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ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』中嶋浩郎訳

インド系アメリカ人で、短編集『停電の夜に』でピュリツァー賞作家となったジュンパ・ラヒリが、イタリア語への憧れとともに、45歳になる夏にイタリア・ローマに移住したという話をはじめて聞いたとき、声にならない呻きをあげた。外国語というのは、使わなければ弱ってしまうような、繊細で神経質な筋肉だといったことばも聞いて、大きくうなずく。それまで英語で小説を書いていた彼女が、外国語習得の喜びと苦労を、そのイタリア語で書いたエッセイ集『べつの言葉で』を手に取る。

学生時代に妹と二人、旅行でイタリア・フィレンツェを訪れたジュンパ・ラヒリは、街で交わされるイタリア語に親しみを感じる。何もわからないのに、何かがわかる。自分とつながりがある言語のような気がする。その胸にともった小さな炎を慈しみながら20年ほど、小さく、ちいさくイタリア語を学んできた。

両親はインドの生まれで、ベンガル語しか話さない。イギリスで生まれ、2歳で渡米したジュンパ・ラヒリは、家のなかではベンガル語、家のそとでは英語を使うが、いずれの言葉も自分の生まれや育ちと分裂している感覚がぬぐいきれない。それを彼女は「言語的な亡命」と呼ぶ。言語と、その言語が結びつく地理的領域との別離。彼女はそれに慣れてはいるが、アメリカで生活しながらイタリア語を学ぶ「亡命」状態を、「イタリア語に対するノスタルジー」によって解消しようとする。つまり、移住である。

本書『べつの言葉で』は、そんなイタリア移住への動機から、日ごろの暮らしからどのようにイタリア語を学んでいるか、言語の働きや文学作品への言及などについて、「イタリア語の宿題」のように少しずつイタリア語で書き、現地の作家や編集者など、複数のイタリア人によって添削を重ねたエッセイが並んでいる。

外国語習得法を知りたくて本書を読むのは、あまりいいと思わない。作家らしく、まずイタリア語の文献を読み、不明な単語はすべて下線を引いたうえで、イタリア語をイタリア語で解説する、いわゆる伊伊辞典をひき、ノートに書き出す。小説や詩でも、印象的な単語や表現、一節などもどんどん抜き書きをする。それはイタリア語そのものに憧れを抱いていた彼女らしい言語との向き合い方で、コスパ・タイパを至上とする現在流行りの外国語学習法とは相容れない。

学生時代のスペイン語は、無機質な大学の講義ではなく、出稼ぎにきていた日系ペルー人と週末に集まり、一緒に酒を飲み、夜通し踊りながら学んだ。友人たちがこぞって参加した、大学が主催し40日間で100万円以上かかるスペインへの語学研修よりも、格安航空券を買って単身で渡航し、現地で仲良くなった友だちの家に泊めてもらいながら丸まる1カ月間メキシコを放浪したほうが、帰国後にどれだけ使えるようになったことか。そんなことを本書を読みながら思い出す。

繊細で神経質な筋肉はすでに弱りかけている。だが、スペインサッカーのニュースを現地スポーツ紙のWebサイトで読んだり、試合後の選手インタビューをスペイン語でそのまま解することができたりすることに、いまも小さな喜びをおぼえる。

複数のイタリア人が手を入れているとはいえ、習得途上のジュンパ・ラヒリが書く文章は、イタリア人ならあまり使わない言い回しや、文献から学んだことに由来する時代が行き来する言葉が使われているという。日本語に翻訳されることで、その味わいはどうしても薄らいでしまうのは仕方ない。それでも、思索と思考を重ねたことがうかがえる素朴で静かな文章や言葉の選び方が、白い便箋に滴らせた紺碧のインクがじわりと滲むように、読む者の胸にゆっくりと染みわたっていく。

彼女の本を読むのが初めてなので、英語から訳された作品の味わいとは比べられない。ただ、言語を使う筋肉は、それぞれ違うもの。ジュンパ・ラヒリが書いたイタリア語(を翻訳した日本語)は、きっと自分に心地よい。本書に収録されていて、ある日、一つの物語がまるごとイタリア語で頭に浮かんだものを書いたという掌編小説『取り違え』を読んで、それを実感する。

今春から、日本語、英語、スペイン語に次ぐある言語を独学しているが、本書にちりばめられた単語やその意味を眺めていると、ああ、イタリア語でもよかったかなと、ちょっと胸の奥が淡く疼く。いま取り組んでいる入門書がひと通り終わったら、彼女を真似て、単語や表現の抜き書き帖をつくろうと思う。


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