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【劇評・賛】 中村仲蔵 歌舞伎王国下克上異聞

 今日は、先日観てきた『中村仲蔵 歌舞伎王国下克上異聞』について書きたいと思います。職場の先輩が誘ってくださったので観てきました!面白かった!


池袋よしなしごと

池袋は広いな大きいな

会場は、池袋にある東京建物ブリリアホールでした。
広すぎない、いいホールだと思います。2階席でしたがオペラグラスはあったほうがいいかも。ただ、ホール外のエリアが狭いので、終演後の混雑が結構すごかったです。

駅から少し歩いたところにあるのですが、道中ずっと繁華街。駅には東武と西武とパルコがあるのに周辺に広範囲に街が広がっているのが池袋のすごいところ。駅自体も入り組んでいて、わかりにくいし人は多いしで、待ち合わせが怖い。
映画『翔んで埼玉』では、埼玉県の人が集う街と言われていましたが、確かにアクセスがいいことも池袋の特徴かも。『翔んで埼玉』面白いですよね。豪華キャストが大真面目に茶番をやってるのがラグジュアリーだし、何より埼玉県民の皆様の懐の深さを噛みしめる作品です。

本編と関係ない 池袋の思い出

くらたは学生時代の初バイトが、某百貨店食品街の某チェーン洋菓子店だったので、百貨店とチェーン元の二つの入店時研修を受けました。百貨店の研修は池袋で受けたのですが、ホスピタリティに心底敬服しましたね……。
ふだん案内するときは使用する言葉が決まっている(「お手洗い」など)のですが、お客様から先に「便所どこだい?」などと聞かれ場合に言い直すと恥を書かせてしまうので「お便所」と言う……とか、その細やかさでした。はぁーん、くらたそういう話大好き。クレドの話は以前書きましたね、重複すみません。
研修は専任の職員さんが登壇されて、ベテラン芸人のネタみたいに堂に入った話芸で説明してくださいました。アルバイトにまでホスピタリティ発揮しすぎです。その後、別店舗に異動してその文化が百貨店特有であったと知りました。百貨店で研修受けられて幸運でした。池袋の思い出、終わり。

ふつう、記事は一文字でも少なくするものですが、ここは書きたいことを書きたいだけ書く場でもあるので、どうかご寛容ください。
池袋の思い出を書く機会なんてそうそうないので。
もちろんつまみ読みも大歓迎!です!

お芝居について

現代劇って早口!

最近歌舞伎ばっかり見ているためか、現代劇の早口についていけない部分がありました。内なる志村けんが「ああ?なんて??」って言ってました。
でも男性だらけのカンパニーらしい勢い……とでもいいましょうか、いやな感じはなかったです。
ただでさえ早口だから、終盤の中村仲蔵(藤原竜也さん)の『外郎売(ういろううり)』はとっても良かったです。くらたは演劇サークルで『外郎売』暗唱したから詞がわかったけど、ほとんどの人は何言ってるかわからなかったのでは。歌舞伎ではあんなに早くやりません。でも、演劇サークルでは長台詞や早口の練習としてしか認識していなかったので、「外郎売ってこうやって魅せるんだあ」と目からうろこでした。

舞台装置と衣装

劇中劇『仮名手本忠臣蔵』五幕を演じるのにも必要だったのでしょう、下手に花道があって歌舞伎らしくてよかったです。舞台上手(右側)に花道が見えるモニターがあり、現代演劇らしい配慮だと思いました。
また、可動式3階建ての大掛かりな舞台装置もとてもよかった
一点残念だったのは、歌舞伎で舞踊を行うときに敷く「所作台」がなかったこと。最後の見せ場、仲蔵(藤原竜也さん)の舞踊「三番叟(さんばそう)」のときに、バン!と足を鳴らして欲しかったなあ。
また、皆さんの着物の着慣れ感も含めて衣装もよかったですが、現代歌舞伎を見慣れていると、歌舞伎の衣装のボリューム不足は否めなかったかなぁと。逆に、歌舞伎の衣装のあの布団背負ってるみたいなボリュームってどうなってるんだろう……。それを着て平気な顔してお芝居ができるのも、歌舞伎役者ならではなのかもしれません。
と思って調べてみたら、くらたの大好きな中村芝のぶさまのアメブロでは、下記のように書いてありました。歌舞伎役者さん、大変……。

