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自己紹介 l Välkommen till FIKA CLUB ☕️


16才@Stockholm近郊 のショッピングセンターにて

皆さん、初めまして!

この記事に辿り着いてくださり、ありがとうございます。

FIKA CLUB運営代表の廣瀬 知美と申します。

コロナ禍で働き改革というキーワードを耳にすることが多くなりましたが、

私も悩みを抱えていたアラサー世代の一人でした。

周りは結婚し出産、もしくは会社で出世してどんどん輝いていっているように見えました。

当時の私は家業2代目としてある程度責任のあるポジションについていました。

これからどのように専門性を磨くべきか。

どんな未来を描きたいか、その当時は変わらない現実に不安を頂いていました。

10代、20代と自信を培ってきた頃に比べて、
更なる窮地に追い込まれることになります。

都内で有名な通訳学校に通いつつ、日英通訳として独立を試みるも

なかなか自分らしい結果は出せずにいました。

30代、なんとなくぬるま湯に浸かっている自分が許せなかったし、今までのスキルもそこまで活かせる環境にいなかったので、どんどん不安は募るままでした。

あんなに頑張って周りの期待に応えて、10代ではスウェーデンそして20代ではアメリカ大学への進学など、いくつも壁は乗り越えてきたのに。

見えないプレッシャーは幼少期から始まっていました。
整形外科医である父の背中を見て育ち、働く母の姿も当たり前に見てきました。

大学卒業後、外資系企業での役員秘書として5年間のキャリアを終え、方向性を決めないままやみくもに家業の仕事を手伝っていました。そこでも、正直明確な居場所はありませんでした。淡々と目の前の仕事をこなす日々。

●●先生(Dr.)の娘さんという肩書きから一生抜け出せないのでは?

そして、ある意味、燃え尽きてしまっていたのか、

中途半端な人生に正直うんざりしていました。

その時は、支えてくださっていた周囲に感謝できる余裕もなかったのです。

頑張ってきた自分に対して、ありのままで良いと、ただ「自己受容」することができないままで過ごしていました。眠れない日々が続いていました。

ある時、久しぶりに部屋の整理をしていたときに、

スウェーデンに留学していた時の写真と日記帳を手に取る機会がありました。

そこで、改めて「そうだ!スウェーデンに関することで小さな起業をまずしてみたい」と思ったのがきっかけです。

Sweden

初めてスウェーデンに留学した時は、何の変哲もない16才でした。

幼い頃はよく妹と一緒に、大好きな宮崎駿の「もののけ姫」や「魔女の宅急便」を繰り返し見ていました。

ユーミンのルージュの伝言の歌詞にも緻密にそして確かに表現されているように、「神様からのメッセージ」は目に見えないけれど、自然に宿っていると密かに信じていました。

それまでの人生では、なんとなく違和感は感じていたものの、日本の学校生活になんとかフィットしようと無理していた部分も少しあったかもしれません。

そして、みんな同じような髪型をして似合わないグレーの制服を着て同じような時間にランチを食べて、真面目に勉強している姿を歩いてきました。

そこから飛び出して、私を誰も知らない世界に飛び出したのでした。

ストックホルム市庁舎@
ノーベル賞の記念晩餐会が行われる場所であり、ナショナル・ロマンティシズム建築の傑作としても知られる。


日本からの留学生は7人。それぞれ色々な想いを描いて、自らのコンフォートゾーンを抜け出した青春を今振り返ってみると、とてもあらためて貴重な経験をさせてもらえてその後の人生にも大きな影響があったと考えています。

YFU Orientation with International Students

最初に覚えたのは簡単な自己紹介のフレーズで、

「Hej! Jag heter Tomomi. Jag kommer from Japan.」
(こんにちは。知美です。日本から来ました。)

慣れない環境に放り込まれた私たちが得たものは「成長」することの喜びでした。

一番のギフトは、やはりスウェーデンのホストファミリー特にホストママとの出会いでした。

正直初めて地元の高校のクラスに入学した時とても緊張していました。

不安を和らげるために、まるで本当のお母さんのように帰宅後は

FIKAをしながら、二人の好きなKEXチョコレートを頬張り

たわいのないことを話すようになりました。

言葉は正確には通じてはいないけれど、

当時の家族のことやスウェーデンの文化また日本の文化についても

少しずつ心を開いて、会話を増やすようにしていました。

スウェーデンに留学して感動したことは、

外見や宝石類など着飾ることよりも

「自然体」で居心地でいい、というシンプルな感覚です。

2018年 8月 スウェーデン ウプサラ近郊のホストファミリーの家にて

特に、北欧人は皆、長い冬を越すために家の中で快適に暮らす知恵が自然に身についていると思います。

30代になった今でも胸に焼き付いているのはスウェーデンのホストファミリーと過ごした映画の中の世界のようなクリスマス。ホストシスターのパートナーがサンタに変装し、子供たちは大はしゃぎ。窓の外から見える一面の雪景色。

スウェーデンのクリスマス

スウェーデンの朝のイメージはやはりホストママが必ず作っていた
深煎りコーヒー。お気に入りのマグカップを持って、地元の新聞紙を広げながら、
パートナーとの会話を楽しんでいた。

大抵、大きなボウルにたっぷりの水を鍋に入れて
卵を茹で、少し濃いめのコーヒーを作る。

「God morgon, Tomomi.」ーおはよう。

と優しい眼差しで1日が始まります。

最初は不安だった異国での生活。
現地の高校に行くのに億劫になっていた私ですが、
帰ると、いつもニコニコと陰ながら支えてくれていました。

一緒によくスウェーデンの家庭料理、ピッティパンナを作ったり
何気もない小さな幸せを一緒に噛み締めることができることが
何よりも幸せだったと感じました。

そんな心優しい家族のお陰と同じ日本からの留学生メンバーのお陰で
無事に留学生活を終えることができたのです。

2023年、当時16歳だった私も30代に差し掛かった。

持病を抱えて、飛行機の苦手なホストマザーは残念ながら日本に渡航することは
難しいかもしれないのです。

でも今はSNSがあり、世界と簡単につながることのできる時代になりました。

ホストマザーYvonneとの再会@ゴットランド島❤️
10代から今まで15年以上毎年クリスマスカードを送り合っています。

今春、FIKA CLUBという
北欧スウェーデンと日本の皆さんをつなげるコミュニティを運営しようと思ったきっかけは、

「FIKA:愛と優しさの循環:MYS」をみなさんにお届けするためです。

茶道の言葉で「一期一会」というものがありますが、

出会いには必ず縁があり、人生のターニングポイントとなり得ると信じています。

学びや気づきたくさんのインスピレーションをお届けするため、
これからも有益なコンテンツ作りに励んでいきたいと思います。

一度きりの人生、新たな仲間と一緒に、
愛と優しさの輪を広げていきましょう。

駐日スウェーデンペールエリック・ヘーグべリ大使と同期友人よしとの記念写真@神戸クラブ

Vi ses snart 💌


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