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小説

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麻草郁の小説を発表する場です。
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義理チョコはいらない

義理チョコはいらない

【小説】

「最近の会社じゃ、CCで全社員に『義理チョコ禁止令』が発布されるんですよ」

 甘さと苦さと熱気がうずまくデパートのチョコレート売り場で、後輩が言った。わたしは薄目で見ていたピエールエルメの値札から目を離し、後輩の顔をまじまじと覗き込む。そういえば去年は勤めていた部署の全員に義理チョコを配り、それがコンビニチョコであるという指摘を受けて笑い者にされたのをおぼえている。わたしはなにかと間

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『千路』 朗読脚本

『千路』 朗読脚本

『千路』 麻草郁


いつ、どことも知れぬ場所

登場

語り部 少女 
ひばり 平板な音で言葉を奏でる鳥
旅人 少年、青年、老人
妹 姉を探している子供

□語り出し

語り部「何から残そうか。生きてきた証を、私が生きてここにいたという   
    証を残すには、何がふさわしいだろうか。たとえば色、命の証、
    血の色、髪の色、肌の色、そういった、光を反射する構造の
    すべてを、こ

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パンの焼き方。

パンの焼き方。

【小説】【友人】【家電】

 長年使っていたオーブンレンジがとうとう音を上げた。しばらく前からスタートボタンの接触が悪くなり、押し込む角度や強さ、タイミングの違いによって、動いたり動かなかったりしていたのが、とうとうスンとも言わなくなった。

 それで、新しいオーブンレンジを買った。電子レンジのみなら五千円でも買えるが、やはりオーブン機能はほしい。アマゾンで人気の、1万いくらで買えるものを購入し、

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短編小説 『夜中に郵便受けが鳴る』

「久しぶり、元気だった? 夜中にごめんね、ちょっと聞いて欲しくて」

元カノ、というには少しつきあいが長すぎる、ほんの二ヶ月だけ付き合って、そのあとはずっと友達の女性から電話がかかってきた。

「夜の三時に相談ごと?」

ベッドから起き上がり、枕元のコップを持ってロフトの階段を降りる。手すりがないから壁によりかかり、そおっと転ばないように。数年前に足首を折ってから、アキレス腱の効きが悪い。

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栗の殻。

栗の殻。

【小説】俳優の椎名桂子さんからの依頼で朗読用に書いた作品です。このツイートからツイキャスプレミアムでライブ全編をご購入、ご覧いただけます。

 執筆依頼のテーマは秋、ホッコリする話。noteで書いている小説を読んでいただいての依頼でしたもので、自然と恋愛のことになりました。3000文字ほどで、少し前向きになれるお話だと思います。

『栗の殻』 栗を買った。

 近所のスーパーで栗が2キロ、2000

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はなればなれに

はなればなれに

【SF小説】

 長く宇宙を飛んでいると、ふと我にかえることがある。

 いったいぼくは何のために、何もない空間をまっすぐ前に進んでいるんだっけ?

 『恒星間単独飛行』なんて呼べば聞こえがいいけれど、要は星の引力圏から飛び出して、別の星の引力圏に落ちていくだけだ。

 だいたい生身の体で亜光速に長距離を移動するのだって古くさいんだよな。今時は渡航者に負担の少ないように窒素固定した状態での亜空間ジ

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そんなこと、言ってないんですけど

そんなこと、言ってないんですけど

【小説 大人向け 失恋のお話】

「もう会いたくないです、家にも来ないでください」

 そう言ってドアを閉めた、ばたん。ドアの前に立ってる気配がするけど、覗き穴は覗かない。だってそこに立ったまま、あの寂しそうな上目遣いでこっちを見たら、ドアを開けちゃいそうな気がするから。

 ドアに鍵をかけて、部屋の奥の方へと逃げて、ソファに倒れ込み、クッションに顔を埋め、じっと息をひそめる。ドアの向こうの廊下を

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『海の底から見上げると』

『海の底から見上げると』

【短編小説】

 宅急便は、平べったくて大きな封筒だった。

 ずいぶんと大きな封筒だな、と思った。A3?よりもずっと大きい。普通の書類を入れる縦長の封筒がイワシなら、この封筒はサメだ。獰猛な牙のあるやつじゃなくて、大きな口をポカーンと開けてプランクトンを飲み込むやつ。眠そうな目のサメ。ジンベエザメだ。

