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しんどさ計測器が発明されなくてよかった

ひとつひとつ、重たかった荷物を下ろしていく。それでも、重たいものは全然減らない。どんだけ背負いこんで生きてたんだよって話。でも、いいんだよ。少しずつでいい。下ろすってことをしていいって、自分に許可できたところから、すべてが動いていくから。きっと。

しんどいって、本当につらいことだ。
特に、生きづらさとか、外からは見えないこころがしんどいと感じることは、本当に。

言葉でそのつらさ、しんどさを表現することは難しい。


見た目には、きっとわたしは普通にうつっている。

普通に仕事に行って、普通に同僚たちと冗談を交わし、普通に仕事のメールを打ち、普通にみんなでランチに行って、普通におしゃべりや噂話に花を咲かせる。普通に笑ったり、普通にテンション高めでおちゃらけてみたり、普通に、普通だ。

でも、ふとひとりになった時、唐突に頭の奥が芯から痺れて、すべての感覚が麻痺する。脈略のない悲しみと不安が、どこからともなく追いついてきて、わたしに覆い被さる。

「あー、もう、全部、疲れたな。しんどいな」と自然と思う。
「生きてるの、つらい。もう全部終わらせたい。そしたら、楽に、なるのかな」

ぽたりと自分の心の中に落ちるその言葉が、ふとした拍子に外に飛び出してしまわないように、わたしはキュッと口元を結ぶ。身体に力を込める。ちゃんと自分をこの地球上に、繋ぎ止めるために。


一番理解してほしい身近な人にこそ、なかなかこういうことは理解してもらえない。それが、つらさを加速させていく。

わかってもらえていないわけではない。受け入れてもらえていないわけでもない。時代錯誤に「こころが弱いのは意志が弱いからだ!もっと歯ぁ食いしばれ!」なんてことを言われるわけでもない。

でも、「これくらいだったら、できるでしょ?」「あなたのために、こっちだって頑張ってるんだよ。こっちがつかれてることも、ちょっとは理解してよ」って言われる。それが、たまらなくつらい。

ねえ。信じられないかもしれないけれど、嘘みたいに聞こえるかもしれないけれど、本当に "それくらい" が、できないんだよ。つらくて、しんどくて、仕方がないんだよ。

ねえ。伝わってないのかもしれないけれど、こんなぐちゃぐちゃなわたしを支えるために、どれだけあなた達が頑張ってくれてるのか、知ってるよ。そのことを考えると、胸が張り裂けそうになるほどに。「ありがとう」と「ごめんなさい」と焦燥感と罪悪感に押しつぶされて、わたしはさらにつらくなる。

こんな自分が嫌になる。ごめんねって思う。普通に、できない。やれない。あなたがわたしのためにつらい思いをしているとき、「交代してあげるよ」と言ってあげることすら、できない。

自分がつらくて、しんどいと、周りもつらくて、しんどくさせてしまう。
それが、つらさとしんどさを加速させていく。


わたしは外からは「普通」に見えてしまう。
普通に笑えて、普通に話せて、普通に家事ができて、普通に子どもの世話ができて、普通に、普通。でも、自分の中では、なにかがどんどん壊れていく。

「普通」と「本気でヤバい」の間でブランコのように揺れ動く。「本気でヤバい」すら、知らずのうちに「普通」の仮面に隠してしまっているらしいから、タチが悪い。自分でも自覚ができていない。だから、外と中とのギャップが広がっていく一方だ。その自分自身の情緒の振れ幅が、わたしは怖くてたまらない。それこそ、「普通じゃない」と思う。

だからわたしは、昔から「しんどさ計測器」があればいいのに、って思ってきた。そうしたら、みんなのしんどさを数値化して、比較して、どっちの方がしんどいのか、ちゃんと客観的に見ることができるから。でも、そんなことを言ったら、きっと、あの子は、怒るだろうな。


学生時代、性的にとてもつらい経験をした子がいた。
彼女がことの全貌を話したのは、多分、わたしだけだった。
その頃、わたしもつらかった。家族との色んな不和やいざこざがあって、家には帰りたくなくて、どこにも居場所がないように感じていた。

ある日の学校帰り、みんなでマックに寄って、おしゃべりしていた。
わたしは、自分の家族の話や、生きていることがつらいことを、涙ながらに話し出した。みんな、なんと言っていいか分からず、ただ背中をさすりながら聞いてくれていた。18歳にすらなっていない、ただの未成年の子どもの集まり。できることなんて、たかが知れている。聞くこと以外、できることなんてない。

