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その時間と金は本当に必要か/小さきアプリ屋の悩み

【小さきアプリ屋の悩み ―小説版― 第5回】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/70430098/901188828/episode/1123891

結局、誠意、納品も人の心なんだよ、クライアントは開発の苦労に大金を払ってると言ってもいい、ただ要件を満たして不具合がなくて快適に動作するアプリを納品しても、何故か納得しないんだよ、それで納得しろよ十分な成果だろって思うんだけど、でも駄目なんだよ、大変な思いをして納品したっていう、その苦労を知ることで、大金を払ったことに価値を意味を見出そうとしてるんだよ、だから、本当に馬鹿馬鹿しいと思うんだけど、その苦労を伝える時間相当分の金も、俺たちはしっかりもらってる

会社の金のことをシビアに考えているのは、社長や重役くらいで、現場の管理職レベルでは話にならない。

どこに金を掛けるべきなのか、それはもちろん、「より良いモノを開発すること」に金は費やすべきなのだが、私からすると本当に不思議なのだが、別の「空虚な安心」に金を掛けようとする人が圧倒的に多い。


不具合がなく、要件も満たしているアプリを納品する。それで十分なはずなのだが、多くのクライアントは十二分の納品を要求する。

開発は時間が金だ。費やした開発時間が請求する金額になる。

納品は、アプリと、その設計書で十分なはずだ。なのにクライアントは、何故か、「数ページに渡る納品一覧書」を暗に要求する。それを用意するには、本来不要な過剰な資料までを開発側は用意しなければならない。

本来の開発に掛かる時間に、加えて、不要な資料を用意する時間が掛かる。つまり、それだけ余計な金が必要になるということだ。


うちの会社は開発費用がかなり安い。それは小さな会社ゆえ、相見積になったら知名度と会社規模で絶対に勝てないから、金額で勝負するしかないからだ。

それでも実はもっと安くすることが可能だ。前述の通り、多くのクライアントは不毛な成果物を要求するので、本来必要のない金も予めプラスして見積もりしている。その金は本来不要なはずなので、もっと安く請けることが可能なのだ。


この金は、本当に必要な金なのだろうか。納品物一覧の内容が充実していればいるほど、クライアントの「満足度」は高い。

「満足度」は、本当に必要なのだろうか。この「満足度」を高めるためにだけ、時間を費やす。それは、製品の品質には繋がっていない。製品は何も変わらないのに、「いっぱい作業をした感」を作り出しているだけだ。


例えば、これは「テスト」にも言えることだ。古い会社ほど、テストをしっかりやれといってくる。これは品質に繋がるといえるが、果たしてそれだけのテストをすべきなのか、というところで揉めることがある。

例えば、そのクライアントの資材部は、安く開発費を抑えたいため、「不具合なんか市場で出たらすぐパパッと直せばいいだろ」と言う。これは、その通りだ。請けている我々もそれを提案することが多い。

百万円を使ってテストして、不具合が1件出て、それを修正したとする。テストせずに、市場でこの不具合が見つかり、すぐに修正したとする。どちらがコスト面で優しいだろうか。明らかに後者だ。

前者を頑なに要求するクライアントが、不毛な納品物を要求する。掛かった時間と金が比例して品質だと思っている。これは大きな勘違いだ。どれだけテストを行っても、不具合が出るときは出る。その割り切りを持てるかどうかは、非常に重要だ。

その百万円で、新たな機能や、UIの改善を行ったほうが、有益だということに気づくことが、そんなに難しいのだろうか。

中間管理職ほど、この話が通じない。それが社内の柵によるものなら、本当に馬鹿馬鹿しくて、いつまで経ってもアプリ開発は費用が高いままで、そんなことだとアプリ業界は発展しない。

クライアントはもっともっと割り切って、安く開発して、安く開発して、どんどんリリースしていけばいい。ひとつのことに金を掛けすぎるから、一回の失敗が大きく痛い。アプリなんて、確実にヒットするなんてことはないんだから、もっともっと割り切ったらいい。

食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。