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Annaの日記 ハイリスク妊婦の末路 ~おわりに~

 娘は100日を迎えた。

この日を迎えるにあたって、今回noteを再開した。
 記憶というのは、時間が経つにつれて薄くなっていくものだが、私は今回の出産の11日はいまでも鮮明に覚えている。
 色々あった人生だが、一番濃い11日間だったと思う。

 時々、夫婦で出産時の話をすると、夫は誕生の日の話をするが、
私は、生まれた日よりも、やっぱり最初に抱っこ出来た日が一番思い出深い。
 出産して4日目。帝王切開で産んだ感覚のなかった私には最初にあんなを抱いた時の、暖かさ、重さ、くしゃっと笑った笑顔は一生忘れる事が出来ない。


 やっと「この子を産んだんだ」という実感がわいた瞬間だった。


 ただ、元々子供が好きではなく、妊娠も望んでおらず、もちろん慣れない育児と寝不足でくじけそうにもなった。
 寝不足がピークの時に、母親の前で泣き止まない我が子にむかって「全然かわいいと思えない」といい、しくしくと泣いた事もあった。

 100日が経ち、よく笑うようになり、言葉にならない言葉をしゃべり続け、首も座り、夜も長く寝てくれて、私も100日母親をした事で気持ちや体調にも余裕が出てきた。


   一つの区切りがついたと感じた


 まだまだ子育ては始まったばかりだが、この歳でこんな経験をして妊娠して、子供を産んで、お母さんになるって・・・


      想像すらしていなかった・・・




 20代の頃、友達に子供が出来ても、当たり前に生まれて、普通に育つと思っていた。無事に生まれないなんて考えた事もなく、躊躇なく「楽しみだね」と言っていた。
 40代で産んだから、心配なわけではない。20代だろうが30代だろうが、トツキトウカ不安と心配がない日はない。生まれてからはもっとだ。
 ほんと、みんなすごいなと今更ながらに感じる。


 私の一番仲の良かった子が、20代で結婚したのに長く「不育症」に苦しんでいた。
 当時私はその言葉すら知らなく、流産に対するショックの度合いもイマイチわかっていなかった。若いしまだチャンスがあると思っていた。

 しかし、彼女はもう取りつかれたように色々調べて、毎週のようにクリニックに行く姿をみて、やりすぎだろと感じていた。旦那がかわいそうとすら感じていた。

 だんだんと話が合わなくなり、疎遠になってしまったが、今思うと本当に強い女性だと思う。数えきれないくらい妊娠して、何回も流産し、5回不育症でお腹の中で子供をなくし手術して子供をだし、今2児の母になっている。
 その辛さが当時の私にはわからなかった。



 適齢期になったら、
  普通にみんな結婚して、
   当たり前に妊娠して、
    お腹を痛めて産んで、お母さんになる


 もう、こんな事、都市伝説のようだ。逆から考えると、お母さんになることがこんなに難しいのに、妊娠することなんてもっと難しく、その前に結婚する事すらもっともっと難しい時代になっている。


 不妊治療で苦しんでいる人、流産や死産の辛い経験をした人、障害や病気を持った子を産んだ人、生まれてから病気や障害がわかった人・・・

 周りは色々励ましや、いらない事を簡単に言う。
母親なんだから、いつまでもくよくよするなという。

 くよくよして何が悪い。どのステージにおいても、一つの命に一番近い、まさに自分の分身がつらい状況になってまともにしていられる訳がない。



     それが母親なんだと思う。


 流産をしてしまったとしても、その数ヶ月でも立派な「お母さん」だった。
 不妊治療で妊娠出来なくても私なんかより立派な「お母さん」になろうとしている。


   子供って・・・


   まさに自分の事なんだと感じた。


 そして、私はあんなのお母さんになった。

 この先、どんな病気になっても、もし学校に行きたくないと言っても、グレてヤンキーになっても、
私の元から巣立っていっても、


   あんなのお母さんは私1人しかいない。


   何があっても守るのは私しかいない。


  だって・・自分の事だから・・・


        あんな


  私をお母さんにしてくれてありがとう。




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