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かわいい娘の話をします

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娘のかわいい日常をお届けします。日めくりカレンダーの絵柄のように、くるくる変わる子どもの世界を、少しでも書き留めておけたら。
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#子ども

大きくなる

娘が6歳になった。 いや、2週間ほど前になっていたのだけど。なんだか、「6歳になった娘」を私の中で飲み込むのに時間がかかった。5歳の娘は、もういないんだなって。 一言断っておくと、この気持ちは、「さみしい」じゃないのよ。子どもの成長は、いつだって喜ばしいから。 私が寂しくなるのは、写真や動画の中の小さな娘を見たときだ。舌足らずな言葉で不器用にスプーンを握る手。よたよたと一歩ずつ地面を踏む足。あのとき、余裕がなくて、必死で、疲れて、見えなかった娘の可愛さに出会うと、この手

ヘアスタイルという魔法

さいきん、6歳(New!)の娘が髪型をしょっちゅう変える。 朝、出かけるまえ(直前!)に「お母さん、結んで」とリクエストしてくるときもあれば、小さな手で不器用なポニーテールを作るときもある。 とはいえ毎日ではなくて、肩までバラっと伸びた柔らかい髪の毛をそのままにしている日のほうが多い。おしゃれも好きで、友達と外を駆け回るのも好き。だからなのか、髪型を変えた日は200%増しで娘が可愛らしく見える。 * 赤ちゃんというものは、大変不思議なもので、ふさふさと豊かな髪をたくわ

たぶん、きっと、これは愛

子どもというものは不思議なもので、日に日に成長するはずなのに、親目線で毎日「大きくなったなあ」とは思わない。 ふとした瞬間、「あ、大きくなってる」と気づく。 届かなかった棚に手が届くとか、背伸びしてのぞき込んでいたダイニングテーブルを見下ろしているとか、その瞬間はいくつもある。なかでも私が好きなのは、バスタオルで拭いてあげるときに気づく背の高さだ。 お風呂から出てきた娘の、濡れた体を拭いてやる。おぼつかない足取りの2歳のころは、まだまだ小さかった。娘の目線と、膝をつけて

はじめての、おかいもの

noteを毎日書いていると、たまに「これは絶対に書かねば」という気持ちになる。 もともとは、娘の成長を書き記すために始めた毎日更新。最近は、日々思うことや書くことについての感情を言葉にする記事も多いのだけれど、昨日は本当に「これは絶対に書かねば」という一大イベントが発生したので、こうやって書いている。 なにかというと、5歳11か月の娘が、うまれてはじめてお小遣いで買い物をした。なんだ、そんなことか。そうです、本日のnoteは、人様にとっては「なんだ、そんなことか」を一生覚

今日という日を楽しくするクレープ

やぶれかぶれな気持ちになる休日の朝。予定はとくにない。というか、娘が「お家で遊ぶの!」と主張して外に行けそうにない。 時計の針が、10時半をすぎる。「お母さん、パンケーキつくろ?」小腹が空いた娘に提案された。 パンケーキかあ。正直にいうと、私はちょっと苦手。つくるのは好きだ。だけど、いざ食べるとなると、バターとメープルシロップをたっぷりつけても、口の中でモソっとする食感に残念な気持ちになってしまう。 「クレープにしない?」代案を娘になげかけた。「クレープ」がなにかを知ら

妖精は、ペルーにいた

あるはずのウェブサイトにアクセスしても真っ白な画面が表示されたときから、いやな予感はしていた。おそらくダメだろうと送ったメールの返信は、予想を数ミリ斜めに超えたものだった。 何の話かというと、娘の誕生日会の出し物のことです。 8月の末に娘は6歳になる。いまから誕生日会の準備をしないと、諸々間に合わない。 6歳の誕生日会? そんなにやることある? とあなたは思っているだろう。 もちろん、どれほどの規模にするかはご家庭次第。けれど、七五三や桃の節句といった子どもの年中行事

べつに星に願わなくても

「ネコちゃんがほしいの」 昨日の夕食後、娘と七夕だし短冊でも書こうかねという話になった。 ネコちゃんは私も好きだが、あいにく夫がネコちゃんアレルギーである。その願い事は叶えられない。 「七夕は、ほしいものじゃなくて、なりたいお願いを書くんだよ」 夫が教えると、娘はうーんと悩んだ後、「うたがじょうずになりたい」と口に出した。習得途中の平仮名を一字ずつ確認して紙に書き、それを庭の竹にくくりつけた。 * 「Wish(お願い事)、かなったかなあ」 翌朝、起きてきた娘に質

