弱者にお金をかけるな!と言う人は、70年前のドイツを生きている(190610)

保坂展人「相模原事件とヘイトクライム」(岩波ブックレット、2016年11月)を読んだ。

相模原障害者施設殺傷事件の後、「障害者は必要ない」というようなヘイトクライムが浮かび上がってきた。
優生思想。
社会の役に立たない人は去れというような空気。

「野田聖子は国家公務員だ。今、財政赤字で税金を無駄遣いしてはいけない、と言われている。公務員であるなら、医療費がかかる息子を見殺しにすべきじゃないか」(p15)

インターネット上に書かれたこと。

これと同じ考え方が約70年前のドイツにもあった。
言わずもがな、ナチスドイツの時代。

断種法宣伝ポスターには以下のように書かれている。

「6万ライヒス・マルク。この遺伝病者は一生でこれだけ民族共同体に負担させる。民族同法よ、これもまたきみの金なのだ」(p34)

ほら、どちらも命を選別している。「このような命に我々の貴重なお金を使っていいのかね?」と問いかけている。

相模原障害者施設殺傷事件の頃と、約70年前のドイツと。
同じではないか。

優生思想。命が選ばれる考え方が広まっていくとどうなるか。

ナチ時代のドイツの社会では、官民あげて優生思想の普及がはかられた。
学校、看護学校、病院、役所など公共の場で、「人の価値には生来の差があること」が事実として教えられ、「劣等種との交配は高等種の価値の低下をもたらすこと」「劣等種は増殖能力が高等種の何倍も大きいため、隔離しなければならないこと」などが周知徹底された。

重度の心身障害者や「反社会的分子」への介護・福祉は公の幸福と利益に反するものと教え込まれ、彼らに憐憫の情を抱くことさえ戒められた。(石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ」(p304))

社会が弱き者を支えることが、「公の幸福と利益」に反すると教え込まれるとすると、いよいよ、「障害者」は生きることが許されなくなる。

T4作戦といって、1939年から1941年の間に、ドイツでは20万人以上の障害者が殺害された。
恐ろしいのは、「T4作戦はヒトラーによって「中止」された」のに非公式の形で、看護婦や介護士が勝手に殺害していったことだ。(p39,40)

つまり、思想が広まれば、一般市民でも、命を選別して実際に殺害に与することが考えられるわけだ。

相模原障害者施設殺傷事件の植松被告の思想は、まさに、命の選別の思想ではないか。

弱き者、社会に役に立たないものは消えなさいという考え方。
それでは、僕たちは高齢者になったとき果たして、この社会で生きることは許されるのか。

「障害者の生命の価値」を全否定するような加害者の言説の特徴は、他者に対しての共感の欠如と、生物としての人間はやがて加齢とともに自由に動き回れなくなり、若い頃に元気だった人も障害のある暮らしを受け入れることになるという想像力が消失しているという点です。(p55)


僕たちは誰もが、障害者になる可能性があるのに。
命を選別せよ、と言っている人が、命を選別される側になる可能性があるのに。

相模原事件というヘイトクライムを引き起こした「加害者の論理」は、障害者福祉だけではなく、高齢者福祉の土台をも突き崩すもので、やがて加害者自身も「抹殺」の対象となる順番がまわってくる自滅の論理です。(p56)


必要な人に必要な支援をすることが、公の幸福と利益につながる。
僕は信じてやまない。




今日はオールドファッションにしよう!ヤッホーイ!ありがとうございます。
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