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#90 愛は不確かだけど、確かに引き出しの奥にある

見返りを求めない愛情が欲しい。お金を介在しなくても続く愛が。矛盾しているけれど。

『犬がいた季節』:伊吹 有喜 p.204

 夜が寝苦しい。クーラーをかけても、なぜか真夜中に起きてしまう。時間を確認しようとしてスマホのライトをつけ、その光のせいでますます眠れなくなる。自然と、頭の中がぐるぐるしていつもよりも考える時間が増えている。


 最近時間があるときに考えることがある。

 愛とは、溢れる水に対して抑えようとしても、それを抑えるのが難しいものの存在ではないかということ。目まぐるしい、時折眩暈がするくらいに、訳がわからず時が過ぎていく。自分がなんでこの場所にいるのかわからなくなる。苦しさの最中で救い出してくれる、原動力を与えてくれるもの、その正体について。

 好きで好きでたまらない、気がついたらその対象物のことを考えていて、ともすると眠れなくなってしまうという現象が起こるのが「愛」という言葉の正体なのかもしれないということ。それは決して人に対してだけではなくて、この世の中生きとし生けるもの、それだけではなくて見えざるものも含まれるのではないかということ。

 成功した人のドキュメンタリーを見て思うのは、「成功」だとかお金だとかはその愛が迸った結果として手に入れることのできた副次的なものなのかもしれないということだった。紆余曲折しながら、時には迷いながらたどり着く先。それを難なく手にいれることのできる人が時たまいるのだが、苦節重ねてたどり着いた人と比べると雲泥の差がある。重さが違う。その結果としてたとえ手に入らなかったとしても、自分の中で何かが残る。いや、何かが残るはずなのだと思い込みたいだけなのかもしれない。

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永遠の、愛

 たとえば感情を持たないものに対して「愛」を感じたとして、それが何かのきっかけで薄れたとしても結局その愛を取り戻すかどうかというのは本人自身の感情に委ねられている。もう誰かに会うたび会うたび語っていたその愛の迸りが冷める瞬間というのは意外と単純で、他の強烈な外的な要因かあるいは時間によってもたらされるもののような気がしている。

──それは愛を持続させるための秘訣とも繋がっている。

 おそらくなんらかの全く関係のない外的要因が関係していて、それが改めて自分の中に小さく丸まってしまった愛の萌芽を気づかせるきっかけになっているのかな。ああ、そう考えると愛とは何て一筋縄ではいかないものなのだろう。感情が揺れ動き、わからない、自分が何をしたいのかもわからない、時々見失いそうになる、でもとにかく何かが動いている気配がする。

 でも愛とはひどく曖昧なもので、形が朧げであるからこそ、たぶん人はきちんと形のあるものとしての愛を欲するのかもしれない。そしてその行き過ぎた執着は時に破滅をもたらす。よく結婚式で「永遠の愛を誓います」と宣誓するけれど、それはその瞬間は間違いなく幸せなはずの二人の間を、結びつける呪いに似ているのかもしれない。

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修正したいと願うこと

 随分前のことになるけれど、確かColdplayの『Fix you』という曲について取り上げた覚えがある。初めてこの曲を聴いた時は、その繊細な音の調べに酔いしれ、飽くことなく何度も何度も、聴き直した。やがて、どんなことを歌っているのだろうと気になって、その歌詞を調べたらますます好きになった。

 色々と解釈はあるだろうが、Fix youで歌われているのは、世の中うまくいかないことだらけだよねということ、それから大切な誰かに寄り添うことの難しさなのではないかと思う。常日頃間違いばっかりで落ち込むことが多いのだけれど、この曲を聴くたびに何か救われたような気持ちになる。

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 "Fix"(修復する)という言葉でふと頭に思い浮かぶことがある。

──愛は、たぶん永遠ではない。

 これは相手との絶妙なバランスの上に成り立っていると思っていて、この均衡が崩れると愛はポロポロとその牙城を崩されてしまう。時が経つにつれて、それは顕著になっていく。時間が流れるごとに、それはいい感じにビンテージとしてより輝きを増していくこともあると思うし、逆に、大切に、大切に寄り添わないと、その小さな綻びはやがて大きな穴となり、使い物にならなくなってしまう。

