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ハードボイルド書店員日記【150】

「平和について考えるフェアを開催します!」
猛暑の平日。異動してきたばかりの正社員の一言。朝礼のだるい空気が凍りつく。それどころじゃない。慢性的な人手不足。昨日の荷物もまだ残っている。そもそも誰が担当するんだよ。おまえがひとりでやるなら構わないけどな? 各々の表情が異口同音の内心を物語る。

「皆さんに一冊ずつオススメの本を紹介してもらい、POPも作っていただこうと考えています!」
期日は一週間後。本人は空気を読まぬ所業とは少しも考えていない。気合は認める。早い時間に出勤し、残業を厭わない。休日にも頻繁に店を訪れ、書類仕事を少しこなして帰る。こういうタイプは早々に身体を壊して休みがちになり、本社か営業所へ移る。いまを全力で駆け抜ける姿勢は悪くない。だが実店舗で働く書店員として望ましいのはシド・ヴィシャスやジミヘンではない。ポール・マッカートニーやボブ・ディランなのだ。

数日後、相談を受けた。社員以外からは「ほぼ集まらない」らしい。かといって誰もが己の業務に忙殺されているから催促もできない。彼に事務所へ呼ばれた際、私はすでに定時を過ぎていた。しかし担当外である実用書と旅行ガイドを品出ししていた。明日の早番がブックトラックに入荷した本を置けるように。

「○○さんはすぐ提出してくれましたよね。ありがとうございます」「いえ」「ただ数が足りないので、申し訳ないけど、もう一冊選んでほしいんです」「いまですか?」「ええ」「何でもいいですか?」「できたら意外性に富んだチョイスを」簡単に言ってくれるじゃないか。

PCのキーを叩き、リトルモアから出ている最果タヒ「死んでしまう系のぼくらに」のデータを示す。「これって詩集ですよね。しかも現代の」目を円くしている。席を立って文芸書の棚へ向かい、件の本を抜いて戻った。

34ページを開く。そこにはこんなことが書かれている。

「死を弔うことが優しさの証明になるから、みんな殺し合いをするのかなあ」
「ニュースにならなかった事故や事件はいったいどこにいくのだろう」
「愛とか夢とか言っていたら、美しく優しくなれた気がする」
「たくさんの人が死んでいくけど、私たちには関係がないね」

打ちのめされたように見入っている。「よくご存知でしたね」「以前読んだので」「そっかあ詩集かあ。しかも戦争を知らない世代の。盲点だなあ」ピストル型にした指をマスクの下に置いて考え込む。まず壁の時計を見ろ。話はそれからだ。「助かりました! きっとお客様もこれを読んで平和について考えてくれます!」

私が彼に伝えたかったのはこういうことだ。

定時以外の時間に働くことが熱心さの証明になるから、みんな早出や残業をするのかなあ。給料にならなかった仕事はいったいどこにいくのだろう。平和とかお客様のためにとか言っていたら、美しく優しくなれた気がする。たくさんの従業員が辞めていくけど、本社に戻れる人には関係がないね。

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