自身の弱き心を組み変えたプロセス―幸福なきまま歩む術

【儚き望み】

私は3歳からテレビゲームをやっていて、

運動は苦手だったから自己肯定感も低かった。


夢も特になく、勉強に精を尽くすのでも、部活に精を尽くすのでもなく、

ただ日々の嫌な物事を回避することばかり考えていた。


親らが常に喧嘩している家庭にいたせいか、緊張が高まりやすく、

心にゆとりがなかった。


それでも何となく、未来には好きな人と付き合って、普通に結婚できればいいなという、漠然とした思いがあった。


まさかそれが儚き希望であったと、誰が予測できたであろう?



【転換】

詳細は「己の生きる意味」で語ったが、

二度に渡る失恋によって、過剰なストレスがかかり、

自殺念慮を抱え込んだ経緯がある。


私の手には何も残っていなかったし、

もはやこの世に未練もなければ希望もない。

今も何のために生きているか、わからないと思うことがある。


それでもこうして、文章を連ねて何かアウトプットしているのは、

誰かに自分を認めてほしいからではない。


復讐


その言葉が最もしっくり来るが、もっと常識的な言い方をすれば、金が要る。

良識で語るなら、社会を誰もが希望を持って働けるシステムにしたい。



【テクニカルな感情】

対外的に自分をよく見せようと、綺麗事を並べているのではなく、

「複数の理念を同時に機能させる」という仕組みを作っている。


私にとっては、復讐≒社会貢献である。


人の感情には波があるから、

負の感情が動いたときには復讐を、

正の感情が動いたときには社会貢献を掲げることで、

どの感情のモードでも同じ方へ向かうよう調節している。



【自食】

義務感や倫理感というものが私を蝕んでいると認識していたから、

私はサイコパスから他人を利用する術を学び取り、

まず自身をその餌食にした。


目的のために人を利用するときには、まず自分というリソースを食い潰してからである。



【今は黒く 白き世界へ向かって】

暇ができたとき、疲れた自分にご褒美を与えるかのように、

手っ取り早く自身を喜ばせる娯楽を消費するのが人間の性である。


それができないのは仕事中である。


休みの日にだらけるなら、仕事と同じく、

自身にタスクをかけて、無理やり働かせれば良い。


私には、低賃金で経験値にもならず、やりがいもない仕事を続けている現状があるから、

今休みを無駄に過ごすこと自体が、将来のストレスを保証することになる。


目先のどうでもいいことが、

未来の苦痛を生み出すなら、

目の前のそれを求める己ごと、

人間の性を剥ぎ取ってやるのが合理的である。


金の余裕は生活の質を変える。

利益につながらない遊びはする必要がない。



【通常の心の容易さ】

観察していればわかるが、

大部分の人は、文句を言いつつも、それなりに状況を楽観的に捉えて人生を送っている。


どこかで失敗しても、自殺しようとするほど思い詰めることはない。

娯楽はたくさんあるし、楽しいことは市場にあるから、週末まで我慢すればいい。



そうした人がたくさんいるということは、

つまり、科学的に言えば「法則」があって、

事態に再現性があるということである。


自殺へと思い詰めるのが通常ならば、そんな生命は絶滅している。



普通の人なら楽観的に生きるわけである。

普通の人にできて、私にできないわけがない。


心の仕組みが、再現性があるほど法則的なら、私にも実現可能なはずだ。


だから人の心の動きを観察し、それに合わせて自身の心を調節し、

「普通の心の振る舞い」を身につけた。



【心より身体】

今も私には楽しいことはないし、将来に希望があるわけでもない。

けれど進むことは止めない。


私という心が身体を動かすのではなく、

身体が私を連れていくのだ。


私の心ほど役立たずなものはない。


そんなものは棄ててしまえばよい。



【儚さから人を剥ぎ取る】

「儚さ」に添えられた形は

ふんぞり返る者を 誰かが支える姿


それが人の夢なら壊してやる


今にも消えそうな風前の灯火になって

ようやく 己の夢を知る



人間のあり方を再建築せよ

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