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【責任とは何か】

こんにちは。

Takashiさんです。

今日は

『責任とは何か』

について考察していきます。


仕事の場面で

「プロジェクトの責任は私がとるから
 あなた達は思い切って挑戦しなさい」

「甚大な問題が起こった事を深くお詫びする
 代表の私に落ち度があるので責任をとる」

「提携企業に悪影響を及ぼした事は
 リーダーである自分の指示が要因だ
 よって責任をとって決着をつける」

etc

見聞きした事があるかと思います。


また大きな会社で不祥事があると
マスコミを通じて会見を開き
経営陣のトップ達が

「この度は誠に申し訳ございませんでした」

「不徳の致すところでございます」

「早急に問題の対応に当たりたいと存じます」

etc

お決まりの定形型の文言を述べて
深々と頭を下げている光景は
ニュース等で話題になります。


そして記者は

「会社はどのように責任をとるおつもりですか」

「社長は問題に対して責任を感じていますか」

「経営陣は責任をとって人事を刷新しないのですか」

etc

畳み掛けるように色々と
質問をぶつけてきます。


昔私は「責任をとる」
という意味を

「役職の地位を辞任する」

「頭を下げてお詫びする」

「問題が起こった後で対処する」

etc

考えていました。


要するに
口先でカッコつけて発言して
辞職すれば問題が解決すると
思っていただけでした。

頭の中に
「責任=辞職」という
1つの方程式が
出来上がっていました。


一見すると地位を退いたので
責任をとっているかのように
思えます。

しかし、それは形式上だけで
責任をとっているとは言えません。

むしろ問題を直視せずに
責任から逃れています。


では責任とは
どういう事なのでしょうか。

責任(せきにん、英: responsibility/liability)とは、
元々は何かに対して応答すること、応答できる状態を意味しており、
ある人の行為が本人が自由に選べる状態であり、
これから起きるであろうこと
あるいはすでに起きたことの原因が行為者にあると考えられる場合に、
その行為自体や行為の結果に関して、法的な責任がある、
または道徳的な責任がある、とされる。
何かが起きた時、それに対して応答、対処する任務や義務の事。

責任を負う(役割に就く)者を指して、責任者という。

wikipedia

責任とは、社会的に見て自由があることに伴って発生する概念である。
自由な行為・選択があることに伴い、それに応じた責任が発生する。

責任の概念は、他のことを意志できること、
少なくとも意志したとおりの行為を為すことができる
という意味での自由意志の概念を前提としている。

そのため、責任という概念は、
伝統的に自由意志の概念とも結び付けられてきた。
責任にまつわる近・現代的な観点からは、
心に重きを置く考え方と、
ある人の行為に重きを置く考え方とがある。

また、責任という概念は、
何らかの行為を行ったことだけについて適用されるのではなくて、
行われるべきだったのに行われなかったことに対しても適用される。

また一般には、責任は原因とは区別される概念である。
BがAの原因ということだけからは、
BがAの責任を担うべきことが結論されることはない。

自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ちを「責任感」と言う。
責任感がないことや、責任を自覚しないことを「無責任」と言う。
責任を果たそうとしない状態が
集団的・組織的に作り出されていることを「無責任体制」などと言う。

自分が負うべき責めを他の者に負わせることや、
責任を他になすりつけることを「責任転嫁(せきにんてんか)」と言う。

なお、一般に日本語では、他者から期待されている反応・行動を
その期待どおりに実行することを「責任を果たす」と言い、
反対に期待されている反応・行動を実行しないことで結果として事後的に罰を受けたり、
指揮権や地位などを手放すことを「責任をとる」と言う。
誰かが「責任をとった」と表現される状態は、
基本的に、「本来なら果たすべき責任を果たさなかった」ということを意味している。

wikipedia

「責任」の意味を

「責められる」

「任される」

とやや否定的に解釈すると
摩擦や葛藤が出てきます。

受動的且つ消極的に認識すると
プレッシャーを感じて
氣が滅入ってしまいます。


すると

「責任をとる」

「責任を果たす」

それぞれ苦痛から解放されたい思いで
辞職、辞任等に至ります。


というのも
日本の責任に対する捉え方が
歴史的背景が関係しています。

それは

「切腹」

です。


責任を無理矢理とらせることを
「詰め腹を切らせる」
と言います。

不祥事への責任をとる
一手段であった事に由来する語法です。


現代では切腹に相当する行為が
辞職、辞任となります。

但し辞めるだけで
問題に至った経緯を説明しなければ
責任を果たしていないと
厳しく追求されます。


「自分の命と引き換えに責務を果たす」

極論といえば極論ですが
責任に対して死生観を
突きつけられているような状態です。


それゆえに
今日においても

「責任をとる」

「責任を果たす」

となれば辞める事を
選択するのかもしれません。


時代の移り変わりもあって
辞職、辞任するだけでは
責任を全うしているとは
言い切れなくなっていると感じます。


そこで責任を英語である
「responsibility」の観点で
分解して俯瞰すると

「response」は反応、応答

「ability」は能力、才能

「responsibility」とは「応答する能力」です。


つまり、責任とは

「今この瞬間に応答(レスポンス)する事」

「その場でアクションする事」

となります。


過去や未来の事に
責任を取る事ではなく
今に生きる事です。

反省文を書いたり
今後実践する事ではありません。

今すぐその場で行動する事です。


個人、企業、社会等が

「責任をとる」

「責任を果たす」

と宣言する時は

今すぐその場で
具体的な行動を実践するだけです。


グダグダ頭を下げて釈明し
懺悔の氣持ちを陳述するのではなく
目の前で何か1つでも
アクションすれば良いのです。

謝罪会見は不要です。

マスコミが勝ち誇ったように
ステータスゲームをして
見下しているに過ぎません。


クレーム対応も同様です。

お詫びする事は当然ですが
問題を解決しない限り
何の進展もありません。


中には

「単に話を聴いて欲しい」

「感情的に承認欲求を満たして欲しい」

「論理的に説明して自分の力量を見せつけてやりたい」

etc

傾聴、共感、優位性を示したい方も
おられる事もあるでしょう。

もちろん話をしっかり聴いた上で
問題の論点がすり替わらないように
冷静且つニュートラルな状態で
具体的に対処していきます。


責任に対して

「軽く口走って何も行動しない」

「辞職、辞任すれば問題が解決する」

「謝罪文を書き、後から対応していく」

としている間は逃げ回っています。


「責任をとる」

「責任を果たす」

発信する際は
今すぐその場で具体的な行動を
実践するだけです。


責任に対して
積極的且つ能動的に反応していく事を
積み重ねていきましょう。

最後までお読み頂き
ありがとうございます。


追伸
あなたにとって
「責任」とは何か

あるいは

「責任」に関するエピソードを
ぜひお聞かせください。

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