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自己紹介(追記)と虹の船

こんにちは。
いつも読んでいただき、「スキ」や「コメント」を残して下さるnoteクリエーターの皆様、いつもありがとうございます。

そして何かのご縁で初めて記事を目に留めて下さる方、はじめまして、
ぞうさん。と申します。

以前、新年のご挨拶も兼ね簡単な自己紹介を書かせていただきました。

その際書ききれなかったこと、お伝えしておきたいなと思っていること、そして日頃の感謝の気持ちをどうにか伝えることが出来ないかと考え、今回自己紹介の追記と致しまして、記事にさせていただきました。

『冬はつとめて。自己紹介』という記事と、多少内容的に重複する箇所や表現などもあるかと思いますが、どうぞご了承いただけますと幸いです。

それでは簡単な自己紹介をさせていただきます。

現在熊本在住、五月で四十九歳になります。
二十歳の息子、十九歳の娘がおり、それぞれ大学、専門学校に在学中で、親元を離れて二人とも生活しております。

妻は、娘を産んだ年の晩秋、病気の為に他界致しました。
東京、妻の実家である新潟で生活をしておりましたが、その人生の分岐点を機に、実家のある熊本に生活の拠点を移し、現在に至っております。

私は当時男子校であった熊本の高校を卒業後、福岡の大学へと進学し、語学、経済学、聖書などに力を入れ、学びました。

大学卒業後は不動産鑑定士を目指し勉強しつつ、分譲マンションのディベロッパーとして働いておりましたが、資格取得はならず、途中で諦める結果となりました。その点においては、もう少し辛抱して何年か頑張ってもよかったかなぁと、多少の後悔の念も持っているのが正直なところです。

妻を亡くした後、実家に戻ってからは、とある外食チェーンにて再就職が決まりました。
しかし仕事と育児の両立が自分的に困難な状況となり、過労とストレスで入院したことをきっかけに退職、転職を決断。現在は登録販売者の資格を取得して、管理資格者としてドラッグストアに勤務し、医薬品、化粧品、動物薬、医療器具、その他健康食品などの販売、接客に従事しております。

妻と出会って一緒に生活を始めてから、二人で交互に日記を毎日書いておりました。交換日記のような感じでした。
妻が妊娠してからの日々の生活や、通院の事、ちょっとした言い合いやケンカ、仲直りなどの日常生活、里帰り出産や妻の実家での暮らしや子供を出産した時の記録なども残しておりました。

そして父子家庭となってからは、子供の病気や通院の記録、自分の仕事に関する事や失敗談、子供との時間の中で感じた事や嬉しい出来事、学校での様子など、子供の成長記録として大学ノートに毎日記しておりました。

その膨大な量の、私にとって宝とも言える日記のほとんどが、熊本地震の被害にとって破損、水没してしまいました。倒れた本棚に守られかろうじてなんとか読める箇所が残存しており、それをどうにかして形に残しておきたいと考えている時、このnoteの存在を知りました。
去年の夏、ボロボロになり半分カビの生えている日記を少しずつパソコンに書き写す作業を開始し、それがnoteを始める大きなきっかけとなりました。
そして前に進む貴重な一歩に変わりました。

当時の日記を読み返すと、胸が苦しく、締め付けられるような気持ちに襲われる事も事実ありました。
妻の遺した東京での日記を読む時、その短い数行の文章が大きな意味を持って自分の心の奥を揺れ動かす感覚になりました。
もう昔の出来事なので、自分なりに気持ちの整理整頓も終わっているはず。
懐かしい思い出を振り返りながら微笑みとコーヒーと共に懐古していこうという軽い気持ちは、胸の動悸や汗となって一歩一歩を阻んでいるような錯覚にさえなったほどでした。

同時に、それ以上にたくさんの人、言葉に支えられて来た事実を再認識する機会に巡り合いました。
弱音や臆病さで脚がすくんでいる時に、家族、子供、知人、先生、恩人、旧友など多くの人に励まされ背中を押してもらった記録がありました。

