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書き言葉は本音だと思われがち


2023年8月29日(火)朝の6:00になりました。

言いたいことも言えない世の中じゃ、P _ _ _ _ _ 。

どうも、高倉大希です。




SNSの普及によって、言えないことは書くという風潮が誕生しました。

日常生活の鬱憤を匿名で吐き出す、という考え方です。


書き言葉は、たしかにそんな側面ももち合わせています。

ただ、あらゆる書き言葉がそうだというわけではありません。


こうして毎日文章を書いていると、どうもこれが本音だと思われがちです。

話し言葉は建前で、書き言葉は本音だと、なぜだかそう思われてしまうのです。


人間は、絶対的な基準で決めることはまずない。ものごとの価値を教えてくれる体内時計などは備わっていないのだ。ほかのものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する。

ダン・アリエリー(2013)「予想どおりに不合理」早川書房


冷静に考えてみれば、書き言葉の方が圧倒的に嘘をつきやすい表現方法です。

表に出すまでに、いくらでも加工することができます。


話し言葉は、そうもいきません。

出したが最後、なかったことにはできなくなります。


それでも書き言葉が本音に見えるのは、単純に文脈の問題です。

書き言葉は文脈をもたずにはじめられるので、本音のように見えるのです。


強くなるための強力なギア、それが「言葉」です。私たちは生まれた時代も場所も境遇も遺伝子も変えることができません。環境、体重、筋力などは継続によって変えることができますが、変化させるのに時間がかかります。今すぐに確実にできること、それは「言葉」を変えることです。

二重作拓也(2022)「強さの磨き方」アチーブメント出版株式会社


とあるエッセイストのもとには、定期的に「このエピソードは実話ですか?」という質問が届くそうです。

この質問をする人は、一体なにを求めているのでしょうか。


実話だったら、なにがどうなるのでしょう。

実話でなかったら、なにがどうなるのでしょう。


ものを読むときに、これが本当なのか嘘なのかという観点しかもっていないから、書き手に対してこのような疑問を抱くことになります。

はじめに述べた、書き言葉は本音だと思われがちであるという話とまったくおなじです。


飽きた状態の自分が描いた絵を見てみたいという、バカみたいな好奇心があるから(笑)。飽きて描いた絵って、どんな絵なんだろう?見てみたいならたいう気持ちのほうが強いんです。

尾上右近(2023)「右近 vs 8人」PARCO出版 / 横尾忠則さんの発言より


勝手に本音だと思われること自体は、べつに大した問題ではありません。

ただ、そこにこだわられてもこちらは困ってしまいます。


毎朝6:00に書いているのです。

いちいち、そんなに一生懸命考えているわけがありません。






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