Always Laughing Shiyoppe

ケアマネだった自分が、結婚し子どもにも恵まれた矢先、難病ALSの宣告を受ける。 「健…

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ケアマネだった自分が、結婚し子どもにも恵まれた矢先、難病ALSの宣告を受ける。 「健常者から重度障がい者へ」 「介護する側から介護される側へ」 ケアマネの時には分からなかった法律の壁や、障がい当事者が「自分らしく生きる」とはどういうことなのかを描けたらいいなと思います。

最近の記事

【珈琲ブレイク2】「ヘルパー」とひと口に言っても

私は、介護保険のヘルパーさんと障害福祉サービスの重度訪問介護のヘルパーさんに、24時間の生活を支えていただいている。 「ヘルパーさんに来てもらっている」 と言っても、 ①介護保険サービスでのヘルパー派遣 ②障害福祉サービス(その内重度訪問介護)でのヘルパー派遣 とでは、仕事の内容や滞在時間などに大きな差がある。 介護保険のヘルパー派遣は、ケアマネ(介護支援専門員)さんに計画立ててもらう際に、利用者の意向や利用できる限度額などを考慮した上で、法令で定まっているルール

    • #22 白い巨塔の片隅で「空腹」を叫ぶ

      コロナに罹ってしまった… めったに外に出ることがない自分が。 夜中に熱っぽくて、測ってもらったら、37.5℃。 その何日か前から鼻水や喉のイガイガがあったが、花粉症だと思っていた。 熱が出た瞬間、「まずい!」 案の定、コロナ陽性。 換気のため窓を開けてもらい、横で待機してもらっていた介助者さんは隣の部屋へ。 朝イチで、往診医に連絡すると、まもなく先生が来てくれて、救急車で大学病院に向かうことになった。 いつもの入院用カバンに、思いつくものを詰めこんでもらい、救急車用

      • #21 ZEROになる

        私は、昔からB’zが好きで、よくライブにも行った。 好きな曲、山ほどあるけど、その中に「ZERO」がある。 先日、現実にZEROになったことが起きた…というか、予定調和だったけど。 握力がZEROになったのだ。 10代でバンドでドラムをやっていて、一時は30kgを軽く超えていた握力が…だ。 もうまっ白… びっくりを通り過ぎて「ZERO」を歌ってしまった。 そうなることは覚悟して今まで生きてきたが、現実ZEROになるのはやっぱりしんどい。 もう戻ることがないから。

        • #20 自分の体を信じること

          自分が罹患した難病ALSのことを書き残していこうと始めたこのnote。 なんか構成とか、時系列にこだわり出したら、書いていく順番やらを考えだしてなかなか更新出来なくなってきた。 なので、初心に帰り、その日思い出したこと、書きたくなったことを自由に書いて行こうと思う。 今日は、自分の体のことを書いておこうと思う。 体の異変に気づいたのは、10数年前のある日、背伸びして届く棚にしまっていた洗剤を取ろうとした時に、つま先立ちができないことからだった。 最初は、産後太りの運動不

        【珈琲ブレイク2】「ヘルパー」とひと口に言っても

          #19 退化する自分と言葉のチカラ

          ALSになり、自分の運動ニューロン神経が壊死していくと、神経伝達が筋肉にいかなくなり、筋肉は脂肪化する。 私は、とても進行が緩慢で、10年以上経った今でも、大きな呼吸苦もなく、ご飯も口から食べられて、しゃべれている。 当初は、3〜5年で呼吸苦が起こり、生死の選択をすることになると思いながら生活していたから、 「今、できることは自分でやりたい」 との思いが強かった。 しかし、現実は厳しかった。 足先から始まった二足歩行から杖歩行、杖が1本から2本になり、車椅子へと形が

          #19 退化する自分と言葉のチカラ

          【珈琲ブレイク①】在宅介護サービスを受けるために〜ケアマネさんの話〜

          私は、病気発症前にケアマネージャーをしていた。 私がケアマネになったのは2002年。 介護保険施行から2年後だ。 介護保険が出来て今年で24年が経ったが、私の担当ケアマネさんを見ていると、ケアマネは相変わらずの激務だ。 ケアマネが介護保険制度の中でも要になっているにも関わらず、24年前とあまり給与が変わっていないし、下がっている事業所もある。 激務でこんな給与なら辞めたくなるのもわかる。 忙しい割に給与が少ないケアマネさんなのだが、はっきり言って、障害福祉サービスに疎い方

          【珈琲ブレイク①】在宅介護サービスを受けるために〜ケアマネさんの話〜

          #18 ALSからのご縁①

          ALSになったから今までに、たくさんの人に出会い、助けられてきた。 検査入院した時、毎日ベッド右横のカーテンを空けて話す友人ができた。 彼女も難病を発症し、入院していた。 彼女との出会いは、その後の私を大きく変えることになる。 この年は、ロンドン五輪がやっていて、病院のデイルームで一緒にサッカーの日本戦を観戦したのを覚えている。 まさか、検査入院して友達ができるとは思ってもみなかった。 彼女は、私より7歳も年上とは思えない外見。 可愛いらしくて気品があり、よく笑う。美

          #18 ALSからのご縁①

          #17 ALSになるまで⑦

          筋生検から11ヶ月。 病名確定のために、最終的な検査を再度入院してすることになった。 入院してすぐ、また針筋電図。 針の長さは約5cm。 何十ヶ所も針で刺して電流を流し、筋肉の動きを見る痛い検査。 波形がディスプレイに出てくる。 明らかに前回より波形の幅が浅い場所が増えてきている。 でも、なんでこんな痛い目を何度もするんだろう。 今回は筋生検の結果が出てるはず。 医者が手に負えなくて「難病」と言ってるんだからしょうがない…と思いながらも、痛い検査が続くと凹んでしま

