(101)「自己犠牲の愛」はあるのか?①
【原則1】家族間・夫婦間の問題には立ち入らない
「私が犠牲になっても誰かが幸せになってくれるなら、私は満足なの。」
母親が我が子に対してよく「あるあるシチュエーション」だ。
「正しさ」とは人によって違うので本人がそれを「満足だ」と思うのならばそれでよい。まわりがとやかく「それは違うんじゃないの?」という必要もない。
特に「家族間」や「夫婦間」のこととなると、
真相は外側からは全く見えないものだ。
私の親しい友人(女性)がある知人に以下のことをランチで相談された。
その知人女性は長年夫に虐(しいた)げられている状態。子供は二人。上は息子で20代後半。下が就職したが辞めたばかりのお嬢さん。
ご主人は自分がルール、ワンマンで横柄な夫であり父親。特に息子に対しては非常に厳しい態度で接していた為、その姿を間近で見て育った妹は恐怖のあまり父親の引いたレールの上を自分の気持ちを押し殺して従ってきた。父のいうとおりに就職するが自分のしたいことではなかったので心身ともに病んでしまい離職。
過去の父親の厳しい態度が自分のトラウマになっていることに気づき、本来の自分を取り戻すために父親と会わないことを決める。
母親も娘の気持ちを尊重し、
「お父さんに会いたいと思う日まで一生お父さんに会わなくてもよい。」
と娘に話した。そして、その母親は
「私は夫に耐え忍んで生きていく。私が犠牲になり娘が幸せになるのなら私は満足なの。」
と友人に話したという。
打ち明けられた私の友人の心はザワザワ。
「それって家族全員全然幸せじゃない??」
彼女の気持ちが悶々としてしまったのだ。
・・・・・・・・・・
私は全くの第3者なので何かを言える立場にはないが、往々にしてこのようなケースは多い。こういう話をされた時の「心の対応の仕方」について私なりの5つの原則を話そうと思う。
【原則1】家族間・夫婦間の問題には立ち入らない
聞いているこちらサイドからすると「ん??」と思える決定でも、家族間や夫婦間のことについては当人たちの決定を尊重し一切立ち入らないこと。
家族間、夫婦間の歴史は他人に一言で話せるようなことではないし、ほんの2時間話を聞いてこちらが理解することも不可能。
当人たちが「それでよい」というのなら、それでいいのだ。それ以上は他人の家族に深入りしないこと。
たとえその選択が間違っていたとしても当人たちの「気づき」と「学び」を必要とするものなのでそのままでいい。その「学び」のために今生「家族」として生まれてきているのだから。
あえて聞き手が「それは違うんじない?」という必要もない。特に女性は「共感系」なので「解決方法」は全く求めていない。女性のほとんどが「相手の時間を侵食する罪」の話。当人はただただ聞いてほしいだけ。そして「その決定はすばらしい」と同意してもらいたいだけ。
大体深刻な内容はランチの会話で相談するようなことではないし、本当に相談したいのならばランチではしない。その人にとってランチ程度のランクの話、ということ。
「ふ〜ん。私とは考え方が違うけれど考え方は人それぞれだしね。あなたがそれがベストと思うのならば、そうすればいいと思うよ。」
で十分。
だいたい!!
私からすれば、
友人の心をコントロールすることすらできないのに、さらに友人の友人の心をコントロールすることなどできようはずがない!!
こういう時間があるなら、
自分をコントロールする時間に当てた方がいい。
続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?