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映画『愛がなんだ』は淋しさを抱えた自分勝手な人たちが逞しく生きていくお話

↑このnoteに辿り着いた人は映画を視聴済みの人が多いのかな、って思うけど、まだ観たことないひとは、登場人物、あらすじはこちらの公式サイトで確認してね。


テルコもマモちゃんも葉子もナカハラもすみれも、みんな報われない淋しい一方通行の想いを抱えながら自分勝手に生きてる

一見すると映画の中の登場人物に恋愛ヒエラルギー的な上下関係があるように思えるけど、結局全員同じ立ち位置なことがわかる。
私は「テルコ的片想いは誰でも一度は通る道でしょ」と思った所以もここに描かれている通りだと思ったからだ。

テルコ → マモちゃん → すみれ → (すみれの好きな人)

上図のように、マモちゃんはすみれに心酔しながら報われない一方で、テルコのことはぞんざいな扱いをする。

すみれもマモちゃんの気持ちに気づいていながら、適当にあしらっている。映画の中では具体的にすみれが思いを寄せる対象は描かれていなかったけど、合コンやクラブ三昧の生活の中で異性との出会いは多そうなのに、計画したバーベキューをすっぽかされるなど、マモちゃん以外の人から大切にされている描写がない。

テルコは、「好きな人以外どうでもよくなってしまう」と語っていることから、描写はなかったものの、テルコに好意を寄せてくれる男性が現れても、どうでもいい対応をすることが目に見えている。
(「好きな人以外」の中に「自分」が入ってしまっていることが「共感できない人」からは狂気の沙汰なんだと思う)


ナカハラ → 葉子 → 父親

葉子はナカハラの気持ちに気づいていながら、ナカハラの優しさを享受する生活を続けている。
幼い頃、父親がお妾さんだった母親に心ない仕打ちを繰り返す姿に怒りを感じながらも、同じようなことをナカハラにしていることをテルコに指摘されると自分と父親は違うと強く否定する。許せない父親から大事にされたかったと思ってしまう葉子。整合性の取れない気持ちと言動。

ナカハラは報われない葉子への気持ちを抱えながら、「その関係はおかしい」とすみれに指摘されると、「葉子さんは悪くない」と葉子を庇う。葉子を庇うことで自分の気持ちを正当化し、守りたいナカハラ。

***

登場人物がみんな、支離滅裂で自分に都合のいい言動をしていたり、自分の言動を棚に上げて正論を吐いたりしていて、自分勝手で人間臭くて良いなって思う。

報われない片想いに同情するっていうスタイルじゃなくて、「なんだ、みんな辛い思いを抱えつつもちゃんと自分勝手に生きてるんじゃない、よかった」って安心する。

世間ではこういう人を「クズ」っていうのかもしれないけど、恋愛って本当に不条理だし、不毛だし、報われないのがデフォだし、でも一瞬の煌めきが諦められなくて、みんな少なからず「クズ」的言動をして生きてるんじゃないかな、って。
そういう意味でこの映画の描写はとてもリアル。

好きな人に満たしてもらいたいけど満たしてもらえないから、ほんのちょっとの後ろめたさに目を瞑って、好きじゃないけど自分のことを好きでいてくれる人に手っ取り早く満たしてもらおうとする傲慢さや狡さや短絡さや弱さ。
誰かの大切な気持ちを犠牲にして自分の心のバランスを保とうとする図太さと鈍感力と残酷さ。

でも結局満たされない淋しさ。
わかっているのに何度も繰り返してしまう。
その度に相手を傷つけてしまうんだけど、自分のことで精一杯で気づかないふり。

満たしてあげたいのに満たしてあげられない淋しさ。
自分が都合の良い存在であることもわかってる。究極の「自分じゃない感」。でも相手の狡さや弱さに漬け込んで相手のテリトリーに滑り込みたい。
一番じゃなくていい。ずっと隣にいたい。辛い時一番に思い出して欲しい。頼って欲しい。

人間はこの両面を持っている。
どちらも逞しくて人間臭くて、嫌いになれない。生きてる感じがする。
正しいとか間違ってるとかじゃなくて、ありのままの感情を映し撮ってる作品だな、と思う。


テルコの怒りと、自らドロップアウトするナカハラ

タイトルの『愛がなんだ』はテルコの怒りを表していると思っているんだけど、この映画を観ていると「恋とか愛ってなんなんだろうな」と考えさせられる。そこに明確な答えはなくて、答えがないというか、定義は人それぞれでいいよ、ということなんだと思う。
「私の気持ちを勝手に『愛』とかいうワードで括ってくれるな!」というテルコの叫びが聞こえてくるような気もする。

テルコの愛も、
ナカハラの愛も、
マモちゃんの愛も、
すみれの愛も、
葉子の愛も、
みんな違うし、それでいいよ、て。
人の愛や幸せを他人が決めるもんじゃないよ、って。

ナカハラはずっと報われないことを受け入れて葉子への愛を貫いていたんだけど、やっぱり途中で疲れちゃって、テルコにドロップアウトすることを告げるシーンが切なくて、たくさんの人が共感するシーンだったのではないかと思うんだけど。

ナカハラの放った「幸せになりたいっすね」というセリフから、ナカハラの「幸せ」は自分が相手を大切に思うように、相手からも大切に思われたい、っていうことで、
そこに反発するテルコの「幸せ」は、自分の気持ちが報われなくても自分を犠牲にしても好きな人と一緒にいたい(最終的には「マモちゃんになりたい」という仰天展開に…)ということで、その違いが鮮明に。

***

今後、友達の恋愛相談を受けた時、この映画のことを思い出すだろうな、となんとなく思ったりしてる。

(そして岸井ゆきのさんが可愛い…!上手い…!)


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