絆未満の関係性(1)ー最果タヒ

彼女の作品との出逢いは
「夜空はいつでも最高密度の青空だ」だった。
なんとなく、で観に行って
あの世界が正直理解できなかったし、私には難しかった。
でもなぜか気になってもう一度。
そして「最果タヒ」という人物が知りたくて
その日のうちに本を手に入れハマったのだ。

そして今回書きたいのは
「死んでしまう系のぼくらに」
  2014年初版
この本に収録されている
『絆未満の関係性について』
そして彼女のブログにアップされている
『絆未満の関係性すべて』
を何回かにわけて書こうと思う。

パラパラと読んでいて
このページで手が動かなくなった。
ちゃんと理解したくて声に出して読んでみた。
涙が止まらなくて苦しくなった。
それでも
なんども、なんども、声に出して読んだ。
今の自分だったからこそ理解できたんだろうなって。

もうわたしのことなど
忘れてしまっているだろうけれど、と、言えば
きっと「そんなことはないよ」と
言ってくれるだろう。
けれどそう言うまでは忘れられているのと
同じなのだから、
これは、縁が切れたということなのだ。

わたしなりに読もうかと。
わたし=女性
相手=男性  かな。
恋人、でもない間柄なのか



「もう私のことなんて忘れてたんでしょう?」なんて
女性は言ってしまうのかもね。
でもそんな風に聞かれても
「そんなことはないよ」としか
言われた相手も言えないよね。
よっぽど嫌いで離れた、だと
「忘れてた」なんて言えるのかな。
だからこそ、これが相手の「優しさ」なのかな。

偶然だったのかわからないが再会をしたふたり。
この再会まで連絡を取とろうとしなかったのは
「忘れられているのと同じ」と感じるのは
当然の感情だろうな。
それは 
「”縁”が切れた」という
なんとも残酷な言い方と等しいのだ。

たぶん、だけど
わたしたちってどんな関係?って聞くことは
言葉の刃で、自分の首を切りつけるような関係。
相手に期待なんてしてしまったら
「こんなはずじゃなかった」
「どうしてくれるのよ!」
「あそびだったのね。」
なんて失望と憎しみと怒りが渦巻く、
そんな感情が生まれるしかないはずの関係。

簡単につなぎなおせるけれど、
だれも動こうとしないから、
ぷちぷち切れていく縁というものが
死と同じくらいの頻度で
地球上で起きていて、
それは、
喧嘩よりもたちがわるい。
永遠でないのに、
臆病さが一瞬を永遠にしてしまっている。

簡単につなぎなおせる、というのは
あえて連絡を取ったりして、
人との関係を修正する必要がないことの方が多いのだろう。
そして人と人との縁というものは
意図も簡単にぷちぷちと切れていく。

ひとりの人生の中でも
何人もの人との縁が繋がったり切れたりを繰り返す。
その切れていく縁の数は
1日に世界中で死ぬ人の数は膨大で
その人数よりはるかに多いのだろう。
そして切れた縁をあえて修復しない、
それが今のこのご時世、
この面倒な世の中をうまく生き抜く術なのだろう。

たとえ修復したい縁があったとしても
喧嘩するよりもたちがわるいほど難しい。
それはあまりにも ”修復する” ということが身近でないから
臆病になってしまう。
人は何かを諦めることは容易にできるが、
勇気を出しての一歩は容易にはできないのだ。

一瞬で修復できる縁でも
その ”臆病” という感情が邪魔をする。
一瞬の ”勇気” をも飲み込んでしまう。
永遠に修復されることもないくらい、深く。

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