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頑張れば必ず誰かが見てくれている?


2024年2月23日(金)朝の6:00になりました。

えぐられし心のその先に、豊かな何かが溢れてるのに。

どうも、高倉大希です。




頑張れば、必ず誰かが見てくれている。

この言葉に、ずっと違和感がありました。


これはあくまでも、見る側が努力することです。

見られる側が、前提に置くことではありません。


せっかく頑張ったのなら、自ら見せなければなりません。

見えない努力が、評価されるわけがないのです。


自分自身の取り組みにどのような価値があるかを考え、自身の意思決定を振り返り、今後の自身の学びの軌跡、自身の評価軸はどうあるべきかを、他者の目線も頼りにしながら考えていくのである。

藤原さと(2020)『「探求」する学びをつくる』平凡社


頑張ったのに、評価されない。

これは頑張る上で、できるだけ避けたいことのひとつです。


評価されないということは、頑張りどころを間違えているということです。

もしくは間違っちゃいないけれど、見えていないということです。


評価されなければ当然、モチベーションも下がります。

最悪の場合、評価者のことを悪く言うようになってしまいます。


青山学院大学陸上部の原晋監督は、「箱根駅伝のメンバーに選ばれなかった人に対して、何かサポートをしていますか?」という質問に、「一切サポートはしない。なぜなら基準が明確だから」と答えていました。

安藤広大(2023)「とにかく仕組み化」ダイヤモンド社


だからこそ、自ら表に出していかなければなりません。

評価されやすい状況を、つくることが大切です。


努力は陰で行うべきだ。

このような美徳が、せっかくの努力を台無しにします。


誰かが見てくれていることを、期待してはなりません。

誰かに見せるところまでが、あなたの努力の範囲です。


昔、秋元康さんに「西野君は一生、日本人から過小評価される」と言われました。その心は、こうして裏側を語ったり、広告を頑張るからです。ほら、作者が作品を届けることを頑張ったら、その作品が多くの人に届いた時に、「届け方が上手かったんでしょ?」と突っ込まれる隙が生まれるじゃないですか?

西野亮廣(2020)「作って作って作って、届ける」note


誰かが読みにきてくれることを、ただ待っているだけの文章がたくさんあります。

頑張って書いたからといって、誰かが読んでくれるとは限りません。


それはあくまでも、読む側が努力することです。

書く側が、前提に置くことではありません。


誰かが読んでくれることを、期待してはなりません。

誰かに届けるところまでが、あなたの努力の範囲です。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。