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中国社会の文化人類学的フィールドワーク

 10年くらい前に”付き合い”で海外旅行によく行っていた。ヨーロッパやアフリカ、アジアの辺境地をツアー旅行でその雰囲気だけを味わっていた。王道のサイトシーイングにはしていなかったつもりだが、フォーマットが団体旅行である以上、そこで得られるのは表面的な満足感と、深く知ることができない消化不良と、手応えのない徒労感、過剰なカメラの画像データ、であった。一緒に行っていた人との関係性が途絶えると、海外旅行に行くことはほとんどなくなっていた。

 今は上海駐在員として中国に来ている。中国には何の偏見もなく、憧れもなく、ただ仕事で赴任しているだけ。想定外の人事異動ではあったので表向きは戸惑っていることを装ったが、実際は驚くほどフラットな気持ちで赴任してきた。日本と同様に楽しいことも辛いこともほぼ等価で受け入れざるを得ないだろうという心持ち。

 今週は北京に出張だった。過去、既に2回ほど来ていて上海とは異なる雰囲気が気に入っていた。上海の街並みは日本に似ているというか、日本の異母兄弟のような少し近過ぎて微妙な距離感、SFにおけるもう一つの日本を見せられているような奇妙な感覚を覚えている。対して北京は完全な”中国”で適度な距離感で向き合うことができる。上海人からすれば田舎で野暮な感じ、少し政治的で窮屈な印象があるそうだ。でも、そこが中国の素朴でクールなイメージと合致していて私にとっては収まりが良い。

 政府系の団体と面談を行った。相手は3名が女性で男性は1名、こちらは男性が5名で女性が1名。初めての顔合わせで双方の紹介を行うセッション。相手方の秘書室長が先方の紹介を始めた。合間に日本語通訳を入れながらの説明に対して、私はメモ書きしながら彼女の声に耳を傾けていた。すぐ終わるのだろうと思っていたところ、彼女がタイプされた書類を読み上げていることに気付いた。どうもいつもと感じが違うので周りを見渡すとその景色は見慣れたものとはだいぶ異なっていた。TV報道などでみる中国政府関係の会議のそれであり、私の前には仰々しい名札とクラシカルなマイクロフォン。出席者名簿の紙がテーブルに置かれている。彼女の流暢な中国語を耳にしながら頭がクラクラしてきた。

 私が憧れたのは母国から自己を解放させて海外で芸術や音楽活動をしていたアーティスト、異国で文化人類学を洗練させていった思想家や学者。全くそちらの分野に進むことはなく、否、進むことができなかったからこそ今でも羨望の眼差しを向けている。私はアーティストでも思想家でもないが、彼らと同じように全く異なる社会や文化を文字通り体感できていることに身震いしていた。体当たりで現地に入り込んだ探検家やフィールドワークを行った文化人類学者と同じ境遇に、今自分がいることに幸福感を感じていた。

 長い間ビジネスの環境に身を置いている身としては、当たり前として存在するあのパワポ資料には正直辟易している。中身がなくてもそれっぽく見えてしまう大量生産が可能な魔法のツールであり、ある種のグローバルスタンダード。そのスタンダードに全く頓着しない、文書を読み上げるというそのスタイルに私は酔いしれていた。カッコいい、カッコ良すぎる。中国独特の言い回しで抑揚をつけながら彼女は文書を吶々と読み上げている。

 パワポ資料でビジュアル化したイメージ。今ここで即興的に出てきたように思わせるフレーズ。相手の頷きや表情を見て、アイコンタクトしながらプレゼンを進めるそのスタイル。これはグローバルスタンダードであるかもしれないが、そこでいくら洗練されても一つのフォーマットに過ぎない。文書を読み上げるスタイルは中国の官僚文化とされるらしく、中国ビジネスでも今ではほとんど存在しない。それが故にそのスタイルを目の当たりにすることができて本当に痺れた。会議室のしつらえと、そこで準備された文書を読み上げるという様式美。一見退屈にも見えるが、私にとっては猛烈に刺激的な体験だった。中国語ができるようになったら、是非やってみたい。ピンインも4声も完璧な中国語で大袈裟な抑揚を付けて文書を高らかに読み上げる自分をイメージした。

 今なら少しわかる。私が憧れたアーティストや思想家が海外に求めたものは、単なる新しい刺激ではないということ。それも少しはあっただろうが、それよりも自分の常識や方法論、固定観念を一旦解除するための手続きであったということを。その自分の常識を覆すことの難しさと同時に、その気持ち良さ、開放感はクリエイティブの源泉であることもわかる。私にはわかる。でも私はクリエイティブまでの手順を踏んだその淵で、佇むことしかできない。私は一介の駐在員だったわけで。

 かつて海外旅行で何も満たされなかったことを思い出した。どんなに刺激的な風景も、壮大な景色も、伝統的な文化体験もそれはある意味、表向きに準備されたものである。そこには大自然だろうが文化だろうが、観光客や外部をたっぷり意識した魅せ方。正直そこには興味が全く湧かない。今回の中国の官僚文化の一片を垣間見ることがどれほど希少であり、スリリングな体験であることを今一度噛み締めた

 秘書官が書類を読み上げる間、提供された高貴な香りのするお茶を啜りながら私はその様式美を堪能した。彼女が30分以上かけてその役割を終えた。次はこちらの番。私は準備していた手垢の付いた会社紹介のパワポ資料を巨大モニターに投影して、プレゼンを始めた。


アイコン引用:chojugiga.com


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