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欠陥品 

 脳みその機能が一つか二つ、欠乏し、それだけで現代社会で生きるためのノウハウが永遠に、致命的に失われてしまったように感じる。ぼんやりとした靄が吹き溜まり、その靄の中に手を突っ込んで何かを――いままでは問題なく見えていたはずの何かを――探そうとしてみるけれど、結局のところ自分でもそれが何かわからない以上徒労に終わるオチになる。機能を終えてしまったんだ、と僕は悟る。もう動かなくなってしまった古代文明のからくり人形みたいに。まるでポール・オースターの『オラクルナイト』みたいだと思う。

 まずは短い外出から始めた。アパートメントを四つ角から一つ、二つ行って帰ってくる。私はまだ34歳だったが、病気のせいで、全ての面で老人に成り果てていた。身体の麻痺した、足を引き摺って歩く、足下を確かめないことには片足を前に出すことも覚束ない老いぼれ。当時の私にはやっとのゆっくりしたペースでも、歩くことは頭の中に奇妙なふらふら感を生み出した。いろんな信号がごっちゃに絡み合い、精神の回路が混線して乱闘状態が続いていた。世界が目の前で跳ね、泳ぎ、波打った鏡に映る像のようにうねった。たった一つのものだけを見よう、襲ってくる色の洪水の中から一個の物体を孤立させよう、私はそう試みる。たとえば女性の頭に巻かれた青いスカーフ、あるいは通りがかった配送トラックの赤いテールライト。でもそうしようとするたびに、事物はたちまちにばらばらに崩れ、溶解し、コップの水に垂らした一滴の染料のように消えてしまった。何もかもが揺らぎ、ふらつき、いろんな方向に飛び出していって、最初の何週間かは、どこで自分の身体が終わってどこから外界が始まるのかも定かでなかった。私は壁やゴミバケツにぶつかり、犬のリードや宙を舞う紙切れともつれ合い、ごく滑らかな歩道の上でつまづいた。生まれてからずっとニューヨークで暮らしてきたのに、街並みも人ごみももうまるで理解できず、外出を企てるたびに、異国の都市で迷子になった気分だった。
 その年は夏が来るのが早かった。6月第一週の終わりにはもう、澱んだ、むっと鬱陶しい天候になって、空も毎日生気のない緑っぽい色だった。空気には生ゴミと排気ガスの悪臭が満ち、煉瓦一個一個、コンクリート一枚一枚から熱が立ち上った。それでも私はやめなかった。毎朝自分に鞭打ってアパートメントの階段を降り、表に出た。脳内のぐしゃぐしゃが収まってきて、体力が徐々に戻ってくると、散歩の範囲を同じ近所でももっと遠くの隅まで伸ばせるようになった。十分は二十分になり、一時間が二時間に、二時間が三時間になった。肺は空気を求めて喘ぎ、肌は常に汗にまみれ、私は誰か他人の夢の登場人物みたいにゆるゆると進みながら、世界が邁進してゆくのを眺め、自分がかつてこの周りの人々と同じようにふるまっていたことに驚嘆していた。人々は常に猛然と動き、いつもどこかからどこかへ向かっていて、いつも予定より遅れていて、日が沈む前にあと九つ用事を片付けようと飛び回っていた。私にはもうそういうゲームを演じる力はない。私はいまや欠陥商品だった。機能不全のパーツと、神経学上の謎との塊だった。みんなが狂おしく稼いだり散財したりするのを見ても、何ら気を惹かれなかった。面白半分に再び煙草を吸い始め、エアコンの効いたコーヒーショップで午後半日を潰し、レモネードやグリルドチーズ・サンドを注文して、周りの会話に耳をそば立て、三つの新聞の全記事を一つひとつ読み進んでいった。こうして時が過ぎた。

ポール・オースター『オラクル・ナイト』

 僕はこの文章が好きだ。体調が悪くなったとき、いつも思い浮かべるのがこの文章だ。医者も匙を投げていた病状から回復した主人公が、短い散歩から社会復帰を始める冒頭のシーン。僕は主人公の目を通し、改めて世界の異常性を確認する。機能不全となった肉体から見る他者の動き、時間の流れ。人々が絶えず社会のために行動し、身を粉にして働く姿。いったいどうしてこんなことができていたんだろう? と主人公は疑問に思う。そして、自分にはもうそんなゲームに興じる体力はない、と。僕だってそうだ。いったん物事を俯瞰してみてしまえば――自分がその土俵から離れてしまえば、絶対にこんなことはもうできないと思ってしまう。本当に何でそんなことができていたんだろう……。欠陥品となった僕はただ忙しなく回っていく世界を傍観する。

 欠陥品。

 世の中という機能から外れてしまった部品であることを自覚しながら、いったい全体どうして自分は社会にしがみついたままでいるのだろうと思う。というより、僕は手を離しているし降参の意志すら示しているのだけれど、命綱のように腰にロープが繋ぎ止められているせいで離れられないという方が近い。僕はずるずると引き上げられ、社会の隅っこの方で益のない仕事に興じる。――いや、違う。結局のところ気の持ちようなんだ。やめたければやめればいいし、結局のところそれは自分で選択しているにすぎないことじゃないか。でも、ダメなんだ。僕は僕のままでずるずると自分の存在を引っ張ってしまう。影――習慣で象られた自分の影が、僕を地上へと引っ張り上げていくのだ。

 暗い話ばかりだ。

 自分と向き合うと暗い話しか出てこない。あるいは僕がそれを望んでいるだけなのかはわからない。そういう底辺話みたいなのを望んでいるだけなのかもしれない。人の声は遠くなり、自分の浅ましい心だけが真実になり、すべてのことの興味を失っていく。結局のところそれが欠陥品と言うことなのかもしれない。人は希望がなければ生きていけないのだから。


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