 眠そうな目をしたジンベエザメが、天井の辺りをゆっくりと泳いでいる。私は宅急便で届いたその巨

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パンプス、夢、爪。バイト先の忘年会に行きたくない。

パンプス、夢、爪。バイト先の忘年会に行きたくない。

【小説です】

 私の部屋は、狭い。ドアを開けると靴箱があり、キッチンがあり、向かいにユニットバスがあり、六畳一間に全てのものが詰め込まれている。エアコンが壊れたのが、だいたい半年前、夏の暑い最中、急にリモコンが効かなくなった。ヴィレバンで買った折り畳みの台に乗って、手動のスイッチを押すと温風が出てきたので、それからずっと放置している。

 昨夜は、足の親指の爪を切りすぎた。デパスとマイスリーを飲

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初詣ない

初詣ない

【短編小説】

 はつもうで。はつ・もうで。はじめてのもうで。もうでる、もうでない。

 はつ・もうでない。

 わたしは無神論者だ。日本人によくある「無神論ですぅ〜」と言いながら特定の宗教に肩入れして神妙な顔で神域へ足を踏み入れるわけでもなく、不可知論者を気取って例年行事をフラットに楽しめるほどの空虚さにも耐えられない。幼い頃に神の不在を感じ、長じてからは思想信条としての無神論を選択した。

 

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地下牢の女

地下牢の女

【小説】苛烈な女と、強烈な女が出会う話。

 鏡前に来ると、いつもあの頃のことを思い出す。

 わたしはかわいい。顔が小さく、鼻がシュッとしていて、笑顔になっても唇が変なふうには歪まない。自称アイドルなんかよりずっとかわいい自覚があるけど、アイドルはやらない。だってダンスや歌には努力が必要だ、めんどい。
 私が「努力なんかしてないけどできちゃった」と言うと喜ぶ連中がいるのを知っている。そいつらは努

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『黒いけものと赤いくつ』 麻草郁

『黒いけものと赤いくつ』 麻草郁

けものは森に棲んでいました。人よりも小さく、先の丸くなった弱い爪と、木の根でも噛めば折れてしまいそうな牙を持った、ひよわなけものは、黒い毛皮だけが自慢でした。

「わしの黒い毛皮は、わしだけのものじゃ、山猫のまだらの毛皮をみろ、テンの焦げたような毛皮をみろ。ほうれ、真っ黒でツヤツヤしたわしの毛皮が一番じゃ」

山でほかの動物にいじめられても、けものは巣のちかくにある湖に自分のすがたをうつして、独り

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手を離せ、撃て、目を閉じて

手を離せ、撃て、目を閉じて

【小説】

 マーシィ、マルシィ、マルセル、あいつの名前。完全なる沈黙のあとに轟音が鳴る。俺があいつを助けると、あいつはいつも俺の手の辺りを見て礼を言った。マーカス、マルコ、マルチェロ、どこに行ってもあいつは似たような綴りの偽名で俺の前に現れた。祖国の大統領が初めて女になった14歳の夏、東の果ての黄金郷が真っ赤に染まった17歳の秋、大国の運命が個人の手に握られた21歳の冬、人類が月の先を目指した2

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『すれ違いディスタンス』 【リモート演劇用脚本】

『すれ違いディスタンス』 【リモート演劇用脚本】

二人芝居

A:戦闘用ロボットのコクピット内、モニターからの照り返しを表現する照明。

B:オペレーター室、無機質な白い壁、ヘッドセットマイク

待機中の戦場と、安全なオペレーター室との会話。

画面、B、Aが順に映し出される。

B「ブル837、定時報告を、聞こえますか、こちらフロッガーK25、定時報告を」

A「はい、こちらブル837、定時報告、何もありません」

B「報告は正確に」

A「歩

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