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「朝起きられない」苦しみに向き合えるようになるまで (自助研究②)

前回・前々回に書いたものを読み返して、目を引きやすいタイトルをつけてノウハウに特化して書くのはあまり好きじゃないな…と思ったので、今作以降は内省に徹し、ノウハウは添える程度にする。

私の睡眠に関する困難との闘いの記録です。

睡眠障害(メラトニン分泌不全、睡眠相後退症候群、長時間睡眠)

高校時代 〜遅刻のエキスパート〜

私の朝はいつも、8:00に覚醒し、8:02に焦りに突き動かされて飛び起き、着替えながら母が用意してくれたねこまんま(具沢山味噌汁かけご飯)をかきこみ8:09に家を飛び出し、8:15に青になる信号を自転車で駆け抜け8:17発の電車に飛び乗り、8:24に学校の最寄りに到着して走り続けチャイムと同時に教室に転がり込んで着席する、という形で始まった。
あまりにもそれが日常だったので、最後の方は皆に「抜かされると遅刻が確定する存在」として認識され、私の姿を見た生徒が一様に走り出すという現象まで起きていた。

とにかく毎朝が秒単位、少しでも予定が狂えば遅刻確定というギリギリの世界線で生きていた。

月曜日は頑張って時間通り登校するが、火曜日には息切れして遅刻。木曜日にまた限界が来て大幅遅刻、あるいは遅刻による罰則が怖くて罪悪感を覚えながら欠席、そんなことが続いていた。
(ちなみに、罰則とは、学期あたり15回遅刻すると校長による訓戒が行われるというもの)

親はこの状態を怠慢と言い切り、強烈な人格否定とともに「どれだけしんどくても遅刻せずに行け」「這いずってでも行け」と圧をかけるだけであった。

高校3年次の出席状況。コンスタントな遅刻・欠席がある

高校は一応進学校だったので入試直前期は自由登校となった。
眠くなるまで勉強して、1時に寝て10時過ぎに起き、11時に罪悪感なく登校して悠々自適に勉強する。その生活は奇跡のようだった。
「遅刻」という概念がなく、体調に合わせて予定をカスタマイズし、自分の能力を最大限活かすことができるのがあまりにも快適で、「ずっとこんな生活が続けば良いのに」と思ったことを覚えている。

大学入試は「起きられなかったらどうしよう」とそれだけが不安で、全く眠ることができずにボロボロの状態で受けることになったが、なんとか志望大の志望学部に滑り込むことができた。

夢の大学生活の幕開けである。

大学時代① 〜診断がつくまで〜

基本的には、入試直前期の生活リズムをベースに過ごしていたように思う。
体質的にしんどいことがわかっていたので、1限は必修以外入れずに寝て過ごした。
また私は深く眠りこんでいると目覚ましの音も聞こえず光も届かないため、朝から試験がある日は必ず友人の誰かに泊まり込んでもらい寝過ごしを予防するようにした。
このような努力のおかげで学業に悪影響が出ることはなかったのだが、一つ問題があった。

部活である。

私は新歓で先輩から受けた恩義に報いるため、特に興味のなかった運動部に所属することを決めた。
平日の練習は放課後なので良かったが、毎週土曜朝7:45から練習、さらに日曜もたまに練習試合があり朝の7時に家を出なければならないこともあった。
たとえ週1週2であっても無理な時間に起き続けることは困難で、私はだんだん寝坊で練習に遅刻することが増え、「たるんでいる」と怒られるようになった。
生来真面目な私は起きられないことが不安で早朝まで寝付けず、6時にようやく意識を手放したと思ったら目覚めたら12時、ということを繰り返すようになり、さらに皆から冷たい目で見られ…という悪循環に陥ってしまった。
「もっと頑張れ」と言われたが、これ以上何をどう頑張ればいいのかわからなかった。むしろ正しい頑張り方を教えて欲しかった。

その時点ですでに、よく眠れるように寝具は最高級のものを使用していたし、寝る前のスマホは控え、家の照明は寝る3時間前には温かくて強度の低い光になるように調節していた。目覚めるべき時間に向けて音と光で目覚ましをかけていた。また7時に起きられるよう、22時には床に就いていた。寝る前にホットミルクも飲んでいた。

最善を尽くしているのに眠れない。覚醒できない。もちろん起床もできない。
そんな状態が続き、自己肯定感はどんどん下がっていった。
ちょうど金銭的にも限界がきたので、逃げるように部活を辞めた。

大学時代② 〜そして診断へ〜

転機が訪れたのは翌々年春のことである。

偶然、一般教養科目一覧に「生活リズムと健康」という授業を見つけた。
「これは私のためにあるような授業ではないか」と思った私は即座にその講座を取ることを決め、授業後に授業メールで自分の現況について相談してみた。
すると「できる努力はされていると感じる、これは医学的な問題の可能性がある」と返答があり、ありがたいことに信頼できる睡眠の専門医を紹介していただき、受診する運びとなった。

