【176回】弱者にお金をかけるな!と言う人は、70年前のドイツを生きている(190610)
保坂展人「相模原事件とヘイトクライム」(岩波ブックレット、2016年11月)を読んだ。
相模原障害者施設殺傷事件の後、「障害者は必要ない」というようなヘイトクライムが浮かび上がってきた。
優生思想。
社会の役に立たない人は去れというような空気。
インターネット上に書かれたこと。
これと同じ考え方が約70年前のドイツにもあった。
言わずもがな、ナチスドイツの時代。
断種法宣伝ポスターには以下のように書かれている。
ほら、どちらも命を選別している。「このような命に我々の貴重なお金を使っていいのかね?」と問いかけている。
相模原障害者施設殺傷事件の頃と、約70年前のドイツと。
同じではないか。
優生思想。命が選ばれる考え方が広まっていくとどうなるか。
社会が弱き者を支えることが、「公の幸福と利益」に反すると教え込まれるとすると、いよいよ、「障害者」は生きることが許されなくなる。
T4作戦といって、1939年から1941年の間に、ドイツでは20万人以上の障害者が殺害された。
恐ろしいのは、「T4作戦はヒトラーによって「中止」された」のに非公式の形で、看護婦や介護士が勝手に殺害していったことだ。(p39,40)
つまり、思想が広まれば、一般市民でも、命を選別して実際に殺害に与することが考えられるわけだ。
相模原障害者施設殺傷事件の植松被告の思想は、まさに、命の選別の思想ではないか。
弱き者、社会に役に立たないものは消えなさいという考え方。
それでは、僕たちは高齢者になったとき果たして、この社会で生きることは許されるのか。
僕たちは誰もが、障害者になる可能性があるのに。
命を選別せよ、と言っている人が、命を選別される側になる可能性があるのに。
必要な人に必要な支援をすることが、公の幸福と利益につながる。
僕は信じてやまない。