その時、"その子" と目があった。
わたしは突然、自分のことが恥ずかしくなった。
わたしよりも、もっとつらくて怖い経験をした、その子。
トラウマになって、何度もパニック発作を起こして震えていた、その子。
それでも、わたし以外の誰にもなにが起こったかは言わず、気丈に笑って「普通」に過ごしていた、その子。

そんな子の前で、たかが家族のいざこざくらいで涙を流し、みんなから同情してもらっている自分が、恥ずかしくて仕方なくなった。
でも、つらいのは本当だった。生きている、そしてこれから数十年生きていかないといけない、という事実が、絶望的なほどにしんどかった。"その程度"のことで、こんなにしんどくなる自分が、恥ずかしくてたまらなかった。


「ごめんね」
二人になったときに、わたしは彼女に謝った。
「あなたの方が、つらいのに。しんどいのに。こんなことくらいで、あなたの前で泣いて、しんどいなんて言って。馬鹿みたい。本当にごめん」

その子は、わたしの真意を推しはかろうとするかのように、黙って聞いていた。

「しんどさ計測器がさ、あればいいのにって思うよ。そしたら、誰の方がしんどいのか、はっきり目に見える形で、わかるようになるのに」
そうすれば、自分のつらさを諦められる。

最後にぽつりと呟いたわたしの言葉を聞いた瞬間、唐突に彼女の目の色が変わった。

彼女は、突然バシンと平手打ちをした。
叩かれた頬がじんじんと痛かった。
なんで叩かれたのか、わからなかった。
頭がクラクラした。

「あんた、馬鹿じゃないの!?」彼女は目に涙を溜めて、そう怒鳴った。

「誰が、あんたよりわたしの方がつらいって言った?誰が、あんたの苦しさより、わたしの苦しさの方が大きいって証明できる?誰かの苦しさとかつらさと比較して、自分には苦しむ資格もつらいと思う資格もないなんて、そんなこと思うなんて、絶対許さないからね!」

彼女は涙を流しながら、わたしをぎゅっと抱きしめた。
「つらいって感じてるんでしょう?死にたくなるくらい、しんどいんでしょう?だったら、あなたはつらいし、しんどいんだよ!それをわたしと比較しなくていい。他の誰とも比較しなくていい。つらさの尺度なんて、人それぞれなんだよ。そんなの、本人にしかわからないんだよ。だから、お願いだから。しんどさ計測器があればいいのに、なんて。そしたら自分のつらさを諦められるのにって。そんな悲しいこと、絶対、もう言わないで。」

そうか。
彼女は、自分のためではなくて、わたしのために怒ってくれているんだ。涙を流してくれているんだ。
そのことをようやく理解する。たまらなくなって、わたしも彼女を抱きしめ返した。二人で、夜の街の片隅で、いつまでも嗚咽を漏らし、抱きしめあった。


彼女とは、学校を卒業し、大人になってからは連絡をとっていない。
もう15年近く前のことだ。
どこかで、幸せに、生きていてくれればいいと、そう思う。


しんどさ計測器があればいいのに。
身近な人に理解してもらえないとき、無意識にわたしはそう考えている自分に気がつく。
そんなとき、彼女の言葉を、叩かれた頬の熱さを、抱きしめられたわたしの肩に降り注ぐ涙の冷たさを、思い出す。

そうだ。
わたしがしんどいと感じているなら、わたしはしんどいんだ。
それを、誰かに証明する必要も、誰かに証明してもらう必要も、ない。
つらいものは、つらい。しんどいものは、しんどい。

それを声を大にして主張し続けるのには、勇気がいる。
頑張って支えてくれている人たちに、「ごめん。それすらできない。しんどいんだ」と言うのは、本当に莫大な勇気がいる。自分のことを信じることができる強さが、必要だ。
そして、その強さも、勇気も、今の自分には手に余る。届かない。だって。息をし続けることすら、しんどいのに。

それでも。わたしの背中を、あの日の彼女の言葉たちが、そっと押してくれる。もっと自分を大切にしていいんだよって。もっと自己中心的に生きていいんだよって。

だから、わたしは今日も自分を信じようと思う。
その勇気を、ずっと昔に出会った彼女から、もらった。
きっと、彼女に届くことはないけれど。
本当に、ありがとう。あなたは、わたしの命の恩人だよ。

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