(くらた補記:マハーバーラタ戦記での芝のぶさんの衣装の甲冑は、)
私の身体を衝撃から守ってくれる代わりに重量もかなりのもので、まるでお子様を一人おんぶしながら立ち回りをしているくらいの感覚がありましたので、舞台稽古の時は絶望を感じました(笑)
(略)
女形の衣装もそうですが、歌舞伎は役の重みと拵えの重量が密接にリンクしている場合が多くございまして、そういう所も歌舞伎という演劇の特殊な所と更に興味を持って頂けますと大変嬉しく存じます。

『中村芝のぶのブログ』「私の戦友」(2023年11月26日)太字強調はくらたによる

メインキャラクター3人+1

中村仲蔵(藤原竜也さん)

歌舞伎の家の血筋じゃない役者の底辺から、初めて「名題役者」となった実在の役者「中村仲蔵」を、藤原竜也さんが情熱を持って演じていらっしゃいました。
仲蔵ってとても人気で、落語や講談、ドラマにもなっているのですね。
藤原さんの演技の全力っぷり、手抜きのなさが仲蔵に通じると、多くの役者さんがインタビューで証言していらっしゃいました。藤原さんは中村勘九郎さんとNHK大河ドラマ『新選組!』のころからの旧交があり、昨年2023年4月ごろから1年近く、中村屋さんに所作の稽古をつけてもらってきたとか。
仲蔵がオリジナルの演出をひとり密かに考える『仮名手本忠臣蔵』の第五幕「斧定九郎」のシーンは、前後の文脈もわかりやすく演じられていて、シーン自体もとてもよかったです。藤原さんの浪人姿も所作もカッコイイ!
また、上述したとおり、外郎売最高でした。
三番叟もよかったけど所作台が欲しかった、これも既述ですね。
実際の仲蔵は女形も勤め、『娘道成寺』の白拍子も当たり役だったとか。藤原さんの女形も観たかったですが、やっぱり短い稽古期間では女形までは難しいのかな。歌舞伎役者さんはほとんどの方が女形もなさるので、その点もすごいなあと改めて思います。

四代目市川團十郎(高嶋政宏さん)

「四代目市川團十郎」は先代の隠し子だったそうです。悪役を勤めるなど、それまでの團十郎がやらなかった分野を開拓し幅を広げたのだとか。
今回の舞台で彼が印象的なのは、物語序盤の「蝶は食い合いはしない。多いほうが見物が喜ぶ。」という台詞です。その才能にいち早く気が付いて仲蔵を取り立てた團十郎が、奈落に棲みついたお狐さまの「コン太夫」に「自分が喰われてしまうのが怖くないのか」と問われた際の返事。おお、大人の余裕、カッコイイ。
パンフレットでは、高嶋さんご自身が二世タレントとして「台」に乗って芸能界デビューし、その後苦労した経験を語っていらっしゃいましたが、なるほどぴったりのキャスティングでした。

コン太夫(池田成志さん)

奈落に棲みつくお狐様で、いなりずしと酒が大好き。基本的に人間の目には見えず、まれに芝居の才能のある人間のうちに彼を見ることができる者が現れると言います。
この舞台で彼を見ることができるのは四代目團十郎と仲蔵だけ。彼らとの対話では彼らの内なる声として内省を促し、観客に対しては、当時の歴史的背景や歌舞伎の演目の解説を行うなど、狂言回しの役割を果たしていらっしゃいました
舞台ならではの、かつ、舞台では欠かせないお役ですよね。面白かった!

市原隼人さんの三味線

市原隼人さんは、芝居序盤では初代市川八百蔵を、八百蔵が早々に死んだあとは、没落していく旗本の四男坊・酒井新左衛門の二役を演じていらっしゃいます。
八百蔵はただの筋肉自慢のセクハラ野郎で嫌な奴でしたが、酒井新左衛門は、川に身投げした仲蔵の命を救い、斧定九郎の役作りのインスピレーションを与え、三味線まで弾く大立ち回り。
三味線ホントに弾いていらっしゃいました。歌舞伎を見ていると、三味線ってかっこいいよなあ……とほれぼれすることが多々あるのですが、今回の市原さんの三味線、とってもよかった!

