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エッセイの苦しみ:分析、仮説・行動計画立案、良いエッセイの書き方

エッセイが苦しい。

私にとって、苦しみや辛さを浄化したり軽減したりする方法は主に二つあって、一つは音楽を聴くこと、もう一つは文章に書き起こすことです。
共有したいことを他者と話して楽になることも勿論あるのですが、自分が思い悩んでいることについては、私はまず自分の中である程度解決しないといけないのです。

音楽では、アバド/ルツェルン祝祭のマーラー交響曲第3番終楽章を聴いて、そこに含まれるありとあらゆる感情や苦しみ・喜びに触れることで心の中の蟠りが解け出していくこともあるし、マーラー交響曲第10番Adagioを聴いて和声の深い闇に身を沈めることで逆説的に美しく輝くものに心躍らせることもあります。

ただ今回は明確な課題なので、文章化することで前進しなければいけない問題と思い、noteを書きます。
初めは情報共有のつもりで書いていたnoteですが、授業が深みに入っていくとともに段々ここで思考の整理&記録をする意味合いも強くなっていますね。
あとは、どんどん衰える日本語力を少しでも保つために、日本語の使い方に意識的になる機会でもありますね。

本題。

まだ評価課題は提出していないのですが、学期中にInitial Reflection (1000 words)とCritical Review (1000 words)を提出する機会がありました。
どちらも成績には反映されないのですが(ただし、提出しないと単位は来ない)、下記のようにweb上でフィードバックが返ってきます。

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特定箇所へのテキストコメント・音声コメント・総評などが付されます(これをクラス40人全員分行う教員の労力よ…やはりFormative Assessmentは教員の負担が大きい)。
二つの課題で指摘されたのは大体下記事項です。

a)自身の意見・解釈をとにかく十分な根拠でサポートすること
(≒他者の論文の一番効果的な箇所を、一番効果的に引用して議論をサポートすること)
b)意味が取れない箇所があるので、読み返し・推敲をすること
c)明快に、簡潔に論じること。システマティックに(Aは何か説明→Aの問題点は何か説明)議論を進めること

その他、Critical Reviewという課題形式に関する認識の差異などもありましたが、大枠では上記3点。しかし、これを次指摘されないためにどう改善するかが難しい。教員時代、小論文を何度も書かせてきましたが、指摘しても中々次回直せないという生徒に今ならば全身全霊で共感しましょうぞ。

書かれたコメントを見て、「確かに、ここは~~だね」と自分で納得できるときは多分治りかけているのですが、「なんでこの部分だけにこのコメントがつくのだろう」といまいち納得できていないときは、多分また次も同じ間違いをする可能性があるでしょうね…。まずい。

恐らく、上記a)~c)は「議論の問題」と「言語の問題」の複合と分析します。
一見するとa), c)は議論の問題、b)は言語の問題なのですが、多分私の認識ではa), c)も言語の問題が関わっている。一応日本で修論も書いた、国語教師として働いているという自負≒バイアスもあるかもしれませんが、日本語ならばある程度克服できるのではないかという問題も多いのではと思います。
多分、下記言語事項が関わっています。

英語の論文・図書を正確に理解できていない(大まかには分かっているが、詳細に論を批判する場合などはボロが出る)
→c)論文の論理展開を明快には把握できていないために、システマティックに論じられない
→a)効果的な箇所を引用して論を支えることができない
英語で執筆する際に、自身の論理展開、論の構造、どこまで何を説明するか・定義するかなどを明快に定められていない
→a)根拠や出典明示の不十分な点が出てくる
→c)論理展開が明快でない
そもそも自分の英文執筆力が足りていない
→b)自分では伝わるつもりでも、nativeからすると分からない箇所が出てくる
→c)簡潔に明快に書くことができていない

ということで、現在執筆中のエッセイ(4000 words×2本。どちらも、その科目の成績の100%分)では、下記事項を試してみようと思います。

日本語で執筆してから英訳する
→自身の論理展開、論の構造などにより意識的になれるのでは
→日本語の方が全体像を掴みやすい&読み返しやすいので、推敲がより高い精度で行えるのでは
英訳した段階で1)nativeの人にフィードバックをもらう機会&2)同じ科目選択の人と読みあってフィードバックをもらう機会を作る
1)→言語的に伝わらないという問題を克服できる
2)→自身の科目内容に関する理解等が正しいか確認する機会が作れる
1&2)→他者の目線から自分のエッセイをcriticalに確認してもらえる
あと、
英語文献を沢山探して、的確に自分の主張と合致する引用を持ってくることを厭わない!!リサーチに時間をかける。←これすごく大事

全力で頑張っても自分の理解が完全に明快にはならないところとか、周りの人たちがとても優秀なところとか(イギリスで教員をしている人たち、英語ネイティブの他国から来た人たち、大学時代から各国の海外大学で学んで博士号まで持っている人など)、日本語よりもかかる時間と精度が劣っていて思うようなパフォーマンスに辿り着けないところとか、とにかく色々もどかしいことはあります。
ただ、クラスの友人は皆いい人だし、刺激的な環境だし、なんだかんだ言って英語の文献が読めると日本語しか探さないときとは入ってくる情報量も質も違って有り難いので、言語の壁でもどかしいことは様々あるのですが、もがき続けることで最後には少し楽になったり見える景色が変わったりすると良いなと信じ、頑張ります。

上記博士号所持の友達も、エッセイをまだ書いてはいないけれど、20ページ分材料を集めたと言っていました。とにかく材料を集めないことには、料理もできない。

そういえば脱線ですが、小論文執筆の際、生徒に料理の喩えを使っていたのを今思い出しました。

作り始める(書き始める)前に、とにかく良い材料を集めること。カレーを作るのに、納豆を持ってきても仕方ない(適切な領域の執筆資料を持ってくること)。腐ったじゃがいもを持ってきても美味しいカレーはできない(質の良い執筆資料を持ってくること)。
作り始める前に、献立を考えて、記しておくこと(いきなり書き始めず、まず適切なアウトラインを考えるのに時間を割くこと)。レシピなしでは、失敗したり、やり直して結果より時間がかかったりする可能性がある(書き直し等の回避。効果的な構成での執筆)
・見栄えを最後に整えること(言語を整える、推敲する)。

あるいは、就活をしていたときに出会ったフレーズを生徒に紹介していたことも今思い出しました。

伝えたいこと×伝え方=伝わること

まず、伝えたいこと(内容)が何なのかエッセイの課題に思索を巡らせる。その際に、資料収集、取材が必要。
ただし、伝え方(構成・言語など)を考える必要あり。伝えたいことが100あったとしても、伝え方が0だと100×0=0になってしまい、何も伝わらない。
そんなことも思い出しました。

とりあえず、1/6に片方のエッセイドラフト提出、1/14にもう一つのドラフト提出なので、そこまでできることをやってみます。

ふー、随分整理がついた。後はやるだけ、という段階になると少し気持ちが楽になりますね。
ただ勿論、そこから実際やらないと意味がありません。昼ご飯を買いに行って、今日は一日まずは情報収集しましょう。美味しいカレーを作るんだ!!(比喩)
ではでは。

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