どんな「当たり前」に囲まれて過ごすか
2024年3月31日(日)朝の6:00になりました。
いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。
どうも、高倉大希です。
わたしたちは、身のまわりの「当たり前」と共に暮らしています。
そんな「当たり前」とのギャップによって、悩んだり苦しんだりします。
海外に行けば「当たり前」が、まるで違うことに気がつきます。
歴史を遡れば「当たり前」が、まるで違うことに気がつきます。
それでもやはり、もっとも影響を与えるのは身のまわりの「当たり前」です。
どんな「当たり前」に囲まれて過ごすかで、暮らしは大きく変わるのです。
いわゆる進学校では、大学受験をすることが「当たり前」とされています。
まわりが必死に勉強しているものだから、自分も当然のように勉強します。
いわゆる会社では、スーツを着て仕事をすることが「当たり前」とされています。
まわりが着ているものだから、自分も当然のようにスーツを着ます。
良いか悪いかは、また別の話です。
大切なのは、偏った「当たり前」に影響されていると自覚しておくことです。
変な「当たり前」に苦しんだとき、ただ文句を言っても仕方がありません。
わたしたちが進む道は、次のふたつのいずれかです。
1.その「当たり前」の中でうまくやっていく。
2.その「当たり前」を変えるために働きかける。
もしかしたら、他の「当たり前」に移動するという手もあるのかもしれません。
しかし多くの場合においては、移動したとしても結局は同じ壁にぶつかります。
変えた方がよさそうに見える「当たり前」なんて、この世にいくらでもあります。
しかし、すべての「当たり前」を変えられるほどの時間は残されていません。
だからこそ、選択が必要になります。
どの「当たり前」を変えることに、注力するのかという選択です。
それ以外はいかに、その「当たり前」の中でうまくやっていくかです。
近くに見えるものにいちいち反応いていたら、簡単に日が沈みます。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。