 植物に注ぐ水と同じように、きちんとそれが息をできるように育んでいかなければならない。水をひたすら注ぎ続ければいいというものでもなくて、その適度な分量を間違えてしまうと、根腐れを起こし、萎れ、取り返しのつかないことになる。私はかつての恋人たちとの関係性を思い出すたびに、そのことを考えるべきだったと猛省する日々なのだ。

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プランターからトポトポと流れ落つる

 適切な水の分量って、一体どれくらいなのだろう。朝起きた時に、ぼーっとしてプランターに水を注ぎ続けたら、受け皿から水が盛大にこぼれ落ちた。土に吸収されることもなく、ただただ流れ、それがどこか胸の奥を突き刺す鈍い痛みを伴っている。愛の反対は憎しみなのだろうか。いや、それとも愛と憎しみは紙一重で回り回って同じものなのではないかという気がしてくる。愛のバランスが崩れたものが憎しみであって、だから私たちはその扱いを十分に気をつけなければならないと思う。

 相手を思いやること、そして時折優しい言葉をかけてあげること。相手が何を欲しているのかを考える。でも、執着し過ぎない。何事も適切な距離が必要だ。ほどほどに、ほどほどに。愛は見えないけれど、その輪郭を捉えようと努力するだけで、どうすればそれを長持ちさせることができるのかが見えてくるのだろう。

 愛ほど不確かなものはないはずなのに。その形の捉えようのないことに対してわたしたちは時々縋ってしまう。最後の拠り所で、わたしはそうなの、たぶんあなたなしには生きられない気がするんだ。

 前の回で生きがいと愛について語った後で、その後に記事をご覧いただいた瑜伽さんからコメントをいただいた。生きがいの行き着く形として、子どもがあるかもしれないけれどそれが行き過ぎると「過干渉する親」へと早変わりする。「どうしてわかってくれないの」「あなたのためを考えて言っているのに」。

 子どもは、親を選ぶことができない。無償の愛を施す親に対して、子はNOとなかなかいうことはできない。そこには親子という確固たる信頼が築かれているから。信頼なのかな? 無下に拒絶することのできない、見えざる固執が眠っている。

 自己愛を、自分から生み出した分身に対して重ね合わせてしまった結果なのかもしれない。あるいは、そう物事は単純ではないかもしれない。何事も、適度という言葉がある。この加減がとても難しい。人は時にその距離感と深度を見誤る。

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今はもう会えないあなたへ

 一方で、わたし自身が最後の最後まできちんと測ることのできなかった愛がある。それは祖父母との関係性だった。わたしの父と母をこの世界に送り出した人たちは、巡り巡ってわたしとも確かな繋がりがあったというのに、いつまで経ってもわたしは彼らとの関係性というのを測りかねていた。一緒に住んでいたわけではなかった。小学生の頃の友人たちの中には、祖父母と一緒に住んでいる人たちもいてそれが実は羨ましかった。

 時々祖父母の家へ訪れても、言葉少なで(わたしはどちらかというと幼少期は引っ込み思案な性格だった)、正直なところわたしは彼らのことがちょっぴり苦手だった。共通の話題もなく、時折思い出したように彼らはわたしの学校での様子だとか最近の過ごし方というのを聞いてくるのだが、それ以上に会話が発展することもない。

 当時は鍵っ子で、小学校に入るとよく彼らに面倒を見てもらっていたのだが、その時の記憶の中で唯一父方の祖母とわたしが手を繋ぎながら近所の駄菓子屋さんへ遊びに行った時の光景が鮮明に思い出される。その場所も、わたしが高校に入ったくらいのタイミングで不慮の火事によりその存在自体が消失してしまった。

──わたしはあなたの人生にきちんと存在していたのだろうか。

 父方の祖父はわたしが生まれる前に亡くなってしまったので、残るは母方の祖父だったのだが、彼はその時代の人特有の価値観なのだろうか、とても寡黙な人でわたしが遊びに行っても「よくきたなぁ」というくらいであまりまともな言葉を交わした記憶がない。

