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パン作りの道

私はパンが好きだ。
昔から朝食はパン派だった。

 
食パンをトースターで焼き、冷蔵庫からジャムを取り出して塗る。

  
冷蔵庫にはイチゴジャム、ブルーベリージャム、チョコやピーナッツ、マーマレードが常備され
ハチミツもスタンバイしていた。

レギュラーはイチゴジャムである。


私はなんといってもイチゴジャムが大好きである。
姉や母はマーガリンとイチゴジャム派だが
私はマーガリンはいらない派だった。

 
 
うっすらとキツネ色をした食パンはいい匂いがして
イチゴジャムを塗りたくるとヨダレが込み上げた。
春は祖母が毎年イチゴジャムを手作りした。
ゴロゴロとイチゴの食感が楽しめるイチゴジャムは絶品で
あっという間に食べ尽くしてしまったし
市販のイチゴジャムも瞬く間になくなった。
ソントン様々であり
チラシをチェックして安売りの日は買いに行った。

 
 
スーパーの近くには美味しいパン屋さんがあり
買い物ついでによく母親や祖母とそのパン屋に行った。

「好きなパンを一つ選んでいいよ。」

と言われ
私は迷うことなくメロンパンを選び
姉は食パンの上に目玉焼きが乗った、通称ラピュタパンを選んだ。
私も姉も特に嫌いなパンはないが
決して浮気はしない主義だった。
このパン屋さんでは、私はメロンパンだし、姉はラピュタパンだ。
 
 

   
そんな私が小学校四年生の時に、友達からパン作りに誘われた。

友達が図書館から借りてきた本には世界各国のパンの写真や作り方が載っていて
私の家で作ることになった。
友達は「チャパティを作ろう!」と張り切っていた。

チャパティ???

初めて聞いたパンだった。
食べたことがないどころか、お店で見たこともないパンだった。
本によるとインドのパンで、クレープ生地みたいな平べったいパンのようだったが
完成品はむしろナンにそっくりだった。
 
 
当事、まだカレーはお米と食べるのが普通で
ナンも本を読んで知ったパンだった。
見た目はナンだが
今思い返してみても、味はナンにほど遠く
おそらくチャパティの味だったのだろう。
なんせ初チャパティだから、正しい味かどうかは分からない。

分かったのは、美味しくないということだ。

 
作ったからには責任をとらねばならぬ。
モシャモシャクシャクシャと空しい咀嚼音だけが部屋に響いた。
ジャムで誤魔化せない微妙な味が口の中に広がった。

 
友達は二度とパン作りに私を誘わなかったし
私は私でリベンジする気は皆無だった。

 
 
 
 
そんな私は高校生になり、買い食いに目覚める。
街中の高校に通っていた私に
誘惑はあまりに多すぎた。
高校から家までの間には飲食店がたくさんあり
パン屋もたくさんあった。

高校生の時は一番食欲旺盛で
一日四食食べていた。
放課後は友達とパンを1~2個食べても
夕飯に何も支障はなかったのだから恐ろしい。

 
パン屋さんは制服がかわいかった。
私はパン屋さんのバイトに憧れた。
廃棄パンを無料もしくは低額でもらえるらしいという噂は
パン好きの私にはたまらなく嬉しかった。

 
ただ、いざ大学に進学すると、大学は遠いし、講義や部活もハードで
週3~4シフトに入るように求められるパン屋のバイトは
私には不向きだった。
後輩がヴィドフランでバイトしていると聞いた時は心底羨ましかった。

 
代わりに私は、山崎パンで3日間だけ短期バイトをした。
クリスマス時期の短期バイトである。
私は山崎パンが大好きだったので、ウハウハしながら山崎パンへ向かった。
初日はアップルパイ作りを、二日目三日目はイチゴの選別を行った。
単調作業は性に合っていて楽しかったが
立ちっぱなしで下を向きっぱなしのため、腰の前に首がやられて酷い目にあった。
また、食品取り扱いのため、とにかく衛生面が徹底しており
消毒消毒消毒で、なかなかに面倒くさかった。
服装は指定であり、工場のため
室温は低く、洋服で調整できないのも私にはあわなかった。

 
ただ、お昼は山崎パンが食べ放題なことはひゃっほー!だった。
持ち帰りは禁止されたが、食べきりならば一人何個でもいい。
何個でもいいと言われてもクタクタで、1~2個しか食べられなかったが
山崎パン愛好家としては
かごに山積みにされたパンを好きなだけ食べていいというシステムは
胸ときめかす特典だった。

 
バイトは経験である。 
こうして良し悪しが知れて良かった。

  
 
 
そんな中、大学の講義で、障がい者施設で利用者とパン作りを行う仕事があることを知った。
調理師の資格はいらない。
あくまで、福祉の仕事らしい。

 
障がい者施設でのパン作りに憧れた私は
大学卒業後に福祉の専門学校に入り直した。
念願叶って22歳の時に、障がい者施設で実習となった。
実習は5日間である。
その施設はパン作りだけでなく、イチゴ作りやうどん作り、重度の方の介護と様々な事業を行っていて
パン作りは4日目にやるとのことだった。
5日間で全事業の実習を回された。

 
憧れのパン作りは、利用者三名と職員二名だったと思う。
パン作り担当利用者は軽度の方で
毎日作業をやっているらしく、手際が非常に良い。
みんなで白衣や帽子、マスクをつけている為
職員か利用者か分かりにくいくらいだ。
正直、一番手際の悪い私が一番利用者くさかった。
鉄板を拭いたり
温度設定をしたりと
いかにもなパン屋らしいことを忙しなくやった後
いよいよ、パン作りの成形に入った。
パン生地を渡される。

成形!
そう、これだよ、これ!!

