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旅の荷物に理性は要らない

行く場所も帰る場所もない旅に出る。
そういう妄想を、ときどきしている。





仕事や学校は突然休むこととする。
「休みます」なんておことわりは入れない。
スマホは、通知の類だけ全部切ってしまった。

荷物なんて適当だ。
なんせ、昨日の寝る前まで旅に出るなんて決めていなかったのだから。
普段から持ち歩くものと、要るのかよくわからんものを鞄に詰め込んで家を出る。

行き先は決めない。
どこに行くかもわからぬまま、電車で遠くへ遠くへ向かう。
あんまり混雑していない電車がいい。
そうして、知らない田舎まで辿り着いた景色を、車窓から眺めるのだ。


……………………

そういう旅を、いつかしてみたいと思う。
それこそ、死ぬまでに一度は。


だから、ひとつ自分に約束をした。

「死ぬまでに突拍子もない遠出をすること」

守れるかどうかはさておき、守るつもりで約束とした。



私はいつからか、気まぐれが大好きになっていた。
自己紹介の「好きなもの」欄に「偶発性」と書きたいくらい。
好きなExcel関数はRand。


人生において、偶然は自分の脳の外側から新たな物語を連れてきてくれる。
特に、どう転んでも割とどうにだってなる些細なことは、偶然に任せてみるとおもしろい。
むしろ、結構な大ごとだって、偶発性にある程度介入されてもいいと思っている。

気が向いたときには、賽を振りながら人生を歩みたい。
現れる偶然に、後から意味づけができる大人になりたい。

たまにはすごく困る悪い偶然もあるけれど、頑張って頭を使ったって空振るときは空振る。

気まぐれが一番おもしろい。

偶然に任せる、と言ってしまえば自力でどうにかするのを諦めて投げやりになっているようにも見えるかもしれないが、それは違う。
決して、匙を投げるわけではない。賽を投げるのだ。


と、そうは言ったって、賽に任せるには勇気がいる。
どうしても、確実性や安全性を求めて、自分の頭でそれを手に入れようとする本能がある。

些細なことは、楽しんで偶発性に任せることもできるようになってきた。
けれど、ちょっと真面目だった私は、偶発性に憧れながらも大きな決断は可能な限りの確証にこだわって苦しんできた。

本能を、理性で抑えてここまでやってきた。

突拍子もない自由なことがほんとは好きだけど、勇気がない。
なんだかんだ、規範みたいなものに、今までは乗れちゃってた。


だからこそ、無計画に突然遠出をすることは、私にとってとてもハードルが高く、されど物理的にはいつでもできること。
おまけに、ピュアに憧れることもできている。

これを私は、人生のどこかにおける、とっておきの切り札としたいのだ。


自分の頭と心で強かに生きていくには、どうやら限界が近いかもしれない。
という状況になってそれなりに時間が経つ。

もう全部かなぐり捨ててどっかに行ってしまおうか、とは何度も考えるけれど、その声はまだ理性によって毎度の如く沈められている。

その度に「そんな勇気もないのか」とまた更に落ち込みそうになるけれど、それはもうやめた。
まだ、それが必要な時ではないだけなのだ。


憧れるけれど、そう簡単に手は出せない「突拍子もない旅」。

最後の切り札をもっておくと、心やすべてが限界に達してしまっても、少なくとも一回は自死せずに済む。

本当に自死を考えてしまったときは、実行する前にまず突拍子もない暴挙を起こす。
これを、マイルールにする。
実際、追い詰められた局面で守れるかはわからないけど。
でも、これをやるまでは死ねない、と今は思えている。


本当に旅に出てしまったとして、そのあとどうするか?

そんなことは、また偶発性がなんとかしてくれるさ。



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