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生成系AIユーティリティのデザイン

 年の暮れを迎えてのmy note は、2023年の総括的なテーマ/社会情勢変化の振り返り等 で寄稿するような様相が多少あります📖
 先日は『物価高』についての独自考察を提起しましたし、次は…『生成系AIの台頭』でしょうか。どこを見ても〔拡充〕してきていますね🤔

 これで本年の最終稿と致します✍

 

 『ChatGPT』が最も馴染みあるワードでしょうか。人により「身近度合い」は異なれど、貴方にとっても「全くの無関心ではなくなっている…」のだと推察します。

 【大いに活用している】フェーズにまで至ってますか?
 活用の有効性について感じつつ触れ始めているものの【まだ少し齧った程度】でしょうか?
 あるいは、気にしなくもないが実際はまだ距離を置いている、という浸透度でしょうか。

・・・当方は最後です。トレンドにはかなり疎いです💦

 いや、拒絶的〔頑固〕だという仰る人もいるでしょうか。
 でも、根底にあるのは、併発的な〔危機感〕の一種である気がします。

 どういうことでしょうか。以下にて続けます📖

 

◆◈◆◈◆◈◆◈◆◈◆

 

 『生成系AI』という用語の明確な定義やその最新機能に関する知見の深さが乏しいことを自認した上で、ですが、ネット筋の記事や投稿(=「活用」に乗っかっている他者のoutput状況)に触れていて日常的に抱く最大の違和感。それは・・・

オリジナルなcreativityを放棄した「生成系AIによって作りました/記述しました」スタイルに成り代わってしまう書き手 が増加傾向にあること

です。

 

 以前の記事でも少しずつ触れましたが、(例外事項等、)誤解を招かないような補足をしないといけないのですが、よろしければ以下を覗いてみてくださいませ🙇
※決して、「活用している人は皆…」という決めつけではありません

 

 日頃からしばしば述べているように、【単なる雑学や薄っぺらい情報の、既存の他の所からの転載にすぎない】と取れる記事に対して「その価値が如何ほどか?😔」と疑問を呈する態度に繋がる当方の本質思考と類似していて、

『生成系AI』に書かせた文面を自分由来の言及であるかのような場で発表したり、「尋ねた結果」をほとんどそのままコピペして記事としたり…って、【時間を割いて読んでくれる/目を向けてくれる人に対して失礼】と感じます。
そこにどんな価値があるというのでしょうか?

 『○○リテラシー』の要件がすげ替えられてしまって、それを「使いこなしている」ように見えて代替的に「自身の思考力の減衰に甘んじている」足取りになっている人の例は、はたして望ましい適応進化/サステナブルな成長 なのでしょうか。

 
 本稿での上記言及に対し異論反論を抱かれる人も少なからずいるでしょう。でもその前に、リンク記事内での列記事項もご確認頂きつつ、あくまで《オリジナルなcreativity保持》という観点からの本質思考深耕だということ、及び、新時代のツールを用いることによって生じ得る《いわば「考える」の放棄》がサステナブルな成長に阻害要因となるおそれへの自覚度合い、のような論点への”気付き”機会をお示しする主旨であるということが少しでも伝われば、と思います。

 こんなmy note の特性に共感・ご賛同頂ける方🙋 次の年も末永くお付き合いくだされば幸いです🙇
 よいお正月をお過ごしください(^.^)/~~~

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