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エッセイ 夢

夢を見た。
私が現在(リアル)の苦しみを「演じて」いる夢。演じているのだから、その苦しみから逃れられるのに、重いオモシを自ら背負って歩く様に、苦しみに喘ぎながらひたすら歩いている。
なぜそこから解放されないのか。
それを夢の中でも自問するのだけれど、答えも出ているのだ。「苦しみを背負っている方が楽だから」。たしかにそれは重くて重くて辛いのだけれど、それを背負っている自分でいる方が、心が楽なのだ。あんなに苦しそうなのに。
そして場面は展開し、それは本当に「演技」であって、それを演じていた演者(私とは別人設定なのだが、意識は自分)が、演技を降ろして同じ道を歩き直す。
のだが、その演者(私)が、「〜したかった。」とポツリとこぼす。途端、涙が溢れ出す。
苦しみの中、思い通りに物事を進められなかった気持ち、様々を我慢した気持ちがどんどん溢れ、「あれもしったかった。こうでありたかった。」とボロボロこぼし、あくまで演者だったはずの私は涙が止まらない。さっきより随分身軽に同じ道を行ったのだけれど、歩き終えるまで悲しみは止まず、泣き続けた。
目が覚めた時、夢だったことに驚いた。この次元が現実であったことを思い出し、ほっとすると共に、打ちのめされる。そして多量の寝汗。ベッドがぐっしょり濡れていた。
やっぱり苦しみに居ることを楽だと思っていること。なのに止めどなくこぼれる程に悔しさがあること。そんな自分の深層部分を知らしめられ、今、打ちのめされている。
自分をどうやったら慰められるのだろうか。
そんなに悲しいなら、苦しみを降ろせばいい。
そう言ってやりたいのに、自分へ手を伸ばしても、自分に触れることはできない。「可哀想だった。」と思ってやることしかできない。
やり場のない気持ちが、身を染めてしまいそうだったので、ここに綴ってみた。
窓の外、下りてきた夜があたたかい。