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それやったら、あかんの 川上未映子『夏物語』

川上未映子『夏物語』は、子どものいない私には、他人事とは思えない一冊であった。パートナーなしの出産を考える主人公夏子は、精子提供(AID)に辿り着く。AIDで生まれてきたひとり、反出生主義者、善百合子の言葉が印象深い。人が人を生みたいという欲望に理由はいらないこと。人生には良いことも苦しいことも起こるが、幸せのほうが多いと思っていて、自分の子どもも同じように信じると信じて疑わないこと。人は自分が信じたい愛や意味のためなら、たとえ自分の子どもだろうと、痛みや苦しみをいくらでもないことにできること。皆が考えることさえしない、善百合子の言葉を夏子は懸命に反芻し、自分なりの答えを出す。盲目的に信じたいことしか信じない、見たいものしか見ない、人というものの中には一体なにが埋め込まれているのか。人が人を生むことは本当におめでとうなのか、考えずにはいられないのだった。
子どもはいないが、私には父と母と姉がいる。家族について思うとき、足元が霞むことはなかった。愛も意味も信じて生きてきた。恵まれているのだった。
この物語は大阪と東京が舞台になっている。私の母は大阪の人だ。東京ではありえないスピードで電車の席が埋まることや、従姉妹たちのゆっくりと柔らかな大阪弁がよみがえる。
「それやったら、あかんの」
夏子のように、夕方の青くなってゆく部屋で、ひとりで生きて死んでいくことについて考えている。

友人が家に来る。来る前に3年ぶりぐらいにモスバーガーに寄ったらしい。大好きなロースカツバーガーのセットを頼もうとして、レジ前で一瞬かたまったそうだ。7だった?8だった?って思い出そうとして、全然思いだせなくてね。900円台ってもう1000円じゃない。だから70円プラスして好物のコーヒーシェイクに変えちゃったね、ついでよついで、と言う。年取ったね、私もだけど。心の中で独りごちる。夏はすぐそこまで来ていた。




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