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note×standfm【Bricolage-5】交換としての使命感



皆さま、如何お過ごしでしょうか?

2023年1月も気づけば・・・中旬へ向かうタイミングでございますが、皆さまはどんな書籍をお手に取っておりますでしょうか?


2022年もstandfmでの音声配信の内容を文字起こし+αで
noteに記事を書いて参りましたが、お読み頂き有難うございました!
思考の整理とは思いながらも毎回妄想を語るという・・・発散と収束を同時に行いなっておりますので、今年もあたたかく見守って下さると嬉しく思います・・・

ここ数日は「生命」についての書籍を手に取ることが多いですが、standfmでも直近で配信をしましたが、中村桂子さんの書籍はどれも慈愛に満ちた眼差しでやさしく生きていることの素晴らしさを教えて下さいます。

【第1223回】あそぶ 12歳からの生命誌/中村桂子著


──── 我が家では、食卓で他の種の命を重ねて命の連鎖を人間が繋いでいることを話題にするこもございます。人間は不必要に他の種の命を奪ってはいないだろうか?と動物倫理にも思考が及んで参りますが、かつてカオスの淵、深遠な暗い海で起こった臨界現象と共進化に想いを馳せながら、もともとは同じ祖先から進化を遂げた人間の機械論的世界観では社会を変革することに限界があるという、中村さんの「生命誌」という新しい知の領域には共感するところでございます・・・

JT生命誌研究館HP 参照

ヒトのパーツ同士は決してメカニズムに駆動するものではなく、あるパーツは他のハーツを調節したり、動きを修正したり、或いは・・・お互いを励ましあい共促進させている様に思いますし、メカニズムではなくオーガニズムとした動的な生のダイナミックな躍動を感じる訳でございます。
決してロボット犬の様な状態が生きているということでは無いということを
子ども達に伝えていたところでございます・・・・


さて、早速ではございますが、今年の初投稿をゆるりとしてみたいと思います💡




                * * *


今回のタイトルは交換としての使命感としております・・・

【第1145回】【Bricolage】交換としての使命感


これをお読みの<まれびと>の皆さまは何か、使命を帯びて日常の生を躍動させておりますでしょうか?

使命というと、何だか高尚な問いにも思えて参りますが、今、この瞬間にも使命を感じるというお方も居られると思います。

使命感・・・・
何か神聖な響きがあり、エーテル体としての、人間の「器」も満たすような杯を私はイメージ致します。或いは・・・エネルギー体そのものや、エネルギーが生成される只中の脈流の様に思えて参りました。忙殺される日常にあって、内なる脈流や滴り落ちる雫には気づきにくい様に思います。


エーテル体/Wikipedia



──── 使命感と生きがい

この使命感というものは、多分に「生きがい」と紐づいており、
「生きがい」を見出している人というのは、何か自我が薄まり
静寂な宇宙の只中で自我忘却し何事かに唯だ、打ち込んでいることでしょうし、そういった方をお見かけするととても幸せそうに思います。

一方で・・・
使命感に紐づくい「生きがい」を奪われてしまい、権威への服従
監獄という構造に囚われて、思考が停止させられている状況は人間の根を絶やすことになり、悲劇でしかない様に思います。

アドルフ・アイヒマン/Wikipedia


何のために生きるのか?

この「何のために」という意味が剥奪されていることに、初めて気がつき立ち尽くすのだと思います。生きることへの「虚無感」を纏ってしまうことも日常で起こってくると思います。
意味の「復権」や意味の領土の「回復」が誰しもが求めて暗い森を彷徨うことになると思いますが、極限状態に追いやられた時に、彗星の如く現れる新たな「使命感」がその状況を超克して行く様にも思えて参ります。

そして、ごく自然に人間に備わっている、自己防衛機制かも知れませんが、誰しもビルトインされた反発するあの感覚、小さな内なる賢明な自分の呼び声に耳を傾ける必要があるように思います。

ダンテ「新曲」/Wikipedia



──── ウェルギリウスが案内する、この暗い森に突如と現れる光の霊。
離散しそうな細やかな生命の糸を集結させ「躍動」させる使命感というものは時には「天」「仏」「神」「霊」という名で呼ばれるのかも知れません。時には道を見失い、希望は挫かれて、アーサー・C・クラークが描く「神の鉄槌」の如く小惑星が衝突するほどの衝撃が起こり人間の時代の終焉が訪れるかも知れません・・・

サー・アーサー・チャールズ・クラーク/Wikipedia



ユダヤ系実存主義哲学者、ハンス・ヨナスはかつて次の様に語っております。

「今や人間の方が神に与えねばならない」

神は人間を救う存在では無く・・・我々、人間の方が神を救わなければならないと・・・・

ハンス・ヨナス



「神は死んだ」と語ったのは、フリードリヒ・ニーチェですが、それは・・・ニヒリズムに陥り、末人として暮らすのではなく、自らの力への意志で超人として生きよ!という生への絶対的な肯定でもありました。
神の無力化とは全知全能なる神の印象から大きな逸脱的な思考となりますが、ハンス・ヨナスも語る通り、神は生成という偶然と冒険と無限の多様性に身を委ねることを決定し、世界は生成により支配され、そして偶然性により貫かれることになり、神の自由意志によって生成された世界と成った訳ですね。

フリードリヒ・ニーチェ/Wikipedia


世界で起こることの一切は偶然であり神が介入できるものではなかったとも、ホロコーストについて指摘をしている訳ですが、世界に対して介入する余力がもはや残って居なかった神を救えるのは自我を薄め二項動態として無償性を帯びた飛翔が必要なのだと思います。





──── フランスの小説家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
次の様に語っております。

「人は小さな自分を何か大きなものに捧げることによって・・・自分の生命をそのものと交換するのだ」


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ


贈与ではなく、交換でございます。

どういうことか?

それは・・・自らの自我を捧げれば捧げるほど、それは小さくなり最終的には「無」へと、泡沫へ帰すということだと。自我は静寂に包まれて薄まり、或いは自我は大いなる全体へ回帰していく。そして、自分を捧げた対象によって、限りなく豊になるということでござます。
無償性を伴う使命感、例えば、それはシモーヌ・ヴェーユナイチンゲール、或いはアフガニスタンで亡くなられた中村哲の中にあった様に思います。こう行った、自我を超越した「使命感」を帯びている人は悠久感を伴っている様に思います。

シモーヌ・ヴェイユ/Wikipedia


フローレンス・ナイチンゲール/Wikipedia


中村哲/Wikipedia




元国連事務総長のダグ・ハマーショルドは次の様に語ってございます。

「使命の方が我々を探している、我々が使命を探しているのでない」

ダグ・ハマーショルド/国際連合広報センターHP


人間がこのことを成しうるのは、神がこの世界を生成させたのを悔いなくてはならないような事が起こらないように、せめて、そう頻繁には起こらないように、人間がその生の途上において、しかし人間自身のためにではなしに、気をつけることによってのみである・・・

「信仰という衝動は人間の情緒的な性質の中に定義づけをしており、それはすぐに消えてなくなるとも、そしてそうなることが良いことである」と。
つまり、形而上学的な衝動は永遠に朽ちることなく、宗教への逃避を助長するというものですが、私も今一度、自分が携えている使命や神の沈黙について自分を旅し各所を巡ってみたいと思います・・・・

ここまで番組をお読み下さり、有難うございます。
番組へのご意見、ご感想下さればと思います。

今回は・・・【Bricolage】交換としての使命感をお届けして参りました。

有難うございました。



                * * *



──── ここからは毎度の宣伝でございます。

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ブリア・サヴァラン教授/Wikipedia

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