詳細は割愛するが、検査と生育歴の聴取の結果、私はメラトニンが分泌されていない可能性があること(神経発達症の患者にはメラトニンの遺伝子がうまく働いていないことがあるらしい)、睡眠相が後退していることを告げられた。
睡眠日記をつけ、寝る前にメラトニンの服用を始めてみましょう、ということになった。

メラトニンを服用して変わったことは、覚醒難易度が格段に下がったことである。
目覚ましの音が聞こえないことが滅多にない。光で目覚める。地震で目覚める。
朝、無理に体を起こそうとすると力が入らず酷いめまいと吐き気に襲われるのだが、それでも目覚めることはできるようになった。

「眠れない・覚醒しない・起床できない」。
この三重苦の状態から、「眠れない・覚醒できる・起床できない」まで前進した。

研修医(現在) 〜相談と試行錯誤〜

診断がついてから3年が経つ。
入職時点では「眠れない・覚醒できる・起床できない」の状態だったが、なんとか食らいついて日々を重ねるうちに「ちゃんと目覚められるし、必要なら無理すれば起きられる」と認識が変わった。
11月頃から覚醒に対する不安をほとんど感じることなくすんなり眠れることが増えた。現在はおおむね「眠れる・覚醒できる・起床が困難」という状態だ。

研修病院は自大学病院を選び、採用試験前から自分の身体のことと受けられるサポートについて相談を重ねた。
現在は診断書を提出し、時間外労働を免除してもらった上で働かせてもらっている。
科が変わるたびに状況を伝え、早朝出勤要求科ではアクロバティックな休みの取り方を認めてもらい(それでも毎日限界状態だったが)、身体由来の至らなさに時には目を瞑ってもらいながら、なんとかここまで大きな問題を起こさず働いてこられたと思う。

朝に余裕がないのは相変わらずだが、秒単位ではなく10秒単位である程度にはゆとりができた。
起きることが苦手なのはどうしようもないので、朝食は自転車を漕ぎながら食べるなど、準備時間を減らす方向で工夫をしている。

入眠時間の自由度が上がったことで本質的な「起きられない」の改善にも乗り出しており、「私の基礎の臥床時間はどうやら10時間らしい。毎日22時に布団に入れればそこまで苦労なく8時起きができて、少しはゆっくり朝の準備ができるかな?」と仮説を立てながら試行錯誤を重ねているところである。

睡眠ノウハウまとめ

長年睡眠に悩み続け苦しみ続けてきた私が心がけていること、良かったものをまとめました。

・枕:自分に合ったものを選ぶこと。レムプラスなど、睡眠に特化したホテルではいろんな種類の枕を試すことができる。そこで一番寝心地のよかったものを取り入れると良い。
私はレムプラスの快眠機能枕にシルクの枕カバーをつけて使っている。

・寝具:実家から持ってきたトゥルースリーパー。ぐっすり眠れる

・掛け布団:ADHD傾向がある人間は加重毛布で安心してよく眠れるという研究結果がある。
私はニトリの加重毛布(5kg)を使っている。包み込まれる安心感があるのと、自分が疲れ果てている時の身体感覚が再現されるのもあって、簡単に眠りに落ちる

・音:隣人が生活音・話し声ともに大きいので、SONYのノイズキャンセリングイヤホンを付けて眠っている

・習慣づけ:ポケモンスリープが良かった。「約束したポケモンが待っているし、頑張って寝る準備を終わらせないと」と、他者のために頑張れる性質を利用して習慣づけができる。

・時間感覚:以前は「眠い」と感じてから寝る準備を始めていたのもあり、睡眠時間が足りていなかった。
己の生活に必死で向き合い、寝る準備(入浴、ボディケア・ヘアケア、今日中にやろうと思って忘れていたことの処理、翌日やることの洗い出し)に2時間かかることを認識した今は、まだ眠くないうちから寝る準備を始めるようにした。
眠くなるであろう予測時間の2時間前から寝る準備を始めると、眠くなったらすぐに眠ることができるので最高。

・寝る前のルーティン:冬は布団乾燥機で布団をあたためる。寝る前は布団の中で枕元に挿したアロマライトの光だけで読書(を試みるが1分もしないうちに睡魔に襲われ、スイッチを切って眠ることになる)

コンセント型アロマライトはいいぞ

・大切なこと:自分に必要な睡眠時間を正しく把握し、それが3日平均の中で必ず守られるようにすること。私の場合は睡眠9時間に加え、横になる時間が1時間は必要。
生活習慣を記録することで自分なりの必要条件を見つけ出し、満たすようにする。

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