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出席番号を書いてはいけません
すでにしてもうこのタイトルだけで死にそうなんですけれども、私がインターネットを知ったのは1999年から2000年に入るあたりのことだったかと記憶しております。
うそです。ぜんぜん記憶はしていない。何も思い出せない。アゲハ蝶を聞きながらパソコンのある部屋で右から左に動く「いらっしゃいませ」的な文字を読んでいたことは覚えている。
ということは、2002年あたりにはだいぶパソコンを触っていたことにな
大好きな映画の香水を選んでもらったから思い出を語るね
ある日、いつだったか当然のごとく忘れましたが。
私の大事な宝物であるところのツイッターランドのフォロワーが、好きな映画をいうと香水を送ってくれるよ的サービスのことについて話していて、なんだそれは最高であるな、と思い早速わたしも頼んでみたのでありました。
これだね!
好きな映画をいうとそれに似合った香水を選んでくれるというサービスだ。なぜもう一回言ったんだ。
もしかしたらすごくバズっていてみん
電波のどこかに私の夢が
人の夢の話ほどつまらんものはないだろう。いまから私は夢の話をする。
自分が夜に夢を見ていると気がついたのがいつだったかは覚えていないが、割と幼少期から夢の話をしていた気がするので、もともと眠りが浅いのかもしれない。夢を覚えているのは眠りが浅いからという理解でいくけれど。
小学校のころの登下校時が私の本分だった。
AB型双子座の私は幼少時より「二重人格」とか「二枚舌」とかいうワードに大変傷つき
ぬすっとの名前を忘れない
#ヨーグルトのある食卓
私の住んでいる地域の子供は、遠足で同じ山に少なくとも三回は登る。小学校の時に二回、中学校の時に一回。一度目は手前の山のてっぺんまでで、二、三度目はその向こう側の山まで登る。これは同じルートである。意味がわからない。
その一度目のちいさい方の山のてっぺんでの出来事である。
私はおべんとうの大学芋を、最後まで大事に大切に残していた。水飴的なものがちょっとかたまって
私は嵐になりたい少年だった
少年という言葉には本来男女の区別がないのだと知ったとき、私は確かにまだ少年だった。
実際、自分が少年であることに疑いを持ったことがなかった。ただの年若き人間であって、女の子なのにチャンバラが好きなのは変だとか、女の子は赤いランドセルを背負わなきゃいけないのだとか、男の子とばかり遊ぶなんてとか、とかとか。
憤りは感じていたけれど、そんなものは関係なかった。
私は事実少年だったのだ。木登