歌舞伎役者を入れなかった理由?と効果

歌舞伎の話なのになぜ歌舞伎役者を入れなかったのかなあ、と思いましたが、「歌舞伎は、歌舞伎の世界にいない現代の舞台関係者の心をもひきつけるのだろう。その人たちが取りつく島が「中村仲蔵」なのかもしれない」と思い至りました。
また、演劇やってる人って演劇を題材にした戯曲が大好きだよね。大学時代の演劇サークルでも、学生演劇を舞台にした自伝的な戯曲を書いている先輩がいました。そのころは、自家受粉的というか「演劇で演劇描いてどうするよ」って思っていましたが、それはアマチュアの世界での話で、今回のお芝居では全く思いませんでした。

加えて、パワハラ・セクハラシーンがあれだけ苛烈に作れたのは、歌舞伎役者がいなかったからかも
第一幕終盤で、出る杭は打たれる的に兄弟子に目をつけられた仲蔵は、「楽屋なぶり」……集団で殴る蹴る、さらにはここでは書けないようなパワハラ・セクハラのを受けて屈辱を与えられます。その後、仲蔵は絶望して大川に身を投げるほどのリンチでした。
そんな当の兄弟子たちが、次に二幕で次に出てきたときに「すげえや仲蔵!お前についていくぜ(・'ڡ´<) ≡☆バチーン」とか抜かすのを見た時は、「お前……こっちは忘れてねえからな……」とは思いましたよね。一緒に観に行った先輩も同じこと言ってました。仲蔵は忘れてやったのかもしれないけどさ。

芝居がしたくないんですか?!

芝居全般を通して印象的だったのは、上記の楽屋なぶりに遭うシーンで叫ぶ「芝居がしたくないんですか?!」でした。返事に窮した兄弟子は「飯喰うために芝居をして何が悪い」と答えます。

パンフレットで藤原竜也さんと中村勘九郎さんの対談が掲載されていますが、藤原さんが勘九郎さんを評して「勘九郎さんは今日しか来られない方のために、本当に今日のこの瞬間を、命懸けで芝居する」とおっしゃっています。そういえばBSフジの新年特番で勘九郎さんと七之助さんが、「何事にも命懸けなのが中村屋」とか言って富士急ハイランドのコーヒーカップをとんでもない速さで回していました。

藤原さんや中村屋さんのそれとは比べるべくもありませんが、「この仕事をしたい」ということと「飯を食うためにこの仕事をする」のせめぎあいは、すべての仕事に通じるなあと思ったのでした。また、役者さんには少数派でしょうけれど、「そんなに思いつめなくても働ける」というパターンもあるでしょう。

くらたはどちらかというと、「この仕事をしたい」という仕事をしたいタイプです。離れて見て思いましたが、今の仕事に敬意はあるけれど、くらたのしたい仕事ではなかった。スペシャリストを前に、「この仕事に強い関心がある」というポーズを無理してしてきたことに、休職に入って気が付きました。

閑話休題。
藤原竜也仲蔵の叫びは、多くの人の心に訴えかける慟哭だったと思います。

まとめ スルヤ・ボナリーさんに寄せて

この劇評を少しずつ書き進めているとき、たまたまYouTubeで長野冬季五輪のスルヤ・ボナリー選手の演技を目にしました。
たまたまっていうか、別で書き進めていた【劇評・絶賛】猿若祭二月大歌舞伎・夜の部(前編)のときに、浅田真央選手の「蝶々夫人」動画を見漁ってて見つけたのでした。

ぜひご覧ください。アマチュア競技では禁止されているバック宙返りを見事に成功させます(3分50秒あたり)。

くらたがこれを初めて見たのは、今はなき『マツコ有吉の怒り新党』の「新三大〇〇調査会」のコーナー。神回「チャージマン研」はYoutubeで現在も見られますが、ボナリーさんの回は見つけられませんでした。
マツコさんがボナリーさんについて熱く語っていた覚えがあります。
つくづくマツコってすごいよね(思わず呼び捨て)。よくいろんなこと知ってるし、やさしい。だれも取りこぼさない。すべての立場弱き者を慈愛の目で見守る異形の聖母だとくらたは思う。

歌舞伎を血筋以外の役者が演じ、「やりたい芝居ができないなら死んだ方がマシだ」ともがきつづけ、実力で名題役者になること。
黒い肌のフィギュアスケート選手がフランス代表としてオリンピックに出ること、そこで審査員の差別的な評価のもとに黙ってくだるのではなく、持てる力の最大限を生かした演技を行い、自分を表現すること。

くらたはこの二人に、似た感慨を抑えきれません。

現代に続く歌舞伎は、明治以降に演出が定まったものだそうです。九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎の演出が残っていて、それ以前のものはほとんど未知だと、勘九郎さんがパンフレットで話していました。

それでも、仲蔵の残したものは残っている。
それが仲蔵のすごさであり、歌舞伎の懐の深さでもあると、改めて実感したのでした。

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