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真夜中note、真夜中ノオト。

自身をコンテンツ化していくことについて考える。

デザイナーとして、宣伝美術として、手掛けたデザインを示していかなければと思いながらも今は主軸がテキストノート。

今はまだ所属するユニットにコンテンツとしての力が育っていないから、まずは各々が自身をコンテンツ化するための力を育てるよう努めなければならない。そう思っている。

そうした状況の中で自分のことを考えれば、デザイン能力と言葉が強みで、比較した時に即効性があるのは言葉。そして今後、書くこと・言葉で伝えることも強化したいと考えている。だからテキストノート。

演劇分野の販促だとか、舞台の作り手と受け手を繋ごうだなんてニッチも過ぎるし、とにかく反応は返ってきにくい・わかりにくい部分だし。現状「販促というアクションが必要だ」ということを説いて広めてゆくことからになるので正直スタートラインにすら立てていないような気分だけれど。

(だからこそスキやフォローのひとつひとつが響きます、感謝。)

なぜ自分がデザインのスキルを身につけて、宣伝美術という立ち位置でもって、懲りもせず飽きもせず演劇に携わっているのかと考えたら。これしか理由がないのだよなぁ。

複数の人間が集まり、それもライブの要素を持って一つの作品を作るということに憧れた結果の演劇だし、ファン体質ゆえに着地したいまここだから。

そして私の目から見た、今の演劇業界は「芸術だ」「表現だ」とか言いながら、やる方ばかりが気持ちよくなって、観客は蚊帳の外というか「歩み寄りやサービスはしない、与えられたモノを各自で工夫して自分でたのしめ!」って感じで、都合よくつかわれやすいというか、置いてけぼりになりがちだと感じるから。

世の中にたくさんある演劇の、ひとつひとつに上演する意味を持たせて、人と人との関わり、相手あっての自分、コミュニケーションとして作り手と受け手の間で循環させられたらいいなぁって。テーマはハードでも、関わりとして、やさしい演劇が増えたらいいなぁ。

とりとめもなく、まとまりもなく。
真夜中だから言うけどね。

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