見出し画像

サッカーにおける『心・技・体』の再定義

心・技・体

心→メンタル→?
技→テクニック→?
体→フィジカル→?

本記事のテーマは、『とは理論』に基づいて、サッカーに特化した心・技・体の再定義になります。

(※動画は、本記事を音声化。倍速再生推奨↑↑)


※前回の『とは理論』記事は、コチラ↓↓
https://note.com/calcio_a_5/n/n874d40c7b4f1

サッカーにおける○○とは何か?

まずは、技術から再考していきます。

サッカーにおけるテクニックとは何か?

テクニックのある選手を想像してみて下さい。

例えば、『テクニシャン』と呼ばれる選手から想起されるテクニックの定義は、華麗なドリブルや針の穴を通すパス(キック)など足下の技術ではないでしょうか?

端的に言えば、弁証法的にはテーゼであり、不正解ではないです。

しかし、正解とも言い難く、前述したテーゼとは相反するアンチテーゼ(オフザボールの質、最適解を選択出来る判断力etc)が存在し、アウフヘーベン(統合)する事によりテクニックは最大化します。

即ち、テクニックそのものの再定義にも一助となるはずです。

又、フィジカルも同様に、フィジカルエリートから想起されるパワーやスピードもフィジカルであるし、サッカーに特化した実践的なフィジカルこそが重要と云えます。

フィジカルを“武器”とするならば、試合の中で武器を使いこなす術を習得し、発揮する必要があるからであり、サッカーの場合、速さや高さは、必ずしも『ヨーイドン!』や身長で競うものではないからです。

重層的なメンタル

では、ここからは、メンタルについて記していきます。

先述したテクニックとフィジカルには、二面性(テーゼとアンチテーゼ)が混在するのに対し、特筆すべきは、メンタルが重層的であるという点です。

スポーツ心理学の見地から紐解くと、モチベーションの根幹となる動機や目的(夢、目標)を始点に哲学が土台となり、体が資本のアスリートをフィジカルが支え、その上に技術論→個人戦術→グループ戦術→チーム戦術の順で昇華していく中で、ピラミッドの頂上には、心理状態や心理戦を含むメンタルが存在します。

つまりは、『メンタルに始まり、メンタルに終わる』と言っても過言ではありません。

この『哲学』と『心理』二層になっているメンタルを掘り下げていきたいと思います。

哲学とは?
①世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。
②各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」

引用元:大辞泉

昨今、巷でよく耳にする言葉にプレーモデル(ゲームモデル)があります。

プレーモデルとは、チーム内の試合中における原則であり、ガイドブックのようなものですが、このプレーモデルを構築する上で必須になるのが、サッカーの原理原則本質への理解になります。

※サッカーとは?
https://note.com/calcio_a_5/n/n874d40c7b4f1


そして、このプレーモデルは、“哲学”との親和性が高く、国民性や地域特性(文化や気候含)からなるアイデンティティは、プレーモデル作成における初期段階のコンセプト(戦略)に影響を及ぼします。

例えば、降雨量の多い国や地域として、イギリスやスペインのバスク地方が有名ですが、彼らは、伝統的にロングボール(ハイボール)を多用・駆使し、空中戦で強さを発揮します。

上記は、あくまでも一例であり、一端ですが、サッカーを学び、己の長所・短所を理解した上で、属するリーグの特徴や各相手チームとのパワーバランス等を鑑みて戦略・戦術を構築していきます。

戦略とは…
マクロ的視点からの準備・計画・運用。
※マクロ視点=全体的、抽象的な視点

戦術とは…
ミクロ的視点からの具体的方法の計画・運用。
※ミクロ視点=部分的、具体的な視点

サッカーは、相手がいてこそ成り立ちますし、攻守一体型のチームスポーツです。

確固たる哲学が基盤となり、指針となるプレーモデルを構築します。

『心は熱く、頭は冷静に』

と、よく言いますが、選手の決断をサポートするプレーモデルがチームの永続的な強化には必要不可欠であり、その上でのメンタリティ形成においては、土台となる哲学がかなりのウェイトを占めるのだと思います。

そして、ガイドブック(プレーモデル)の有無は、先述した試合中における心理状態をも左右します。

綺麗事に聞こえるかもしれませんが、誤解を恐れずに記すならば、サッカーを学び続け、己や相手を知る事(知ろうとする事)こそ、熱意であり、強い気持ちです。

又、プレーモデルは、時代毎に潮流を加味し、アップデートする必要性もあります。指導者は、チームや選手が変われば尚更、プレーモデルを変えなければなりません。

(プレーモデルの奴隷にはならないように‥)

ただ、プレーモデルを構築する過程や思考、根本となる哲学は不変です。

『ローマは、一日にして成らず』

近道は、ありません。

根性論について

“根性論とは、苦難に屈しない精神=根性があれば、どんな問題(目標)でも解決(到達)できるという考え方であり、精神主義の一つ”

メンタルについて考えた時に関連ワードとして浮かび上がるのが根性論です。

※根性論についての記事は、コチラ↓↓
https://note.com/calcio_a_5/n/nd7fb386fa3ad

根性論とは、全てにおいて根性に帰結し、根性至上主義な思想の事です。

又、メンタルの話をすれば、『根性論だ!』と毛嫌いする層が一定数いますが、根性論肯定派・否定派の二元論ではなく、根性論を脱して、メンタルやチームマネジメントの重要性を説いていかなければ、建設的な議論は出来ません。

三位一体の心技体

当たり前の話ですが、強固なピラミッドを形成するのは、メンタルであり、テクニックであり、フィジカルです。

本記事のタイトルにある『心・技・体』ではなく、三位一体の『心技体』が求められます。

今回は、それぞれを分けて考察しましたが、テクニックやフィジカルにも頭脳や心理、哲学は必要不可欠ですし、テクニックやフィジカルがメンタルを支える側面もあります。

何よりも、本記事で示しておきたいのは、『○○とは??』という学びの重要性です。

学びには、武道の守破離(しゅはり)にも通ずる下記の4段階があります。

①知る
②理解する
③疑う
④超える

学びのサイクルを回し、学び続ける事が『学ぶ』という事です。

自戒も込めて、今回は、ここまで。

駄文、ご高覧頂きありがとうございました。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?