          #17 ALSになるまで⑦

          #16 11ヶ月の空白

          検査入院から帰り、何も変わらない日常生活がそこにはあった。 ある日の朝。 幼稚園の娘は、豆まきの日に 「きょうはおにがくるけんいかん!」 と、幼稚園バスに大泣きしながら乗っていく。 義母と私は娘を見送ると、家事をしながらよくいろんな話をする。 義母が好きな相撲や野球の話。娘や主人のこと。ご近所さんの話…話し始めるとキリがない。 気がつけば夕方。 夕飯の買い物に行き、料理を作る。 主人が仕事から帰ると、みんなで食卓を囲む。 大好きなお笑い番組を見て家族で笑い、娘と

          #16 11ヶ月の空白

          #15 ALS患者になるまで⑥

          退院が間近になり、自分の人生の幕引きの事ばかり考えていた。 難病とわかる前まで、私は、アロママッサージとセルフコンディショニングの店を開業しようと準備していた。 難病宣告を受けて、仕事で繋がっていた人たちに一斉メールを送った時、もう顔をみることもないだろうと思いながら送信をクリック。 やりたいことを諦めなきゃいけない。 涙が止まらなかった。 その翌日、一緒にセルフコンディショニングを広めようと声をかけてくれた人から、少し長めのメールが届いた。 お久しぶりです。

          #15 ALS患者になるまで⑥

          #14 ALS患者になるまで⑤

          筋生検が終わった。 あのとてつもない痛みで、生きる気力を折られてしまった。 改めて、近いうちに動けなくなる自分を想像しては涙が出て止まらなくなる。 家族の顔が浮かぶたびに、自分の介護の負担を背負わせたくないという気持ちが強くなった。 まだ、娘は4歳。 主人には新しい元気な奥さんを。娘も母親が変わってもまだ懐くだろう。 誰にも相談しないまま、離婚をしようと決めた。 1人になったら岡山に行こう。 岡山は19から約10年、過ごした街。 親が倒れるまでは、実家に帰るつもりが全

          #14 ALS患者になるまで⑤

          #13 ALS患者になるまで④

          難病宣告の翌日。 「筋生検」の検査の日。 前日の夜はあまり眠れてなかった。 「筋生検」と検索しようとしてやめた。 わからないままがいい。 一晩中、大好きなB’zをYouTubeで見ていた。 ♪夢じゃない あれもこれも♪ 同じ曲のリピート。 現実と向き合わなければいけない。 難病を発症したことから逃げたいが、そんなことができるわけはない。 宣告を「はい。そうですか」と簡単に受け入れられない。 でも、夢じゃない、あれもこれも…悲しい。苦しい。悔しい。憎む。 考えれば考える

          #13 ALS患者になるまで④

          #12 ALS患者になるまで③

          大学病院での検査入院初日。 主治医が女医さんに変わっていた。 あの外来医師だったら…と不安で仕方なかったから、まずは一安心。 主治医から、検査入院は5日間と聞いた。 採血、検尿、心電図、レントゲン、CT、MRIと、一般的な検査が終わったところで、主治医から針筋電図検査の説明があった。 筋肉に針を刺して電流を流し、筋肉の異常があるかどうかの検査だと。 聞いただけでも鳥肌もの。 何日もに分けて、足や腕など、刺された回数は数十ヶ所。 痛みを伴う検査で、これが一番辛い…と、この時

          #12 ALS患者になるまで③

          #11 ALS患者になるまで②

          個人医院からもらった紹介状を持って、1人で大学病院に向かった。 診察室には、どっからどう見ても機嫌が悪そうなドクターが座っていた。 「ハズレ引いてしゃった…」 と心の中でつぶやくや否や、 「検査入院してください」 の一言。 打腱器で私の手足を叩きながら。淡々と。 いきなりすぎて何も言えない中で、ドクターは早口で続ける。 「で、いつから入院できます?」 何も説明はないまま入院日調整。 「家族に確認してからでいいですか?」 と告げると、 「あっ、いいですよ

          #11 ALS患者になるまで②

          #10 ALS患者になるまで①

          2012年6月。 この年に初めて神経内科の診察を受けた。 いつもは内科の患者が多く、町医者的な個人医院。 丁寧な説明をしてくださると評判のドクターだと聞いていた。 ここに辿り着くまでに症状は出ていた。 つま先立ちができない。 歩き方がおかしく、歩くスピードが遅くなる。 階段を上がる時、手すりを持つ腕の力で足を上げていた。 もうごまかしがきかない状態だった。 先生は、打腱器というハンマーで手足をトントン。 その後すぐに血液検査を…と血を取って、1週間後に来るように言われ

          #10 ALS患者になるまで①

          #9 儚さと強さ

          今日、久々にFacebookを開いたら、同病のYさんが先月亡くなったという記事がタイムラインのトップにあがってきた。 先月あげられた記事の数日後、肺炎で亡くなられたと。 会ったことはないが、Facebookで、彼の前向きさと日常の何気ない家族との幸せが溢れる記事を読んで、慰められたり、同感したり、家族との絆を感じたり。 なによりすごいのは、私が住むエリアより、更に厳しい環境の中、重度訪問介護を利用して、24時間他人介助で家族と一緒に生活されていて、ALSの啓発活動も積極