 それでも迎えてくれた時の祖父の嬉しそうな顔、節くれ立った指先、帰る時に手渡してくれたお小遣い袋。彼は言葉少ないながらも、その彼の中にある愛の形をわたしになんとかして伝えようとしてくれていたのかもしれないと今であればぼんやりと思い出すのだ。

 父方の祖母も、母方の祖父も最後は認知症となり、わたしの顔を満足に思い出すことができなくなってしまった。その時発見したのは、彼らは歳を重ねるたびにますます生まれた時の姿に似ていく、ということだった。

──彼らは、生まれた時の姿へそのまま帰化していく。

 ひとつ、またひとつと何かが記憶の渦から失われていくたびに彼らの顔が穏やかになり、まるで赤ん坊の頃のように純粋無垢な姿へと生まれ変わっていく。彼らの周りを取り囲んでいるのは、まるでいっぺんの曇りもない愛のようだと思った。

 彼らのそうした姿を見るたびに決して少なくないわたしとの思い出、両親との思い出、彼らの人生を取り巻く苦しみや悲しみがすべて昇華していくような思いに駆られた。最後、彼らは一言も言葉を発しなくなり、ただぼんやりと外を眺めるようになった。ごく稀に、涙を流していた。祖母は死ぬ数週間前くらいから「死にたい」という言葉を発していたらしい。

──わたしはその場に居合わせなかった。

 わたしにできることは彼らの年輪の刻まれた手を優しく包み、それからそっと瞳を見つめることだけだった。時は一方的に刻まれていく。彼らの肉体にも着実に「それ」は刻まれており、決して修復されることはない。二人とも最後は安らかな眠りだった。命の明かりを消す前、彼らがわたしになんと言ったかは覚えていない。でも、最後棺に横たわる彼らから遺された言葉がそのままわたしの脳へ直接紡がれたような気持ちになった。

──わたしと祖父母の間に、愛はあったのだろうか。

 きっとあったはずだ。忘れてしまっているだけで、ひっそりと引き出しの奥の中にしまわれているだけで、今もたぶん取り出すことができる。愛ってなんなのだろうか、それはわたしとわたしの人生を結びつけ、わたしに惜しみなく愛を捧げてくれた人たちの記憶を留めておくものなのかもしれない。

 ──寂しいよ。

 時々無性に欠けてしまった月を眺めながら、わたしの心の一片を満たすかのように、鈍く光る彼らとの記憶を思い巡らそうとする。

 そして、あなたも無償の愛を相手に施しなさい、と空の上から言葉が降ってくる。適度に、適切に。注ぎすぎてはいけないよ。手を繋いだ時の温もり、お小遣い袋を渡してくれた時のしわがれた声、偽りのない柔らかな微笑み。彼らの鼓動がどくどくと、聞こえてくるようだった。

 母方の祖母は存命で、わたしが顔を見せるたびに嬉しそうに出迎えてくれる。彼女はわたしが訪れるたびに止むことなく話し続ける。先日、転んで足を痛めてしまったせいで今は満足に歩くことができないらしい。彼女の、生きていく上で大切なものが欠け落ちてしまわないかどうか心配だった。

 いつまでもお元気で。祖母のこれからの人生も、等しく愛に満ちていますように。どうか、どうか一分一秒でも長く生きていてほしい。それは、たぶんわたしのエゴに違いない。本人の意思とは関係ないのだから。

 ──でもそれはね。

 それは決して呪いではなく、わたしの中で切なる祈りだった。

*

心からのお礼

 momoちゃん、企画に参加していただきありがとうございます。momoちゃんが記事に書かれているように、故人が遺された言葉というのは最後の言葉ではないんでしょうね。記憶が連なり、その存在はこの先もずっとあなたの中に残り続け、そして何か障害にぶつかったときにその思いによって救い出してくれるのではないかと思います。

 わたし自身、自分の祖父母がいなくなってから随分経つので、普段は忘れかけてしまっているけれど、ふとした拍子に彼らの存在の確かさを、思い出すんです。


故にわたしは真摯に愛を語る

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