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エッセイとか小話とか

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エッセイとか小話だ!
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さよなら私のガスオーブン

さよなら私のガスオーブン

今日、ガスオーブンがいなくなった。

ガスオーブンはわたしよりちょっと年上と思っていたのだけれど、調べてみると実際にはわたしのほうが少し年上で、むかしむかし、母の働いていた中華料理屋の二階にあった喫茶店からうちへもらわれてきたのだった。

その喫茶店には銀色のすこし首の長いお皿の上にバニラのアイスがのっていて、その横に白いウエハースが乗ってあったのでよく覚えている。わたしはまだ小学校には通っておら

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文學界の三次選考までいったよ!やっぴー!

文學界の三次選考までいったよ!やっぴー!

(この記事はやっぴーと思った日からだいぶ日がたっております)

タイトル大丈夫か? やっぴーということはないんじゃないか、他になにかなかったのか。でも私の打てる手はやっぴーとわーいしかないので。わーいはつかい過ぎてバイト先の人に「わいわい」って呼ばれてるのでレアっぽい感じをかもしだすためにやっぴーにしたのです。

さて、ここ数日だったか数週間だったか忘れましたが、いやちょとまってその前にその前の段

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出席番号を書いてはいけません

出席番号を書いてはいけません

すでにしてもうこのタイトルだけで死にそうなんですけれども、私がインターネットを知ったのは1999年から2000年に入るあたりのことだったかと記憶しております。

うそです。ぜんぜん記憶はしていない。何も思い出せない。アゲハ蝶を聞きながらパソコンのある部屋で右から左に動く「いらっしゃいませ」的な文字を読んでいたことは覚えている。

ということは、2002年あたりにはだいぶパソコンを触っていたことにな

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大好きな映画の香水を選んでもらったから思い出を語るね

大好きな映画の香水を選んでもらったから思い出を語るね

ある日、いつだったか当然のごとく忘れましたが。

私の大事な宝物であるところのツイッターランドのフォロワーが、好きな映画をいうと香水を送ってくれるよ的サービスのことについて話していて、なんだそれは最高であるな、と思い早速わたしも頼んでみたのでありました。

これだね!

好きな映画をいうとそれに似合った香水を選んでくれるというサービスだ。なぜもう一回言ったんだ。
もしかしたらすごくバズっていてみん

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電波のどこかに私の夢が

電波のどこかに私の夢が

人の夢の話ほどつまらんものはないだろう。いまから私は夢の話をする。

自分が夜に夢を見ていると気がついたのがいつだったかは覚えていないが、割と幼少期から夢の話をしていた気がするので、もともと眠りが浅いのかもしれない。夢を覚えているのは眠りが浅いからという理解でいくけれど。

小学校のころの登下校時が私の本分だった。

AB型双子座の私は幼少時より「二重人格」とか「二枚舌」とかいうワードに大変傷つき

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私の大好きな百合漫画を紹介するよ!

私の大好きな百合漫画を紹介するよ!

はじめに 今日がいつなのかいつまでも覚えられないのでいつのことか忘れてしまったが、きっと去年のいつごろか、私はある記事を読んだ。

 そうして気が付いた。私は百合が好きなのだと。正しく言えば、百合が好きだと言ってもいいのだと思ったのだ。

 この記事を読んだあとによくよく考えてみたら、私が今まで書いてきたものはほとんど百合だったのだ。これもまた正しく言えば、百合と言ってもいいのだ、と思った。

 

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すべての仕事は売春である

すべての仕事は売春である

 私は一度入水をしようとして制服のまま海に入り、振り返った時におじいさんが犬を散歩させているのを見て陸に戻ったことがある。

 本当に死ぬつもりだったのか、という点については昔も今も大変懐疑的なのだけれど(なにしろ私は基本的に生きることが好きだった)真剣であろうがなかろうが、まぁ腰まで海につかっていた、ということだけは事実だ。

 あまり口にしたくないが、その日は珍しく霧が出ていて、あたり一面真っ

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日々の群れ

日々の群れ

 それが営みとして正しかったのかどうか分からないが私には生活があった。今もあるし、生きていれば明日もあるだろう。生存していれば生活が続く。どんなときでも、どんな日々にも。

 ときどき人間を愛していると思うことがある。

 しかしそいうとき、私は自分を人間とは思っていないのだ。なにかその営みから外れた、脱落した、一種の化け物のような気持ちで、遠くから人間を愛している。人間に生活があり、その営みを、

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ぬすっとの名前を忘れない

ぬすっとの名前を忘れない

#ヨーグルトのある食卓

 私の住んでいる地域の子供は、遠足で同じ山に少なくとも三回は登る。小学校の時に二回、中学校の時に一回。一度目は手前の山のてっぺんまでで、二、三度目はその向こう側の山まで登る。これは同じルートである。意味がわからない。

 その一度目のちいさい方の山のてっぺんでの出来事である。

 私はおべんとうの大学芋を、最後まで大事に大切に残していた。水飴的なものがちょっとかたまって

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私は嵐になりたい少年だった

私は嵐になりたい少年だった

 少年という言葉には本来男女の区別がないのだと知ったとき、私は確かにまだ少年だった。

 実際、自分が少年であることに疑いを持ったことがなかった。ただの年若き人間であって、女の子なのにチャンバラが好きなのは変だとか、女の子は赤いランドセルを背負わなきゃいけないのだとか、男の子とばかり遊ぶなんてとか、とかとか。

 憤りは感じていたけれど、そんなものは関係なかった。

 私は事実少年だったのだ。木登

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