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秀吉の茶の湯はたのしい茶の湯

先日、信長と茶の湯について書いたところ、多くの方に読んでいただきました。

というわけで、今回は豊臣秀吉と茶の湯について。

豊臣秀吉さんは何をした人だったでしょうか?
もともとは信長家臣で、太政大臣に就任、兵農分離、太閤検地、刀狩、朝鮮出兵、朱印船貿易…。キーワードとしてこれくらい押さえておけば中学の歴史のテストはパスできるかしら?

さて、秀吉と茶の湯というと「黄金の茶室」がよく知られています。
いろんなところで、再現されているので目にしたことのある方もいるかもしれません。
三畳敷で、天井、壁、柱、障子の桟(さん)まで黄金。
移動可能な組立式でした。

この黄金の茶室を御所に持ち込み茶会を催したことが、公家社会に茶の湯がひろまったきっかけだと言われています。
文化の担い手が、公家から武家に移ったことを感じさせますね。


このほかに、秀吉は大規模なお茶会や仮装茶会などを催しています。

大規模なお茶会で、よく知られているのは「北野大茶湯」(きたのおおちゃのゆ)。
「この茶会に参加しなかったものは、今後、茶の湯を行ってはならない」とまでいって開催されました。
いまの時代からすると、行き過ぎた表現によるジョークに聞こえますが、当時は本気の発言なんですかね~。
そんなわけもあり身分不問で参加可能なお茶会で、くじ引きにより当たった人には秀吉が自らお茶を点てて振る舞っています。また利休の席(利休が亭主)もありました。
1000人ほど集まったと言われていますが、成功とみるのか失敗とみるのか?
当時の秀吉の権力からすると、失敗とみる意見が多いようです。


仮装茶会の方は、大河ドラマ「真田丸」でも演出があったそうですが「やつしくらべ」のことです。
やつすは「身をやつす」の「やつす」。立場のある大名などが、当時それよりも下の身分とされていた農民や商人になりきった仮装パーティーです。

配役(太閤記より)
豊臣秀吉:瓜売
徳川家康:あじか(木製のザル)売り
蒲生氏郷:路茶売り
織田有楽斎:旅の老僧
前田利家:高野聖
有馬則頼:有馬池坊宿亭主

茶の商人に扮した蒲生氏郷が秀吉に茶を点てたと言われています。


どうでしょ?
秀吉さん、とっても楽しんでいる感じがしませんか?

それぞれが趣向を凝らして楽しんでいた、ある種不定形で勢いのある茶の湯。
そんな時代の茶の湯、体験してみたかったな~。

いずれも茶道まんが「へうげもの」(山田芳裕)に当時の様子が描かれていますよ!

(参考資料:「茶の湯人物案内」八尾嘉男著 淡交社)


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