力こそは正義であることにきずいてしまった話

みなさんおはようございます。
どうもブルドーザーです。皆さんは力がほしいとおもったことはありませんか?
私は肉体的な力という意味でも精神的な力という意味でもどちらの力もほしいと感じています。特に肉体的な力が欲しいです
なぜそんなに力を欲しいと思ってしまうのか
それはいままでの自分の人生をふりかえったら
当然なのかなとおもいました。
元々舐められる性格で、人に優しくしても舐められたり、気持ち悪がられたり、友人には
いじられたり、そのいじりすらもエスカレートして
笑って耐え抜いたり、そこに加えて自分は多分他の人と価値観や性格が変わっていたので
変人扱いに、まあそれはいいんですけど
いじられても反撃しない、笑ってごまかす
などしていたのですが
一回目のいじめを小6のときにに受けたとき
女子にばい菌扱いや、少し触れただけでも
気持ち悪がられ、ラインのグループは退会され
ラインのグループでも悪口、スタレンれんだのいやがらせ
二回目のいじめでは前にも書いたとおり
し障がいについていじめられたときにおもってしまったんですよ。
オレが弱いから、俺が肉体的に弱くなったら
周りのやつらはヘコヘコするし、我慢したり
優しくしたりしても相手は調子にのってつけあがるだけ、
結局この世のなかは弱肉強食強いやつが支配して弱いやつが淘汰される。
今はキリスト教系の心理学や
福祉が学べる学校にいっているが、平等、差別をどう減らせるか、理想論を語りだす姿勢に
虫酸がはしる。あとなんで
他人に奉仕しなきゃあかんねん。
自分の身が一番安全やろ
平等なんていうのは誰かの都合がいいから平等なんや。
例えば法律
障がい者も健常者も皆平等
これを作る人は身近に障がいを抱えている人がいたか自分が障がいを抱えていて世のなかが
理不尽だと知ったからだ。でも一言過激なことをいう、障がい者と健常者は平等にはなれない
一つ語弊があったので訂正しておくが家族や恋人ならなれるかもしれないが
それ以外のやつは内心どこかで上と下をはっきりさせてあるからである。
平等は誰かが都合よくするために使ってるだけである。人間同士の差別も平等もいじめも
人間がいなくなれば終わる。
力さえあれば世の中満喫できるし
怯えることも不安にかられることもない
肉体的な力があれば舐められずにすむ。
人は人のことを分析してる
かわいいやつかっこいいやつ、頭がいいやつ、筋肉があるやつそれぞれ秀でてたら優遇する
逆に身なりが整ってなかったり、自分の意見に反対するようなやつは排除したかる
理不尽

AIにようやくしてもらうと
ブルドーザーさんは、肉体的・精神的な力を欲しいと感じています。そんな欲求の背景には、いじめや舐められる経験があったようです。平等や差別についても考える一方で、力があれば世の中を満喫でき、舐められないと主張しています。人は人を分析し、秀でている人に優遇し、意見に反対する人は排除することもあると話しています。

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