この約二十年間は、誰かに助けられ勇気をもらい、何度も歩みを始めた時間であったと思っています。

それを決して忘れないようにと、私はnoteでの執筆を心に決めました。

世の中は、昔に比べ大きく様変わりしました。
快適さと便利さと引き換えに、自然が奪われ争いが多発し、今この瞬間も多くの大切な命が日々奪われています。

災害、病気、犯罪、戦争、身近にあるいじめや誹謗中傷が後を絶たず、暗いニュースで溢れた住みにくい世の中だと思います。
昔であれば当たり前の行動、例えば道路でうずくまる小さな子供に声をかけて、救いの手を差し伸べる善意ですら躊躇してしまうような末期的な現実に直面しています。

幼い子供、お年寄り、働き盛りの若者、皆が住みにくい世界と様変わりし、命の重みが失われています。
そして苦しみ虐げられているのは人間だけではありません。植物も動物も、無念の涙で自分の顔を濡らしています。

私は、人を救い、地球上の仲間を助け、この綺麗な美しい地球というかけがえのない家を守る事が可能なのは、他ならぬ「人間」だと思います。

人の持つ言葉の力を行動力に昇華させ、武器ではなく握手の為にこの両腕を使う事が出来るなら、少しずつ、やがてはあらゆる場所に笑顔の花を咲かせる事が出来ると思っています。

私自身、ちっぽけな名も無い種であり、妻の死と共に水分を失い枯れて行くだけの存在だったにも関わらず、それに手を差し伸べ命の水を与え育ててくれたのは、子供をはじめ、たくさんの「人」そのものでした。

私はその恩返しを、何かの形でやっていけたらと考えています。
言葉や文章を通じてたくさんの人と出会い、感銘し、学びながら成長し、誰かの、何かの役に立てるような小さな存在になれたらいいなぁと思います。

大変な思いをしながら毎日何かの為に頑張る人
なぜ自分がこんなに苦労をせねばならないんだろう
生きている意味なんてあるのかな
誰ひとり、この辛さを分かってくれない
世の中は不公平じゃないか

そうふと思ってしまうこともあるかも知れません。
なぜなら、私がそうであったからです。
魂の抜けた中年の姿をした人形が、仕事帰りに泣きながら運転をし、玄関の前で涙を拭って家に入っていました。
それでもなんとかこうして、人並みに生きています。
倒れた方が楽だと前屈みになっても、右足、左足と順番に、無意識に身体を支え、倒れることを良しとはしませんでした。
その繰り返しで、ここまで生きて来ました。
どんなに辛く耐え難い現実に阻まれても、そう言えば熊本の片田舎にバタバタしながら、三十過ぎてオムツを替えたりミルクや離乳食を作って悪戦苦闘していた人がいたっけな?
よし、なら自分も少しだけ頑張ってみようかな、走り出すのに歳なんて関係ないな。
そう思って前を向いて欲しいと思います。
なんとかなるから!

そしてこの年齢になり、私はまだまだ未熟者です。
一人前でもありません。

私が書けるのは自分が体験し、このちっぽけな頭で考えた事だけです。

おじいちゃんおばあちゃん、父、母、二人の子供の事、そして亡くした妻の事くらいしか形として文章に残す事は出来ません。

だから、それをずっと書き続けようと思っています。
自分に出来るのはそれだけだからです。

noteを読むと、数々の出逢いがあります。
クリエーターの皆様の数だけ涙があり、笑いと感動があります。

そしてその「涙」こそ、最も大切な、ダイヤモンドより価値のある宝だと思っています。
なぜならその「涙」がやがて「笑顔」という、人それぞれの頭上に燦然と輝く命の源だと思うからです。

冒険と挑戦、それを可能とするのがこのnoteという船だと思っています。
そして乗組員であるクリエーターの皆様の個性という名の原動力が、この大きな船を北へ南へ、東へ西へと旅立たせるエネルギーになると確信しております。私も微力ながら、舵取りの一員として、皆様と大海原へ、大空へ、宇宙へと飛び立ちたいと思っています。

その貴重な機会を与えていただき、また拙い私の記事に、スキやコメントの貴重なあなたの足跡を残して下さり本当にありがとうございます。

全てのクリエーターの皆様とのかけがえのないご縁と出会いの運命に心から感謝しております。

人が互いに手を取り肩を組み、

いつか笑顔の朝日と

感謝の夕日を。

先にある虹の橋の彼方に見える、

幸福のひまわりに囲まれた、

平和な未来を、

共に手にするその日まで。

                       ぞうさん。



 



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