知らない不安と、ピアスの穴

「ねえお母さん、お耳をパッチンするやつってさ……」 数日前のこと。さあ寝るぞという段階で、ベッドに入った娘が口をひらいた。なんだか少し不安げに、未知のものを尋ねる表情で、布団にもぐりながら私を見上げている。 ああ、ピアスのことをいっているのね。 最小限の単語で、情報が伝わるのが家族のふしぎだ。 「ピアスあけたいの?」 尋ねると、娘はちょっと泣きそうな感じで「う~ん……」と歯切れのわるい返事をした。 たぶん、興味はあるけれど、怖いのだろうなと思った。 住んでいるニ

いっしょにスーパーマーケット

子どもと一緒のスーパーは、ちょっとした戦場だ。 娘は5歳10か月。乳児の頃とくらべれば、たいへん「イージーモード」だが、カートをぐいんと押したり、あれ買ってこれ買ってと横入りしてきたり、わりと気をつかう。 その点、夫とふたりの買い物は楽だ。夫がたまに平日休みの日は、近所のスーパーマーケットへ行く。面倒な買い出しが、ちょっとした楽しみでさえある。 ずらっと並ぶヨーグルトを前にして、どのフレーバーがいいか相談する。 「やっぱりイチゴがいいかな」「娘ちゃんはこっちが好きじゃ

ひとりっこの王国

「ひとりっ子 協調性がない」 ひとりっ子の人は、一度は言われたことがある言葉ではないだろうか。 世間にまるで真実のように流布する思い込みである。個人的に、ひとりっ子の娘を6年近く育てている親としては、「ひとりっ子」という単体の要素だけで性格が決まってたまるものか、子育てはそんな単純じゃないぞという気持ち。 こうしたステレオタイプは、考えなくて済むので使うほうは脳みそが楽だ。だから、たくさんの人がすぐ信じちゃうんだと思う。 言われたほうは、はっきりとした負の感情でなくて

あんまりにも楽しそうに雨粒をのむものだから

ニュージーランド人は、傘をささない。なんて、断言すると怒られそうだけれど、実際に傘をささない人が多い。 車社会と、街にはアーケードが多いこと、天気が変わりやすいのも関係していると思う。 その日は、朝からぽつぽつと雨だった。娘を学校に送っていくため、車に乗り込む。学校に到着したら、雨足は、と、と、と、と大きな粒に変わっている。 あらま、と思いコートのフードをかぶる。こうしたとき、アウトドア用のはっ水効果の高いアウターは便利だ。車からおりる娘にも、フードをかぶるようにいった

いっしょに作る、今日の餃子

<前回のあらすじ> オオゼキ愛あふれるまつしまようこさんが紹介する黄金色の「陽子の餃子」を作りたいと思い立ち、日曜日の朝、娘とスーパーへ旅立った私は……!? というわけで、無事にスーパーで餃子の材料をゲット。 時刻は日曜日午前11時。ランチにむけて、餃子づくりを開始するにはふさわしいタイミング。 はたして私は、無事においしい餃子にありつけるのか……? 玄関の扉を開けた直後から戦いは始まっている子どもと一緒のクッキング。大変なのは、台所からではない。戦いは、スーパーか

5歳10か月の娘の「抱っこ」を、もう断れないかもしれない

5歳だなあと思っていた娘が、いつのまにか5歳の年月をほとんど終えていた。8月末が彼女の誕生日なので、残すところ2か月もない。 日本では夏休みの終わりの暑い時期。ニュージーランドは、わずかに春の気配が感じられる冬のさなか。娘の名前には、夏に鮮やかに開く花の名前がついている。彼女と日本のつながりを感じられて、個人的にとっても気に入っている。 5歳10か月、ほぼ6歳ともなると、なんというか「一人前」だ。 自由奔放な世界で育っているので、ハシはいまだにうまく使えないし、遊びはじ

それは、朝のさりげない会話で

子どもというのは、なんでも遊びに結びつける。生活があり遊びが付属しているのではなく、遊ぶために生きているといっても過言ではない。 パジャマを着ながら「頭がでません~」と遊び、道をあるけば落ち葉を拾い「うちわでーす」と遊ぶ。 食事は、娘にとって遊びのチャンスだ。もとより小食な娘。だまってもくもく食べ物を口に運ぶという習慣がない。大人からみれば「遊び食べ」を連発する。 だからこそ、子どもと違う世界で生きている大人は、だいたいは疲れて、ときには愛おしく思うのだけど。 *