 
私はバターロールとクリームパン作りを任されたが、特にバターロールは難易度が高く、時間をかけて作っても形がへにゃへにゃした。
正直、どちらもいかにも素人が作った出来栄えだ。
店頭に並べるなんてもってのほかである。

 
バターロールやクリームパンが、こんなに難しいなんて…

 
私が打ちひしがれている間に、デニッシュやクリームパン、ジャムパン、あんパン等
定番のパンが次々に作られていく。
私はオロオロワタワタして、何をどう動けばいいか分からなかった。
パンを作った後、袋に入れ、値札や施設名が入ったシールを貼るように指示された。
こちらは簡単だ。
ウキウキしていると、シーラー止めをしてほしいと頼まれた。

シーラー???

 
どうやら、ラスクを袋に入れた後に袋の上の方を機械で挟み、熱で固定するものをシーラーというらしい。
現物を見ると、なるほど、よくお店で見たことがあった。
このシーラー止めがまた

すっっっごく、難しかった。

 
機械で挟んで何秒と決まっておらず
あまりに挟みすぎると熱で袋が溶けてやり直しになり
軽く挟むと、一部分のシーラー止めが甘かった。
機械は熱を帯び
長時間やるほどに何秒で完成かが変わり
ベテランの技としか言えなかった。

 
実習後、クリームパンとバターロールをお土産にもらった。
初日の割に上手いと褒められたが
果たして本当かお世辞か分からない。
実習担当者から就職を誘われたが
やはりこちらも私を認めてくれたのか、社交辞令で言ったのか、人手不足故に言ったのか
やはり謎のままである。

 
 
家に帰り、バターロールとクリームパンを家族に見せた。

「作ったの!?すごーい!バターロールやクリームパンの形にちゃんとなってるじゃない!」

 
と家族は褒めた。 
母親と食べたら、普通に美味しかった。
生地を作ったのも焼いたのも職員だから
美味しいのは当たり前といえば当たり前だが
初めて作った美味しいパンに
私は涙が込み上げ、笑みを浮かべた。

 
 
その後、なんやかんやあり
私はパン作りをしていない施設に就職をした。
パン作りは夢のまた夢になった。

 
 
 

 

 
私が社会人になった頃、ホームベーカリーという家電が大ヒットした。
発酵が楽だったり、材料を入れると生地が簡単にできるらしく
値段も数万円と買いやすかった。

 
私も憧れはしたが、置き場所に困るし、すぐに飽きるだろうと買わなかった。
逆に私の友達はマメな子が多く、ホームベーカリーでパン作りにハマった友達がパンをたくさん焼いてくれた。
数種類のパンはわざわざかわいらしくラッピングしてあり
女子力とても高いなぁと感心した。
なるほど、25歳で結婚できるのはこういう選ばれた女性なのだと
感心しながらモシャモシャ食べた。

うむ。普通に美味しい。

 
私は市販のお菓子をお返しに上げた。
下手な手作りものより、きちんとお店で買ったものをあげる方が安全だと私は思ったのだ。
合理的だが、女子力の低い考えと言える。

なお、その際に友達が前に住んでいた家に送ってしまい
たらい回しにされている間に賞味期限が切れ
再度送り直すというドジをやった。
とことん私は女子力が低い。

 
 
 
大学時代から、障がい者とパン作りをする仕事に憧れていたが
仕事自体は想像より難しく
また、営業面も課題があると実習先で聞いた。

 
授産施設でパン作りは定番中の定番で
他施設と争うことになる。
どこで売るか、販売場所確保は営業力が求められると言われた。
1個百円弱のパンは単価が安く
賞味期限も早いから廃棄もある。
昼休み中に売り歩くから、利用者や職員はお昼を食べるタイミングが削られると
デメリットはたくさんあった。

 
私はそういった話を聞いたり、ホームベーカリー登場を見て
パンを主力とする施設への就職を躊躇った。
パン以外の強みがある施設に未来を感じた。

 
 
私が就職した施設の近くの施設二箇所がパン作りを行っていて
月に1回、二箇所の施設がパンを売りに来た。
私は仕事でパン作りはしなかったが
パンを利用者が買う際の、買い物支援は行った。

 
順番や時間が待てない利用者がいたり
パンの取り合いになったり
目当てのパンが売り切れで利用者がパニックになったりと
パン販売時はバタバタした。

 
私はパン買い物時の責任者だった。
昼休みはパン買い物支援で終わった。
パン購入時に私は袋に利用者の名前を書いた。

 
 
