大河ファンタジー小説『月獅』30 第2幕:第9章「嵐」(4)
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第2幕「隠された島」
第9章「嵐」(4)
山のほうから恐怖のうねりが響きわたった。叫喚と悲鳴と猛々しい咆哮が次々にあがる。「かかれぇええ!」という鬨の声まで響いてきた。
「あ、あ、あれはなんだ!」
戦場さながらの絶叫と鬨の声に伯爵がうろたえ脅える。
(迷いの森で幻影を見せられてるな。同士討ちになっているのかもしれん)
ノアは嘆きの山を見あげる。
「き、貴様、兵を隠しておったか」
恐怖でダレン伯の顔が引き攣っている。
「この者を縛りあげよ!」
ノアは無言を貫く。混乱させておくほうが恐怖も増幅される。
隻眼の男がノアの胸倉をつかみながら、残りの兵に「ただちに援軍に向かえ!」と指示すると、背後から伯爵の金切り声があがる。
「な、な、何をしておる、グエル少佐。て、て、撤退じゃ」
慌てて床几から立ちあがり、勢いあまって叢にひしゃげた蛙のように倒れこむ。
グエル少佐と呼ばれた隻眼の男は背後を振り返り、鋭い目でダレン伯を睨みつける。
「撤退ですと? 兵を見捨てると申されるか。此度の捜索の陣頭指揮を執ると仰ったのは、閣下ですよ。これから陣頭指揮を執っていただきます。そこを動かれるな!」
恫喝すると、控えていた近衛兵が槍で伯爵の動きを止める。
ふんと鼻を鳴らすと、グエル少佐はノアに視線を戻し、その喉もとに太刀を這わせる。
「貴様、何を隠している。海賊どもを助っ人に引き入れたか」
怜悧な声が迫る。風がノアの首すじを撫でる。
その風よりも微かだった。だが他人よりも鋭敏なノアの耳は、きりきりと弓を引き絞るような音を拾う。音の聞こえた方角――少佐の斜め背後にわずかに視線を動かす。
黄金の穂を波打たせている小麦畑のなかにぼおっと輝く光を目の端でとらえた。光はしだいに強くなる。
雀が一羽ノアの肩にとまり、何かをつぶやいた。
「ディア、だめよ。船で待つように言われたでしょ」
ルチルがディアの腕を取って押しとどめる。
アカ雀がけたたましく鳴きながら飛んできて、ソラを見つけたと騒ぎたてたのだ。
「ノアにも報せているの?」
ルチルは雀に尋ねる。
「あたいはディアに報せに来ただけだから、わかんない」
「ほら!」
ディアが声を強くする。
「父さんはまだソラを見つけていないんだよ。早くソラをつかまえないと、またどっかに行っちゃう。父さんが心配したのは、みんながばらばらになることでしょ。ルチルはシエルとここにいて。あたしはソラをつかまえて戻ってくる。居場所はわかっているんだから、だいじょうぶよ」
ね、とディアはルチルの両手をぎゅっとつかんで訴える。
ルチルはぐっと下唇を噛む。迷っている時間はない。
きっと顔をあげるとディアの目を見つめ返し、目と目でうなずき合う。
「まかせて」
言うが早いかディアは飛ぶように駆け出した。
双子はふだん光らなくなっていたが、緊張したり興奮すると輝きだす。
小麦畑の淡い光はまちがいなくソラだ。雀もそうささやいた。
この状況に驚いているだろうし、緊張しないほうがおかしい。輝きが増して兵士に気づかれる前になんとかしなければ。
この場に残っているのは、伯爵と少佐と近衛兵二名、それに伯爵の側仕えが三名か。戦闘要員は少佐と近衛兵の三名だけ。なんとかなるな。
隻眼の少佐に胸倉をつかまれながら、ノアが冷静に算段した瞬間だった。
びゅっつ!
何かが空気を水平に切り裂く高音がした。
一瞬、ノアをつかんでいる少佐の手がゆるむ。その隙をノアは逃さなかった。
自らの関節を瞬時にはずす。縛られていた縄が足もとに落ちる。
放たれた矢が力なくグエル少佐の頬を掠めるのと、ノアが胸もとから灰を詰めた小袋を引きちぎり、少佐の片目に向かって投げるのが同時だった。ノアはすぐに身を屈め、太腿に隠した短刀を少佐の脚に突き立てて駆けだし、近衛兵めがけて目つぶしの灰爆弾を投げる。
「ソラぁああああ、走れぇええ!」
ノアは走りながら、弓を構える近衛兵と少佐に槍先を次々に投げる。
駆けてくるソラをあと数歩で確保できると思ったときだ、黒く大きな影がノアの背後から飛来した。
――ビュイック!
ノアは速度を少しゆるめる。
巨大な影を率いる翼がソラめがけて入射角で降り、鉤爪でソラをつかむとV字ですばやく上昇した。ノアは立ち止まって天を見あげる。
良かったと安堵したが、違和感がちくりと胸を掠めた。
(ソラをつかんだ鉤爪は、胸ではなく腹の位置になかったか?)
(獅子の逞しい後脚はどこにあった?)
ノアは遠ざかる巨鳥の姿を目で追う。
そのときだ。頭上でギンが叫ぶ。
「ノア、グリフィンじゃない、コンドルだ! コンドルがソラを」
「なんだと!」
(to be continued)
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