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交流分析から見たうつ病・統合失調症

おはようございます。木月まことです。

さて、投稿の度に話題がとっちらかって恐縮ですが
今日は、うつ病や統合失調についてです。

えっ、それ興味ない!

いや、今日は、どちらかといえば
ウツとか統合失調症って一体何なの?よくわかんないけど
という人に、ザックリとでもわかるようなアプローチです。

それに交流分析という学派のアプローチによって、考えてみます。

ええ、おそらく、それらのことに知識がない人にも、漠然とわかるようにするつもりです。

交流分析では、精神の正常と、疾患(異常?)の状態を
つぎのふたつの観点から考えます。

ふたつとは?

それは
ひとつは
「自分から自分がどう感じられるか」で
もうひとつは
「自分から他者(社会・世界)がどう感じられるか」で
このふたつの観点から、うつ病や統合失調を考えます。

まだ、わかりにくいかな?

じゃあ、ウツや統合失調でない正常な状態を、この交流分析によって定義しましょう。

正常な状態とは
「自分から自分を肯定できる状態」
少なくとも「ものすごい否定はしない状態」
そして
「自分から他者(社会・世界)を肯定できる状態」
少なくとも「ものすごい否定はしなくて済んでる状態」
と、交流分析では定義できます。

これは、ある程度、理解されるのではないでしょうか?

自分も・他者(社会・世界)も、そんなに強烈に否定しなくて済んでる状態が、いわゆる「正常」または「健康」であると……

つまり「自分=大丈夫」
「まわり=大丈夫」の世界です。

では、つぎに、ウツや統合失調に行く前に
ヒステリー(神経症)について考えてみたいと思います。

ヒステリーとは
「自分の正当性(のようなもの)を譲りたくない状態」で
かつ
「自分の正当性を守るために、周りの他者(や社会や世界)を激しく責め立てている状態」です。

これは
「自分=正しい」
「他者(やまわり)=欠損」
という受け取り方(や感じ方)が成立している状態です。

こうなると、「ヒステリー」という状態です。

定義にすると、すごくエゴイスティックな感じですが
余程成熟して、おっとりしている人以外は、かなりの人が、この状態を1度は経験してると思います
というより、劣悪な関係状況に置かれてる人のかなりは、これに近い状態になるでしょう。

さて、ようやく「ウツ(病)」にご登場いただきます。

上述の「ヒステリー」を、ほぼ反転させるとウツ(病)が理解されます。

うつ病
「自分の頑張り・努力・真面目さなどが足りない」
一方で
「まわりの(9割くらい)は、ちゃんとやっていて正しい」

「自分=欠損」
「まわり=正しい」
となりまして、
どうです?
これは、さきほどのヒステリーを逆さまにした状態です。

これは、たとえば、そこそこお勉強をちゃんとやる学生が
超エリート進学校に進んだため、ビリに近い成績になって
自分の努力不足を責め立てているに似ているといえばわかるでしょうか?

つまり、自己評価が低く、逆に自己が属する母集団を高く見積もりすぎてるとも言えます。

母集団が、圧倒的に正しく、また勝利している状態なため
戦意喪失に近いガス欠が生じて、まわりからは、「甘えている」と思われがちな状態です。

これがウツです。

逆にいうと、ウツのポジティブな反転のひとつが、さきほどの「ヒステリー」です。
躁鬱という双極障害がありますが
ヒステリーとウツを行ったり来たりするような失調もあるでしょう。

さて、いよいよ、統合失調(症)です。

統合失調は、みていただけると分かるんですが
ある意味、ウツより激烈な状態です。
もちろん、統合失調より危険なウツもいっぱいありますから、一概には言えませんが、統合失調が、なぜひどいのかというと

「自分=人間失格」
「まわりの世界=インチキ・ひどい」

つまり
「自分=ダメ」
「まわり=ダメ」
どちらも肯定できず
世界(宇宙?)の何物をも肯定できないような状態です。

関係項的な現実において、これ以上の苦痛は想像できません。

太宰治などの文学も、ある意味、これに親近性のある世界とも言えます

今日は、SNSなどにも、統合失調のカミングアウトはいっぱいあり
この失調者の総数は比較的軽症なものを含めて増えているのでしょう(統計データは知りませんが)

とはいえ、どんな統合失調者も、朝から晩まで、覚醒時のすべての時間にこの状態であることは稀でしょう
この失調は、遺伝学説や脳の器質異常などの原因説もあるのですが
個人的には、資質と置かれてる状況の組み合わせで発症するように思われます。
この、「自分=ダメ」「まわり(世界)=ダメ」という状態は
生存環境が劣悪で、資質もそれほどタフでない(自我が弱いなど)ほうが発症しやすいと思います。
たとえばですが、総理大臣の息子とかに生れてくれば
「自分=ダメ」「世界=ダメ」にはなりにくいのではないでしょうか?
いえ、もちろん、劣悪な環境にいる人は子供をつくるべきではないとか
そんなことはまったく申しておりません
すこしはなしがそれましたが
資質と置かれてる状況で発症するとは
たとえば、この病気は、思春期から社会自立が期待されるような年齢ゾーンでの発症率が高いんです。
つまり、それまでの世界(観)や自分(観)の大きな変更というか、書き換えをしなければいけないときに発症しやすいのです。
逆にいえば、ある程度の年齢になれば
「自分=ダメ」「世界=ダメ」にも、ある程度諦めがつくことも考えられます。
しかし、この状態だと、環境への適応に支障をきたすことも多いため
たとえば、かなりの年齢になって、独り身・金なし・地位なしですと
「自分=ダメ」「世界=ダメ」の状態が、より激烈または深刻になることもあり得ます。
こういった
「自分=ダメ」「世界=ダメ」みたいな思い込みへの固執が相対化できるといいんですが、簡単ではない場合も多いでしょう。

さて、はなしがかなり脱線してしまいましたが
以上が、交流分析による、うつ病や統合失調症の解釈で
分かりやすくするために「正常」と「ヒステリー」を加えて解説しました

どうでしょう?

このように
自分から自分がどう見えてるか(感じられるか)
自分から世界(まわり)がどう見えてるかを考えるという
交流分析のアプローチから見ると
うつ病とか統合失調症といった疾患もより理解しやすくなると思いますがいかがだったでしょう?

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(あとがき)
今回は交流分析という学派のアプローチを紹介しましたが
たとえば、ウツや統合失調も、学者の数だけ定義があるような部分もあり
たとえば、ある学者からは、統合失調は、遺伝による細胞欠損の結果であると主張する人もいるし、食べ物による失調の結果であると主張する方もおり
ある意味、研究者の数だけ学説が存在する部分があるのも否めないので
その時点で、自分がよりしっくり理解できるアプローチを採用するのがよいと思います。
普段は、自分は、ウツや統合失調については、自分なりに考えたことを書いてきたのですが
私生活で、借金増か生活保護かという感じになっていまして
もう、他者の説でも、出せるものはどんどん出していかないと、という感じで、今日は、交流分析によるアプローチをご紹介しました

おつきあいくださり、ありがとうございました。

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