その際、こだわりが強く、思い通りにならないことがあると人を殴る重度の利用者Aさんが
パン購入列に並んだ。
パン代金は660円で、利用者はサイフから1000円札と50円玉と10円玉を迷うことなく、出した。

 
私「え…………?」

 
私は驚いた。
利用者は足し算より引き算が苦手だ。
買い物時、サイフからお金を出せない人は多い。
お金を出せたとしても、とにかく1000円札を出してしまう。
大抵の利用者のサイフは、小銭を使いこなせずにパンパンだった。
だから保護者によっては、お釣りが出ないようにピッタリの金額を用意する人も多かった。

 
 
Aさんのサイフには500円玉も100円玉もあった。
他の利用者なら1000円札を出すし
まぁ計算ができる人なら500円玉と100円玉2枚を出すだろう。

お釣りが100円玉だけになるように、調整した……。

 
 
私はビックリして、Aさんを褒め称えた。
小学生でも高学年クラスしかできないだろうし
軽度の利用者さえ、そんな芸当は見たことがなかった。

私はAさんを褒めちぎり
保護者にも伝えた。

 
保護者の方はAさんの暴力問題に悩んでいて
いつも謝ってばかりの人だった。
なかなか人に褒められないのだろう…
利用者以上に保護者の方はビックリしていた。

 
保護者「確かにあの子、計算得意で、買い物中にそんなことしてました。」

 
私「すごいですよ!本当にすごい!買い物支援を何年もやってきましたが、施設でそれができたのは(知的障がいがある人の中なら)Aさんしか見たことがありません。」
 
 
保護者「そうなんですか?」

 
私「はい!これは強みです!Aさんの強みです!!私は本当に今日立ち会えて嬉しい。あの瞬間を見られたことが、今日一番嬉しかったことです。」

 
保護者「うちの子……他の子より、得意なこと、あったんですね。うちの子が、一番施設で迷惑かける利用者だって思ってて…」

 
私「そんなことないです。どんな利用者の方も全員長所も短所もあります。この強み、お母さんもいっぱい褒めてあげてください。本当にすごいですよ!」

 
 
保護者の方は声を詰まらせて涙ぐんだ。
私や買い物支援をしていたパートさんは上司に興奮して伝えたが、「別に普通だろ。」とあしらわれた。
買い物支援をしていない上司には分からないのだろうなと思った。
もしも私ではなく、上司がこの日買い物支援をしていたら「普通」で終わった話だったのだろう。

 
私はこの日、利用者の良さに気づけて
保護者にも伝えられて嬉しかった。
私は私で利用者の問題行動ばかり保護者に知られたり、伝えたくなかったし
そのたびに保護者からの激しい謝罪を聞きたくなかった。

 
「お母さんはよく頑張っているの、分かっていますから。
お母さんが悪いわけではないのだから、頭下げなくていいんですよ。」

 
そんなことを私のような独身職員が言ったところで
保護者の傷は癒えない。

 
 
 
障がいがある人は誰かを殴ったりしても
判断能力なしで咎められない。
まして、施設内で職員がいくらやられようが
泣き寝入りのパターンが多い。

 
私はAさんの担当職員で、誰よりも殴られていた。

Aさんは母親から怒られると苛々し
私含め女性利用者や女性職員に八つ当たりする傾向が見られた。
推測だが、好きな利用者や職員ほど、殴る傾向に見られた。

 
咎められないと言っても、それで利用者や保護者が楽になれる訳ではない。
正直、殴られる私よりもAさんは持て余した感情を処理できずに微妙な顔をしたし
母親は母親で、いつも気を張った辛そうな顔をしていた。

 
今でもパンを見ると、あの日の買い物支援を思い出す。 

 
 
 
 
 
アラサーの頃、家族でパン作りをしたのを最後に
私はパン作りをしていない。

更に、今年になってから私の食生活は変わった。

 
私はパンを食べなくなった。

 
 
もともと、社会人になってから、仕事がある日の朝食はパンで、休みの日はご飯派だった。
今年の春に仕事を辞めたことをきっかけに
私は毎日が休みになり
朝はご飯に切り替わった。

それでも朝や昼にパンを食べていたし
常にパンをストックしていたが
炭水化物は太るだろうと思い
7月から、パンを買うのをストップした。

 
ただでさえ、コロナ自粛で外出をしていない。
今年は家にいる時間が長い。
運動をしても、仕事をしていた頃と比べると消費カロリーが圧倒的に低く
すぐに太ってしまうようになった。

 
炭水化物を全くとらないわけではないが
朝昼晩と炭水化物量を調整した結果
もうしばらくパンは食べていない。

 
 
人生でこれほどまでにパンを食べない期間なんてなかった。
毎日毎日パンをほぼ欠かさず食べていたのに
こんなことが起きるなんて、全く思いもしなかった。

人生は本当に
何が起きるか、分からない。

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