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私なりのコミュニティーの選択基準

最近は仕事とブログに集中しているからか、通勤以外で外を出歩く機会が減りました。自分は同時並行よりも一点集中で取り組んでる方が性に合うため、ありがたく自分の時間として過ごしています。

そんな私ですが、数年前は自分でも「渡り鳥」と言うように、複数のコミュニティーに身を置いていました。最近は身辺を整理したこともあり、距離を置いているコミュニティーもいくつかあります。

自然とコミュニティーを厳選しているのかもしれませんが、一方で、社会人になるとコミュニティーの存在は大きいとも感じています。だからこそ、コミュニティーを取捨選択する基準は大切だと考えています。

自分の居場所を見つけるために

人間は日常生活の中で何かしらのコミュニティーに関わります。私もこれまで多くのコミュニティーに関わりました。自分の性格に合うときもあれば、全く合わないときもありました。

幼少期は親の影響で関わるコミュニティーがほとんどでしたが、正直自分の感覚に合うコミュニティーには出会えませんでした。

ただし、コミュニティーに関わることを決めたのは、突き詰めれば自分自身です。なぜそのコミュニティーに関わると決めたのか。その理由はどこかのタイミングで明確にする必要があります。

自分の場合で言うならば、自分が心地よくその場に関われるような、心からの居場所を探すこと。それが自分のコミュニティーに関わる理由でした。

自分の意見を素直に言うこと

自分が心地よくその場に関われること。それは、自分の意見を素直に言える環境ということです。昔から相手の反応を気にして、何も言えなくなることが幾度もありました。

その萎縮しがちな姿勢が災いして、就職してすぐにうつ病を経験しました。当時は仕事以外にコミュニティーが無くて、一人で絶望に閉じこもる毎日でした。だからこそ、外にコミュニティーを求めたのだと思います。

心理的安全性という言葉があります。自分の発言を前向きに承認してくれる環境ということが、私の中では非常に重要でした。

心理的安全性とは組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のこと。組織行動学を研究するエドモンドソンが提唱した心理学用語で、チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態と定義しています。

メンバー同士の関係性において、メンバーの発言や指摘で人間関係の悪化を招くことがないという「安心感」が共有されること。そのために自分もできることはしますが、自分が犠牲にならないことも意識しています。

コミュニティーに関する最近の気づき

最近まではコミュニティーに関わる他の理由として「自分が成長すること」がありました。ところが、自分が犠牲になるような感覚に襲われることが多くなり、この理由付けは適切ではないと判断しました。

よく自己成長をコミュニティーに求める人を見かけますが、本当にそうなのかはどこかで見極める必要があると個人的に思います。成長という名の下に自らを犠牲にすることは明らかに違うので。

私は自分の意見を言える安心感が絶対であり、現状はそれと対を成してしまう自己成長という言葉(雰囲気)とは距離を置いています。

それよりも、相手(周り)の意見に押し流されるのではなく、自分の見解に基づいて冷静に判断できる形で関わりたい。これは私個人の課題でもあります。

おわりに

コミュニティーに関わるということは、自分の人生の一部を委ねること。人間同士の関わりなので、個人的に嫌に感じる時もあります。

それらを総合的に判断して、自分が自分で在れるような居場所を見つけたい。今は自分自身にも問題を抱えているため、十分に叶えられてはいないですが、徐々に良くしていけたらと思います。

私が行き着いた答えは、実はありきたりなことかもしれません。一方で、こうして自分なりに基準を再認識できたことが、今回は個人的に嬉しいです。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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