江戸川次郎

'00 下町OLならぬ埋立地OL

江戸川次郎

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最近の記事

いま必要なのは「過剰さ」なんだよ

別に一角の人になりたいわけじゃない。そんな欲望は、微塵もないと断言していい。でも、人と同じことを同じようにやるのは、やっぱり楽しくない。そんな退屈さには耐えられない。自分に固有の、自分自身を納得させられるような何かさえあれば、他にどんなことがあってもブレないでいられると思うし、楽しく過ごしていける気がする。いや、絶対そうだと確信している。そして、そのようなブレない自分固有の軸は、「過剰さ」からしか生まれない。人目を気にして常識の範囲内に収めてしまったら、その辺に転がっているも

    • 頑張らなくていい理由を求めて

      《…そして、半生が過ぎるころになると、頑張らなくてもいい言い訳がほしいという考えで、頑張らざるをえなくなるのだった。》 あらゆるものが民主化され、チャンスが平等になっていけばいくほど、ぼくらの生活におけるあらゆる行為は、その人自身の選択の結果だとされる。選択したのなら、責任が発生する。自由になればなるほど、責任を行為者自身に降りかかってくる。 義務教育はまだしも、高校以上の教育機関は、選択して行くものである。授業がつまらない、校則を守りたくないと思うのは自由だが、それも含

      • 結局、最後に「納得」できるかどうかの問題だと思うんだ。

        あまりに時流に乗りすぎていて気恥ずかしいが、AIの話をしたい。 AIがすごい。ぼくなんかより、みなさんのほうが知っているかもしれないが、とにかくすごいんだ。たぶんこの先数年、想像もできないほどに発展していくんだと思う。そして、必ず懸念されることは、人間の仕事がAIに奪われるのではないかということ。特に大規模言語モデルや画像生成AIの存在は、創作する人にとって特に脅威だとされている。 AIが文章を書き始めた。写真や動画を生成し始めた。人間が作ったのと遜色ないほどの小説や映画

        • ぼくにとっての「知性」はね。

          どんな人に「知性」を感じるだろうか。 ぼくの中では知性とかっこよさが隣接している。「こういう人になりたい!」「かっこいいなぁ」と思い、それは何でかと聞かれたら「知性を感じるから」と答える。ただ、知性とは何かと聞かれたら、なんと答えるのがいいだろう。 おそらくぼくは書評を読んだり、文芸批評や映画批評、美術批評を読むことが人よりも多い。単に好きなだけなのだが5冊に1冊くらいの割合でその類いの本を選ぶ。批評で扱われる作品を知らなくても、批評それ自体を面白がることも少なくない。で

        いま必要なのは「過剰さ」なんだよ

          全然合わないから、いいんじゃない!

          所ジョージが、夫婦円満の秘訣を「全然価値観が違うから」と答えていたことをよく覚えてる。「価値観も性格も違うから、面白い」「自分と同じなら、面白くないじゃない」と。 ぼくはこの考え方がとても好きだ。全く価値観が違くっても、一緒に生きていくことはできる。うっかりすると、人はすぐに「わかり合おう」とする。相手のことをよく知っていて、自分とその人の趣味趣向が合っていることをよしとしがちである。 もちろん、わかり合えたならそれは幸せなことだ。でも、お互いの違いを認めながら、その違い

          全然合わないから、いいんじゃない!

          楽しい。それが、辛い。──ドラマ「日曜の夜ぐらいは…」を観たよ

          楽しい、それが、つらい。苦しいだけなら何も考えずに時間をやり過ごしてればいい。でも、楽しいことがあると、苦しいことの苦しさがパワーアップして襲いかかってきやがる。これが、この上なく、つらい。だから、楽しいことはなるべく避けて生きていきたい。 ぼくは、昔から上手にはしゃげなかった。はしゃぎたい気持ちがないわけではないのだが、どうしてもぎこちなくなる。単に不器用なだけかと納得していたが、最近そうでもないと思い始めている。無意識にはしゃぐことを抑制してしまう自分がいるために、いざ

          楽しい。それが、辛い。──ドラマ「日曜の夜ぐらいは…」を観たよ

          わからないもんは、わからない。それでいいんだ──映画「ちひろさん」を観たよ

          三井物産でバリバリ商社マンをする(2015年退社)傍ら、執筆活動にも精を出しまくる小説家・磯崎憲一郎が、経営学者・楠木建との対談で語った一節である。続けてこんなことも言う。 要するに、何なのか。こんなにアホ丸出しの質問があるだろうか。そんなもん自分で考えろとしか言いようがない。 しかし、そんな悠長なことも言ってられず、多くの人間は生き残りをかけた競争の中で勝ち残るために日夜「役に立つこと」を探し求めている。そう、端的に言って、余裕がなくなっている。エロ・グロ・ナンセンスな

          わからないもんは、わからない。それでいいんだ──映画「ちひろさん」を観たよ

          そうだった、そういう国だった。──映画「Winny」を観たよ

          昨日、映画「Winny」を観てきた。動機は大したことない。素朴な好奇心。2000年生まれのぼくに当時のニュースをリアルタイムで見聞きできたわけもないし、特段ゼロ年代のネット文化に興味があったわけでもない。ただ、どうやらあの頃には異様な熱気があったことはよく聞いている。今を生きる若者からはしばしば「ネットに疎いおじさん」と安易にカテゴライズされてしまう40代50代だが、よくよく話を聞くと彼らには「おれらはネット黎明期から共に成長してきたんだ! お前らなんかより詳しいに決まってる

          そうだった、そういう国だった。──映画「Winny」を観たよ