見出し画像

ロ(ろ)と口(くち)の境界線ー共感覚研究協力

今回も前回同様、京都大学にて行われた共感覚研究協力について書き留めておく。

研究ではカラーチャートと文字や名前を使い、1文字にどの色が見えているかチャートから選んで書き込んでいくものだった。カラーチャートは大きくずっしりとしていて、赤や青ひとつにも細かな種類のものがあった。

また、色を感じない場合はそのように書くよう言われた。実際に銀色のような透明のようなそんな文字が私もいくつかあった。

共感覚者の認識する色は様々な要因から引き出されている。響きやイメージ、形など。

私は形に色を置き換えていることが多いようで、例えば【あおい】という文字が青ではなく赤になった。あおいなのに赤という、なんだか変に感じたが私の中ではそう認識された。

また、タイトルに書いたようにカタカナの「ロ(ろ)」と山口の「口(くち)」の色が違うという結果があり、興味深かった。

両者ともにカタカナである、漢字であると理解した上でカタカナのロはゴールドに、漢字の口は黄色になった。

紙の上にただそれだけ載せられているとパッと見同じものに見える。しかし色が変わったということはこれらに関しては、私は形ではなく「響き」や「イメージ」で色を認識しているのではないかと推測された。

同じ形の文字が、脳の中では色によって分別される。色に至るまでは様々な方法で貼り付けていっているようだ。

全てを形やイメージだけで識別するものもいれば、響きだけのものもいる。私のようにごちゃまぜに識別するものもいる。

色の共感覚者、とだけ一括りにしてもその色が全て同じように識別され、同じ色が見えている訳では無いということを実体験を通じてわかった。

色の見え方も、視覚で見える人もいるという。私は見た後に考えると色がついている(脳で見えるというのが正しいのか)が、その他には文字にこびりついているという人も今まででいたそうだ。

脳で認識する私ですら、本を読むのに苦労するのに文字に色が見える人はよほど大変だろう。

無意識に回避しているのかもしれないが、その一連の回避動作をしなければいけないことが、脳に負担がかからないのだろうか。

私が此処に書けることは、先生から聞いた話と実体験をもとにした気づきや事実、それから推測でしかない。推測はあくまでも推測であり、見当違いのこともあるだろう。

それでも、書くことに意味があると思いずっと書き続けている。

研究協力も取材も滞りなく終わり、これからも積極的に協力をする機会があれば参加できればと思う。共感覚に関する「わからない」をなくし、正しく伝えていきたい。

山口葵

この記事が参加している募集

スキしてみて

多様性を考える

文章を楽しく書いている中で、 いただくサポートは大変励みとなっております。 いただいたサポートは今後の創作活動への活動費等として 使わせていただこうかと思っています。 皆さま本当に感謝いたします。