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ハードボイルド書店員日記・幻の出張版

翻訳家・柴田元幸さんが責任編集を務める文芸誌「MONKEY」vol.30で「800字以内で書かれたショート・ショート」「ただし、かならず猿が、何らかの形で出てこないといけません」という募集をしていました。これはチャンスと思い、さっそく↓を書いて送りました。

いわば「ハードボイルド書店員日記」の圧縮&出張版です。

残念ながら、昨日発売になった「MONKEY」vol.31に掲載はされませんでした。お蔵入りさせるのは惜しいので、こちらで公開させていただきます。
よろしければ「MONKEY」と併せてお楽しみください。ちなみにタイトルは「ハードボイルド書店員の呪文」です。
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「あの猿が出てくる映画、置いてる?」
ベースボールキャップを被った小太りの中年男性。今日もオレンジのTシャツだ。高確率で女性従業員に声を掛ける。今回のターゲットは「研修中」のバッジを紺のエプロンに留めた学生バイト。さりげなく代わった。脂ぎった丸顔に「おまえかよ」という心の声がさりげなく浮かぶ。

レジの隣の書棚に廉価版のDVDを置いている。カウンターの端に移動すれば、肉眼でラインナップを確かめられる。「『猿の惑星』でしたらいちばん上に」「違う」「下から2番目に『キングコング』も」「どこにもないから訊いてるんだよ」前回は入り口と文芸書の棚と新刊コーナーに積んでいた単行本を見つけられず「いまあれを置かない店は本屋じゃない!」と騒いでいた。

「洋画ですか?」「日本」「もし出ている役者さんのお名前が」「アイツ」施設のエントランスで配られたうちわを煽ぎ、Tシャツの裾から風を送り込む。短パンの上から白とオレンジの縦じまが覗いている。続きを待った。「ほらアイツだよ」「……どなたでしょうか?」「昔よく正月の隠し芸で皿を落とさずにテーブルクロスを」豆電球に光が灯る。「ご案内いたします」

雑誌のコーナー。某出版社から隔週で出ている「西遊記」のDVDを見せた。「これだ! 映画じゃなくてドラマか。ありがとう!」「どうぞごゆっくり」カウンターへ戻ろうと振り返る。三歩目で呼び止められた。先ほどの上機嫌は消え失せ、しわが眉間で波を打っている。

「どこ行くんだよ。まだ終わってないだろ」「でも」「これの原作を読みたいと思って今日は来たんだよ」「たしか映画を」「買いに来たとは言わなかった」記憶を探る。舌打ちをこらえた。「申し訳ございません。少々お待ちくださいませ」白いマスクの下で呪文を唱えながら文庫の棚へ向かう。あのキャップが頭をぎりぎり締め付けますように。ついでにずりおちそうな短パンのゴム紐も。

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