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Tabula Rasa

先入観や決められた目標がないこと。
人間の心、特に生まれつきの観念がないとみなされること。

from Oxford Languages

タブラ・ラサとは、ラテン語で『何も刻まれていない石板』という意味を持つ言葉です。
まっさら、白紙状態の人間のことを指します。
主に哲学や心理学等の分野で扱われる概念で、私自身も高校の心理学のクラスで知りました。

ご挨拶遅れましたが、みなさんごきげんよう、瑪瑙です。
哲学的な出だしにはなりましたが、これは自身の美学に関するお話です。
個人的にとても読んで頂きたいメノウ手記なので是非目を通してもらえると幸せです。

初めは大した動機も目標もなく、流れで始めた絵描きの活動ですが、ありがたいことに少しずつ人の目に触れる機会が増え、素敵なご縁に恵まれ、日々刺激を頂いています。
それに伴って自分が表現したい具象が自身の中で明確になりました。
作品制作を通して研究したい、追及したいテーマの発見です。

それが今回の手記タイトル、【タブラ・ラサの美学】です。

私は、人が人として生きることの美しさはタブラ・ラサの意識に紐づいていると信じてます。
私がここで言うタブラ・ラサの意識とは、身体的特徴や文化的背景、知識などのあらゆる要素に着彩されることのない、人類が種として共有する0の意識や精神現象のことです。
着彩されない純粋無垢の象徴として、白という色にこのタブラ・ラサの意識を表現するアンバサダー的役割を担ってもらっているのです。
実際私は自身の個人製作においては人物画を制作していますが、最近の作品たちのサブジェクトほぼ全てに白の要素を入れています。

なんで白い人を描くの?といった質問を頂いたことが自分の美学について考えるきっかけでした。
そういえば何か理由があるはずではって内省してみたんです。
そこで初めて色素がない0の状態でまっさらの人間という種を表現したかったのか、と自分が半無意識下で考えていたことを透明化させることができました。

私は人がどんな人間かを見つめる際に、なるべくカテゴライズしないまま向き合いたいと思っています。
国籍、言語、育った環境、得意不得意、障害、肌の色に目の色、様々な特徴によってそれぞれの人が成り立っています。その特色それぞれはアイデンティティであり尊重されるべき要素でしょう。
勿論そうではあるんですが、誰一人同じ人間は居なくとも皆が同じ人間です。
ならば人間の本質的な美しさはどんな人間も持ち得るはずです。
そしてこの美しさについて理解を深めることはあらゆる人間を認識するカギになると思っています。
誰であっても人間に生まれたものは生物として人間を謳歌していい、私たちは何者であっても所詮人間。
そんなヒューマニズム的思想、もしくは美学。
それが私が掲げるこの【タブラ・ラサの美学】なのです。

人間であるがゆえに揺り動かすことのできる繊細で愛おしくも拙い精神現象を抽出したような、そんな作品たちを生みだしていきたいです。
この部文章をまとめるのには時間がかかってしまいましたが、これからも自分の伝えたいことを絵を通して研究して、言葉を介してより深く伝えることができたらいいなと思っております。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。
それではまた。

瑪瑙 瞳瑯


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