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落ちていくことが悪いことでもない


2024年2月12日(月)朝の6:00になりました。

アホウドリの巨大な翼も、歩くのには邪魔になるばかり。

どうも、高倉大希です。




投げられた石にとって、登っていくことが善いことでもなければ、落ちていくことが悪いことでもない。

とある学校の卒業式の挨拶で、成田悠輔さんが引用していた言葉です。


引用元は、古代ローマの皇帝であったマルクス・アウレリウスの「自省録」です。

皇帝自身の思索や内省が綴られた、哲学の古典です。


現代人がぶつかる壁のほとんどは、すでに古典に書いてあるのではないか。

このような言葉に触れるたびに、毎回こう思わされます。


たとえば『源氏物語』のなかに描かれている、人が人に対して抱くさまざまな感情。それはいまの人たちが抱える悩みや情熱とまったく同じものだと思います。好きだという気持ちを伝える手段は、手紙からメールやLINEに変わってるかもしれないけれど、どうしようもなく人を突き動かす感情みたいなものは、『源氏物語』に書いてあることとなにも変わらない。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


投げられた石にとって、登っていくことが善いことでもなければ、落ちていくことが悪いことでもない。

この言葉を聞いた上で日常を振り返ってみると、思い込みがいかに多いかに気がつきます。


肯定するのは善いことで、否定するのは悪いこと。

仲良くするのは善いことで、対立するのは悪いこと。


ろくに考えもせずに、わたしたちは善悪を判断しがちです。

立ち位置をすこし変えるだけで、善悪なんて簡単に変わります。


私が学長を務める大学でも入試ディスカッションを取り入れていますが、試験管を担当した教員は、受験生に「相手の意見を否定するのが苦手」な傾向があると口を揃えます。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


どっちも、自分が正しいと思ってるよ。

戦争なんてそんなもんだよ。


ドラえもんも、のび太くんにこのように伝えています。

それを善いと思うのは、それを悪いと思うのは、あなたがそこにいるからです。


はじめから、善悪が決まっているわけではありません。

だからこそ、考え続けなければならないのです。


「盗撮は犯罪だ、すぐにやめなさい」「親からもらった体を傷つけてはいけません」「学校には頑張っていかないとダメだよ」とか言うわけである。まあ犯罪行為や自傷はやめられるならやめたほうがいいに決まっているのだが、それをしないとどうにも自分を保てないくらい患者は追い込まれている。やめたほうがいいことくらい分かっているのである。精神科医としては、規範的にその行動をやめさせるのではなく、盗撮に頼らないといけないその辛さを認めるところから診療が始まる。

尾久守侑(2022)「偽物論」金原出版


善悪の思い込みが前提にあると、思考は前に進みません。

重要な半分を、はじめから切り捨ててしまっているからです。


いちど決めた方向に、信じて突き進んでみることもそれはそれで大切です。

ただしその一方で、つねに「本当にそれで善いのか?」という思考を走らせ続けなければなりません。


投げられた石がある。

それをどう解釈するのかは、すべて自分次第です。






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