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あたまの中の栞 - 師走 -

 あっという間に、年が越えてしまった。私の気持ちを、置き去りにしたまま。新しい年を迎えるための、心の準備が整っていなかった。振り返ると、たくさんの人に助けられて、なんとかこうにか目を開けることができている気がする。

 コロナが本格に流行した時期くらいからnoteを始めて、気がつけば文字を綴ることが自分の中で常態化して、これまではどちらかというと読む専門だった私が、まさしく自分の中でポンと新しく産声を上げた。最初どちらかというと自己満足に近かったのに、少しずつ読んでくださる人が増えて、私自身もいろんな人たちの言葉を取り込むことで、救われた。

 この世には、たくさんの考えを持った人がいる。それは認識していたつもりだったけれど、本当の意味で理解しているというのとはまた違ったんだなと気づかされた。言葉に、生かされている。

 過ぎ去った季節を思いながら、12月に読んだ本を振り返ってまいります。

1. テスカトリポカ:佐藤究

 私たちは、生まれた時から、何か使命を果たすために生まれてきたのだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えることがある。大切な何かを成し遂げるために、終着線に向かって一歩ずつ進んでいる。かつて、メキシコに行った時に感じた、背筋が凍るような悪寒。宵闇には、確かに人の欲をひしひしと感じて、命の危険を抱えたまま帰路についた。

 麻薬、カルテル、人身売買……。身の毛もよだつような、計り知れない犯罪の影に、私はページをめくる手を止めることができなかった。本当に救いのない世界だった。彼らは、きっと他に生き方を知らない人たちの集まりだったのかもしれない。残虐性、でもそれこそが自分の命を燃やす唯一の方法だと信じて疑わなかった。

 言葉がうねりとなって、胸の中を突き刺した。長い人生を目の前で見せられているようで、思わず呼吸が浅くなった。

「おまえたちがどんなふうに命を使いきるのか、それが大切だよ」

KADOKAWA p.135

2. 彼らは世界にはなればなれに立っている:太田愛

 生まれた時から、自分が周りの人たちに虐げられる存在だと知ったら、どうなっていたのだろう。全くもって想像ができない。

 太田愛さんは、以前『犯罪者』という作品を読んだときに、どうすればこんな複雑で混沌とした物語を描けるのだろうかと感嘆した。もう手に汗握るクライムサスペンス。その延長線で今回改めて本作を読んでみて、これまた異なる視点でファンタジーを紡ぎ出すことに再び深い驚きが募った。

 "羽虫"と呼ばれる、帰るべき故郷を持たない流民たち。彼らは皆自分たちの存在を否定され、普通に息をすることを拒否される。そんな中でも、一人一人がなんとか自分が自分として生きるために足掻く姿を見て、胸が詰まる。

 最後の最後まで、心がざわついた。人の弱さについて、思い知らされた。

お前の行為によって世界が変わることはない。なにかすることで、お前自身が変わることはあってもな。

KADOKAWA p.112

3. 透明な螺旋:東野圭吾

 そうか、気がつけばガリレオシリーズも通算10作目になるのか。時が経つのは早い。かつての私は、文庫本もドラマも、新しいものが出るたびに見た覚えがある。

 東野圭吾さんの作品は、順当に進むのかと思いきや、最後の最後で予測をひっくり返される文章の構成がただただ素晴らしい。特に昔読んだ『容疑者Xの献身』に関しては、最初読み終わった時にあまりの結末にしばらく呆然とした覚えがある。

 本作では、ついに謎に包まれていたガリレオこと湯川学の出生の秘密に触れられている。同時並行で進んでいる、殺人事件に関しても最後の最後まで目を離すことができない。気がつけば、あっという間に本を読み終わっていた。

 うまくいくことばかりではない。自分が助かりたいが故に、善意で近づいてきた人を結果的に騙すことになることもある。それは小さなつぶてとなって、自分の心の中をぐるぐると回っている。

世界が止まってしまったような感覚だ。本当にそうならば、どれほどいいだろうと思った。このまま何もかもが永遠に動かなければいい。

文藝春秋(単行本)p.206

4. 真夏の航海:トルーマン・カポーティ

 本作は2004年11月に発見された、トルーマン・カポーティの幻の処女作という扱いらしい。最近そういえば英米文学読む機会減ってしまったな、と思い、突如として手にした本である。

 上流階級のグレディという女の子が、自分とは全く異なる世界で生きている青年に恋をするというストーリー。正直、処女作ということもあってか、進みがいやに遅い。『ティファニーで朝食を』という話が私は個人的にすきなのだが、そこでみられるような瑞々しさは少し影を潜めていた。

 でも終盤につれてグレディの中にも確固とした意志が芽生えてくるようになり、何となくだがカポーティが読者に向けて何を伝えたいのかが分かったような気がした。

自分たちが過去を知っていて、現在も知っていて、現在を生きているとしたら、未来を夢見ることは可能なのか?今をしっかりと生きたとしたならば、ただそれだけで未来を夢見ることにふさわしいといえるのだろうか?

ランダムハウス講談社 p.151

*

 新たな年を迎えて、私は今年をどんな風に過ごしたいのかを自問自答している。きっと、この世に生きているほとんどの動物たちは自分達のこの先迎える運命を知るすべを持たない。予想はできたとしても。今、頭の中でぼんやり考えていることは、もう少し自分の中で生じた思いを日常的にはき出していこうということ。

 SNSでの投稿もそうだし、小説も昨年よりたくさんの作品数を放出できるようにしていきたい。私は言葉にすることが好きだし、できるならば言葉や写真を綴ることを本職にしたいという気持ちもある。一方で、物書きや写真家なんてこの世にごまんといることだろう。私も、その他大勢の一人に過ぎない。だから、できる限り鍛錬していきたい。

 今年は去年以上にたくさんの作品を自分の中に取り込んで、己の血となり骨となりもっとより相手に伝わりやすい言葉を紡ぎ出せることを切に願う。

■ 今回ご紹介した作品一覧


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