美味しい、の正確な使い方
SNSを眺めていたら、
美味しいお酒
について書いている人がいた。
私はそれを見て、自分好みの甘くて濃厚なお酒をイメージしたけれど、すぐにそれが見当外れな事に気がついた。
白ワインや日本酒を好んで飲む私のイチオシは、甘口のお酒。
白ワインなら、モスカート種のワインやアイスワインが最高。
日本酒ならどぶろくが最高。
けれど、これはどちらかといえばマイノリティ。
お店のメニューを開ければ、当たり前の顔して辛口の酒が列記されている。
一般的に 美味しいお酒 といえば、スッキリ淡麗な辛口と相場が決まっており、これで何度もガッカリしたことがある。
甘く濃厚な味わいのお酒を期待しては、それと対極の私にとっては何が美味しいのかさっぱり理解に苦しむものがでてきた。
もう、美味しい という主観まみれの表現はやめてくれ、と何度思ったことか(笑)
美味しんぼという漫画があった。
主人公たちは、言葉の限りを尽くしてそれがどんな料理なのかを語っていたけれど、あの調子で普段から味を表現していれば、主観による思い込みからのガッカリをだいぶ回避できるのでは。
例えば、以前バズったモスカートペタロは、とっても私好みのお酒だったけれど、あのワインは“薔薇の香り“と表現されていた。
薔薇の甘い香りを彷彿とさせる味わいが一言で表現されていて、あれはとても有難かった。
上善如水も、まるで水のように雑味のないスッキリとした味わいと表現されているお陰で、甘口濃厚派の私の口には合わないと分かりやすくてとても有難い。
美味しい、という言葉は、“私の味覚に合っている“という意味合いで使うときにのみ、相手に正確に言葉の意味を伝えることができるのだと思う。
食レポとかで、食べた人が
「美味しい〜!」
と叫んでいるときは、その料理の味について、聞いている側には1ミリも情報が伝わっていない。
ただ、その料理を作った人にのみ、喜びを伝えているに過ぎないのだ。それは食レポではなく、単なる主観による感想だ。
そしてまた、家族が作ってくれた食事に対しては、美味しいという感想ほど適切な言葉はないのではないだろうか。
「あなたが私に出してくれた食事は、とっても私好みです。」
それは、作り手にとって何より嬉しい言葉だと思う。それを、たった4文字で伝えることができるなんてもう、使わない手はない。
言葉にもTPOがあると考えるなら、それが自分好みの味かどうかを伝える場合には、美味しいという言葉は最高にピッタリの表現だ。
だけど、それがどんな味なのかを伝える場合には、予め自分が何を美味しいと感じるのかの情報を開示していない限り、途端になんの役にも立たない表現になる。
人の感想から口に入れるものを決める場合、美味しいという言葉は実は要注意案件だ。