受けるのはこれが初めてじゃないし、
皆いい人なんだから。
強くなきゃいけなかった。
それなのに、
そんなわたしの意思とは関係なしに
息が出来なくなり、胃液が口から溢れだす。
足が感電したようにビリビリ痺れて、
しばらく便器の下でうずくまっていた。
情けなかった。
何でこんな頑張りたいのに、
まともにノートをとることさえ出来ないんだろう。
何で他の子は平気な顔して
毎日生きているのに、
わたしは
こんなに苦しいんだろう。
何でこんなに指先が動かないんだろう。
何でこんなに駄目なんだろう。
何でこの体は心はこんなに弱いんだろう。
「他の人だって辛い」
「病気の人はいっぱいいる」
分かってるよでももう、
そんな言葉さえ上手く吸い込めないや。
涙が止まらなかった。
わたしは強くなんかない、
弱さを必死に背負いながら
ずるずる這いずり回っているだけだ。
不幸自慢?
こんなみっともない話が
自慢になる訳ないでしょう。
体が痛い。呼吸が出来ない。
朝の人混みの匂いが気持ち悪い。
ありふれている、
あたしの苦痛はありふれている。                   そうしていつの間にか第一志望を取り下げ、第二志望も落っこちて、気がついたら高校に行くのをやめて、気がついたら引きこもりにたっていた。

そんな普通なことに溺れて、
わたしは馬鹿そのものだね。

大人になるってどういう事なんだろう。
とぼんやり考えた。
「大きくなれば自由になれるよ~」なんて、
あなたは言うけれど。
自由なのにどうして、
入社した途端
鬱病になって退職する大人がいるの?
過労で自殺する大人がいるの?
三十代で孤独死する大人がいるの?
何でわたしのお母さんは働けないの?
結局、自由だとか前向きっぽく誤魔化して
膨大な選択肢と自分の弱さの間に広がるひずみに
縛られてるんでしょ。
自由なのに囚われるだなんて、
皮肉な矛盾だね。
それじゃわたしは騙せないよ。
目をそらしていて欲しいなら、
底が見えない位
どろどろに濁らせてよ。

必死で働いてお金稼いで
眠れるベッドがあって
ご飯を食べられて
とりあえず生きられる。
でもその、とりあえず生きてるから
何なんだって思ってしまう。
頑張っているけれど、いつまでずっと目の前にある事を一生懸命こなすだけの人生を送ればいいんだろう。
死ぬ程の深い事情は無い、
けれど
生きるだけの理由や
しがみつく物があるかと聞かれると
何も言えない。
自分がどんどん透明になって、消えていくみたい。
生きる意味とか日々の充実とか
そんなもん無くても
ただ生きる事だけなら誰でも出来るよ。
で?
そうやって惰性で生きてどうすんの?
生きてりゃいいなんて、
ただ単純に生きてりゃ
上手く生きていけない
の間違いだろ。

沢山のかわいくないハテナが
小さな肺を満たしていくから、
透き通った酸素は
フワフワ地面に沈んでいった。
人間の営みのリズムから
調子外れたわたしは、
これからも惰眠を謳歌する。
もし社会に飛び出したとしても
また薬が必要になるかもしれない。
そもそもそんな時まで
生きているかも分からない。
生きてりゃいい、なんて
顔が真っ青になる程ウソっぱちだと
とっくに知っている。
普通に生きていたい、
でも普通じゃない何かがないと
満足出来ない、
こんな皮肉なコントラストの間で
明日も息を詰まらせる。

けど、たまに
ピンクの薬を一錠と
ほんの少しの酸素を吸い込めば、
そこそこ生きていけるよ。多分ね。


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