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<ブルックリン文化風俗アーカイブ記事>昭和の母がポストBLMのブルックリンでZ世代を育てるということ

コロナで大学が閉鎖になりオンライン授業に切り替わった時、そもそも生まれ育った土地では「ない」ところで生活をしてみたかった息子にとって、実家の部屋からリモート授業というのは「ナシ」な選択肢だった。コロナが落ち着き大学が無事に再開するまでは、とNYCでインターンのバイトなどをしつつ、1年半におよぶ実家居候生活をしていた2020〜2021年頃の話。

「ステイホーム」期間はBLMの最盛期とも重なり、窓の外を見ればデモ行進の人の波。親も子も、コロナに感染するんじゃないかとヒヤヒヤしながらも黙って見過ごすことはできず、マスクを2重にし、デモに参加していた。

衝撃や落胆に事欠かぬ日々のニュースから端を発する家族内のディスカッションも、それぞれの祖国文化や人種的アイデンティティが親子間であっても微妙に違うダイバース家庭ゆえ「最適解」が見つからず、親も子もそれぞれの立場で悩みに悩んだものだ。

あの頃から子どもたちも「アメリカで生きるマイノリティとしての自分」の立ち位置を強烈に意識するようになったし、親である私もZ世代の価値観が「そうなった理由」の一つとして我々やその前の世代の考えの浅さ、至らなさ、危機感のなさも大きいことに気づき、積極的・能動的に考えをアップデートしていかなければ、と考えるようになった。そんなことを考え出していた頃の記録です。


血中カリフォルニア濃度が低くなってきてシビれを切らした息子、すでにキャンパスに戻りオンライン授業を受けている親友たちのテスト明けのタイミングを見計らって今朝サンフランシスコへ。本人なりに夏休みのインターンやバイト探しに忙しくしているらしいし、とりあえずここから1週間強は、暇なモラトリアムっ子に議論をふっかけられて木っ端微塵に論破されてイジける(私)こともなく平和に過ごせる!

夏休みは、できれば自分の興味のあるビジネス分野での知見やネットワークを得られるようなモノを希望しつつも、とりあえず興味のあるものには手当り次第応募しているらしい。その中でも応募後すぐに面接の通知がきた、という某オサレメガネブランドでは、一人を相手に1時間の面接時間が取られているらしく、息子は「そんなに喋ることも興味もない」とごもっともなことを言っていたので「長時間の面接のコツは相手に喋らせること」と伝えつつ、「コレは適当には答えられないぞ」という難しめの質問をいくつか考えておけば時間稼ぎになるよ、と教えた。

面接が無事終わり「そういえばどんな質問を考えてたの?」と聞くと、「○○(メガネブランド)は去年のBLM全盛期にインスタで『黒人の権利の向上に全社を挙げて取り組みます』って発表したのに続報が無いが進捗状況は?」というのを用意していたようだ。

残念ながらこの質問(という名のツッコミ)を聞く前に面接が予定時間の半分もかからず終了したようで、質問が日の目を見ることはなかったようだが。私もその回答は聞いてみたかった。

Z世代が21歳になり、大人の世界に進出していく時、彼らの「アカウンタビリティ(説明責任)」のカルチャーが、口裏合わせだけの大人の社会にこうして切り込みを入れていくのだな、というのを肌身で感じた経験になった。

こういうのがどんどん増えて、人事部から経営幹部に慌てて「社長!Z世代ヤバいっす!超見られてる!!」と内線(昭和)が飛ぶことを期待している。息子の場合は特に、接客業のバイトなどで雇用主が黒人とアジア人のハーフの彼を雇うことで「ほら見て、うちはちゃんとマイノリティの若者もハイヤーしてますよ〜」っていうアピール(これをトークニズム、と言う)に使われることを危惧しているので、ちゃんと「言動一致」したところにしか貢献したくないようだ。まあ、実家に居候してる貴族な身分だからそういう選り好みもできるんだよっていうのも確かなわけだが、アメリカという社会の「構造的な人種差別」があれほど明らかなものとなった今、「わざわざ不利な競争を強いられるところより、もっと自分がリスペクトされ、自分らしくいられるところでやっていく」という流れに拍車がかかるのは自明だ。

スティービー・ワンダーに続き、今度はデイブ・シャペルもアメリカに見切りをつけてアフリカに移住する予定らしいし。彼らはビシっと態度で見せているのだ。かっこよすぎる。(注:この流れは2022年現在のカニエ・ウエストの迷走にもつながる気運だったと個人的に思っている)

親の世代の刷り込みを思考停止のまま子どもに押し付けて、良い大学とか良い会社、とか言っている、その根っこの部分の価値観を親もじっくり再検証しておいた方がいい、とつくづく思う。それはどこのどいつのカルチャーや価値観における「良い」なのか、というところを。

BLM全盛時、元高校教師という黒人女性がある手記を発表したのだが、その胸に突き刺さるような内容を覚えている。彼女は「進学に関するカウンセリングの一部として、私はかつて『社会や企業に気に入られるため』の指導をしていた。つまりは『白人社会に受け入れられ、溶け込むためのコツ』でしかなかったのだ。そうではなくて私は『ありのままの自分を誇りに思い、自分らしさを包み隠さず伝える術』を教えるべきだったのだ」と懺悔していた。あれを読んだ時、自分は何をしてきただろうか、とハッとした。大いに考えさせられた。

アメリカ人の親でさえ四苦八苦しているZ世代の独特の価値観に、日本で生まれ育った昭和な我々が度肝を抜かされることは今後も多々あるのだろうけど、もうここまで来たらまるごと信用し、フリでもいいから「何でも来やがれ!」とドッシリ安定しているように見せておくことくらいしかないな。

と同時に、綺麗ごとと理想だけですべての経済が回るほど世の中はうまくいかないから、お金が必要なライフスタイルを望むなら「稼げる能力(=学歴、では決してない)」を身に着けさせる努力や意識は早く始めることに越したことはないな、とも思う。投資でもビットコインでも、今の社会における金融リテラシーはマスト。

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